5-11
物置に用意されていた料理は、魔力の暴走の中でいつの間にか皿ごと割れていた。
ひどく散らかった物置は、他の壊れたものとともに、翌朝までにはメイドが片付けたらしい。
執務室も同じだ。アロイスが割った皿も、料理の痕跡も消えている。
とはいえ、あの騒動だ。細やかに掃除をする余裕はなかったのだろう。棚の下や物陰などに、割れ物の破片が残っている。そのことを、アロイスは咎めるつもりはない。
あれから一晩。朝の日の差す執務室で、アロイスは一人考えていた。
散々な醜態をさらしたせいか、かえって頭はすっきりとしている。今朝、朝食として出された料理に、父の皿が使われていても、もう戸惑うことはなかった。自分の胸の中にある、父と母の幻影が、薄れていくのを感じていた。
一方で、アロイスの中に眠る魔力が目覚め始めているのも感じていた。自分で封をしていた魔力が、内側からあふれだそうとしている。だが、制御できないものではない。いずれは体にもなじむのだろう。
変化への不安はある。反発を受けることは間違いない。だけど今は惑わされず、目の前のことを一つ片付けようと思うことができる。それはきっと、カミラのおかげだ。
まずはひとつ、今まさに直面している問題を考えよう。
アロイス自身に盛られた、毒のことだ。
〇
「アロイス様! お部屋にいないと思ったら、こんなところで!」
執務机を前にして、椅子に座るアロイスを見つけると、カミラは叱りつけた。アロイスの執務室。カミラは入室の許可を取るなんてまだるっこしいことはせず、扉を開けるなり部屋に足を踏み入れた。
「もう歩き回って大丈夫なんですか。こんなときに、まだ仕事をするつもりですか!」
安静とはなんだったのか。念のためとはいえ、医者に言われた昨日の今日で、アロイスは朝早くからベッドを出て、こんなところにいる。朝一番に見舞いに行き、もぬけの殻のベッドを見て、慌てて探していた自分が馬鹿みたいだ。
「朝食だって口にされていないって、聞きましたよ! まあ、お食事はあれですが!」
アロイスの朝食は、毒を警戒うんぬん以前の問題として、安静が必要な人間に出すような代物ではない。相変わらず油だらけの塩だらけで、おまけに砂糖も山のようにある。今まで、食べ続けてきたのが異常なのだ。
アロイスは苦笑する。言い訳めいた顔で口を開き、立ち上がろうとした。
が、彼の口が言葉を紡ぐことはなかった。
「アロイス様、その女からお離れください!」
それよりも先に、メイド頭が険しい顔で飛び込んできたからだ。
メイド頭の背後には、数人のメイドが控えている。他にも上級使用人である従僕が何人か、護衛めいた様子で、彼女について執務室に入って来た。
みな、一様に表情が険しい。特にカミラを見る目は、冷たい敵意に満ちていた。
アロイスに離れるように告げた、『その女』とは、間違いなくカミラのことを示している。メイド頭の傍に控えた男たちは、カミラを警戒しているようだった。
「なによ」
身に覚えのないカミラは、メイド頭を睨みつけた。だが、彼女はカミラに見向きもしない。視線はアロイスにだけ向かい、彼にだけ訴える。
「あなたに毒を盛ったのはその女です! あなたを亡き者にして、モンテナハト家を乗っ取るつもりだったのでしょう! やはり噂通りの毒婦でした、汚らわしい!」
「…………どういうことだ?」
アロイスが眉間にしわを寄せ、低く尋ねる。メイド頭はその反応も心得たりと、大きく一つ頷いた。
「証拠が見つかったのです! この女が、あなたの料理に毒を盛ったという証拠が!」
そう言って、メイド頭は懐から一つ、小さな白い箱を取り出した。カミラは思わず、あっと声を上げる。
彼女の手に収まるのは、装飾の施された繊細な箱。見間違えるはずがない。ずっと探していたのだ。
「それ、私のだわ!」
クラウスからのもらいもの。砂糖漬けのゼーンズフトの花が入った、白いお菓子箱だ。いつのまにかなくなっていたはずなのに、今はなぜか、メイド頭の手の中にある。
「そう。白状するのですね。この箱が自分のものだと!」
「私のものだけど……白状ってなによ」
「箱の中身は言えますか」
「中身って……ただの砂糖漬けの花よ」
カミラの答えに、メイド頭たちは目配せをする。予想通りだったらしい。驚きはなく、神妙な様子だった。
「……私は昨晩、アロイス様の元へ料理を運びました」
不意に、メイド頭はそう告げた。
「厨房から出た料理は、従僕たちが味付けします。私はお飲み物と共に、料理をここにいるメイドたちと共に運びました。そうですね?」
メイド頭がそう言えば、彼女の傍にいたメイドの内の二人が頷く。
二人とも、まだ若いメイドだ。本来であれば、アロイスへの給仕ができるような身分ではないはず。眉をしかめるカミラの一方で、二人のメイドもまた、このただならぬ雰囲気に怯えているようだった。
「どんな料理であったか話しなさい」
メイド頭に言われ、メイドたちは顔を見合わせた。怯えた様子の二人の内、背の高い方がおずおずと歩み出る。
「……お肉のお料理でした。お皿にいっぱいのお肉と、付け合わせの野菜と、飾りのお花。お花は、お皿の中の脂――――スープに沈んでいました。色あせて、色が抜けたのか……私には白っぽく見えました」
「そう。花」
メイドの言葉に、メイド頭は頷く。それから、今度は上級使用人の一人に顔を向けた。
「この花はどこで盛られましたか? 話しなさい」
命じられて語り出すのは、中年の従僕だ。彼はメイドとは異なり、物怖じすることなく話し始めた。
「私が味付けをするとき――厨房から料理が出されたときには、すでに飾られておりました。間違いありません。私はその花ごと、旦那様の皿に盛りつけをし直し、味を調えました。そしてそれを、メイド頭に引き渡したのです」
「…………花がなんだって言うのよ」
いらいらしながらカミラは言った。遠回しなメイド頭のやり方が気に障る。花があるからなんだと言うのだ。だいたい、どうしてカミラの砂糖漬けが、アロイスの料理に関わるのだろう?
「しらじらしい!」
カミラの反応に、メイド頭は吐き捨てた。そのくせ、我が意を得たりと言いたげな、隠しきれない自信が見える。
「これを見なさい!」
メイド頭は声を上げ、小箱のふたを開けた。そして、中身をアロイスとカミラに見えるように傾ける。
「この花こそが毒! スープに浸し、料理を劇薬に変えた原因です!」
中にあるのは、カミラの知る砂糖漬けの白い花ではない。
花の形だけは、ゼーンズフトに少し似ている。だが、色は鮮やかで蠱惑的な赤。
血の滴にも似た、毒花だった。