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5-10

「お恥ずかしいことをお見せしてしまいました」

 少し気持ちが落ち着いたのだろう。アロイスが、ばつが悪そうにそう言った。

「あなたには、恥ずかしいところを見せてばかりです」

 言いながら、アロイスは抱きしめていたカミラを解放する。ようやく失せた近すぎる他人の感触に、カミラはほっと息を吐いた。

 悪女の噂とは裏腹に、カミラは父と叔父の以外の異性に抱きしめられたことはない。カミラにとって長らくユリアン王子以外は眼中になかったのだから、当然である。

 おかげで、生きた心地がしなかった。今でも妙な気分だ。

「いえ。まあ、私も少し前に似たようなことをしましたし……」

 アロイスから若干離れつつ、カミラはそう言った。ブルーメでの花畑で、カミラとアロイスは全く逆の立場だった。

 あのとき、アロイスは話を聞いてくれたのだ。だから、今回カミラが話を聞く番だったのだろう。

 距離を取るカミラに、アロイスは苦笑した。涙のあとの残るその顔は、憑き物が落ちたように、どこかすっきりとして見えた。

 その表情のまま、アロイスは思い出したかのように顔を上げた。カミラから視線を逸らし、苦々しく見つめる先は、部屋に飾られた肖像画だった。

「……僕はきっと、両親の忌み子なんです」

 色褪せた家族の肖像。アロイスの暴れた魔力は、たった一枚しかない肖像画にも爪痕を残していた。斜めに大きく引き裂かれ、修復もこんなんだろう。

 それがかえって、彼の気持ちの整理を付けたのかもしれない。

「不義の子か、あるいはそもそも、血のつながりもなかったのかもしれません。うすうす、感づいていることでした」

 肖像画のモンテナハト卿は、痩身で病的に青い。近親婚を繰り返した故、体も強くなかったという。痩せたアロイスとは、髪色くらいしか似ていない。

 夫人は、繊細でなよやかな女性だった。優雅で品がある。柔和な雰囲気はアロイスに似ているかもしれないが、あくまでもそれは雰囲気だ。

「だからこそ、認められたいと必死になっていました。両親の死後は、余計に。罪悪感もあるのでしょうけれど。僕の場合はきっと、もっと幼い感情でした。子供の気持ちのまま、両親に認められたいと考えていたのです」

 いつだったか、カミラはアロイスに家族の話を聞いたことがあった。彼の語る両親の姿は、優しいものではなかった。それでも愛情を探して、肖像画を飾り、過去の記憶を守るこの部屋を生み出したのだ。

 その過去は、今はもう、アロイスの魔力で崩れてしまっている。

「でも、父も母もとっくにいませんでした。僕を縛り付けているのは、僕自身。僕の魔力は、僕の意思で封じたものです。自業自得、って言うんでしょうか」

 アロイスはそういうと、軽く頭を振った。それから不意にカミラの顔を見て、痛ましそうに眉をしかめる。

「すみません、カミラさん。あなたを傷つけてしまいました」

「こんなもの、傷にも入らないわ」

 カミラは顔に付いた傷を撫で、ふん、と鼻を鳴らした。だが、アロイスの表情は晴れない。

「…………不安なんです。またあなたを傷つけてしまうのではないかと。僕の魔力も、僕を取り巻く環境も、安全であるとは言えません。きっとこの先、あなたの身を脅かすことも起こるでしょう」

「だから、やっぱり帰れって言うんですか」

 カミラが言えば、アロイスが口ごもる。迷いに満ちたその表情が、カミラはじれったかった。

「あああ! もう!」

 アロイスがなにか答えるよりも先に、カミラの我慢が持たなかった。かかとで床を叩くと、カミラは立ち上がる。そうして、驚き見上げるアロイスに詰め寄ってこう言った。

「じゃあ、私のとっておき! おまじないをしてあげます!」

「…………はい?」

「呪いを解く魔法です。私がたった一つだけ使える、秘密のおまじない。これでアロイス様の過去の呪縛と、心配性を解いてあげましょう!」

 そう言うと、カミラはアロイスに向けて指を突きつけた。

 指先に、カミラの乏しい魔力が集まる。魔法と言うには力が足りず、本当に、おまじない程度にしか役に立たないものだ。

 けれどこれは特別。カミラがこれを、人に見せたということが特別なのだ。

 カミラの描く魔法は解呪。いつか、アロイスがニコルの魔法を解くために見せたものと、寸分たがわず全く同じ。

 描かれた魔法はアロイスに向かい、なにを起こすでもなく消えていった。

「……今のは」

 アロイスは瞬き、向けられた魔法の行方を確かめるように、自分の胸に手を当てた。

 続けて、カミラの指先を見た。さすがは魔法に精通した人間、すぐに気が付いたらしい。

「王家の術式ですね。どうしてカミラさんがそれを?」

 そう。解呪の魔法は数あれど、その魔法の組み立ては一つ一つ異なる。広く知られた魔法もあれば、その血族にしか伝わらない、門外不出の魔法もある。

 王家の術式はその一つ。魔力の出し方、描く文様は、王家だけの独自の癖があり、一度見ただけでまねできるものではない。

「教えてもらったんです、子供のころ」

 アロイスは、「誰に」とは尋ねなかった。

「ユリアン殿下に、ですね」

「ええ。最初に魔法を使った相手も殿下でした。はじめは普通の男の子みたいだったのに、殿下の母君様からかけられていた魔法を解いてみたら、銀の髪に赤い目なんですもの。それで私は、相手が殿下だったと気が付いたんです」

 あんなに驚いたことは、後にも先にない。魔法をかけられたときの姿でさえ、きれいな男の子だと思っていたのに、本当の姿はそれをさらに上回る美貌だった。瞳に魅了の魔法があると言われていたが、そこには多少なりとも、容姿による補正があったのではないかと思われる。第二王妃が彼の容姿を隠したのは、そういう理由だったのではないだろうか。

 もっとも、カミラには本当の姿なんて、たいしたことではなかった。その姿を見る前から、彼がビスケットを美味しいと言ってくれた時から、カミラは魅了されていたのだ。

「『どんな姿になっていても、自分だとわかるように』と殿下は魔法を教えてくださったんです。だから私は、この魔法は殿下だけにって決めていました。本当に、内緒の魔法なんですよ」

「内緒……それを、僕に?」

「そう。アロイス様に。これで、私の秘密はすべてお話ししました。私の胸に秘めたユリアンさまのことも、ぜんぶ。――どうです、このおまじない」

 カミラが言えば、アロイスが笑った。カミラのおまじないは、解呪の魔法だけではない。彼女の過去まで含めた、『とっておき』なのだ。

 これは、アロイスだけの魔法ではない。カミラの過去もほどく魔法だ。王都での思い出。王都への未練。カミラにしがみついた過去を遠いものにするための、たった一度しか使えないもの。

「ありがとうございます。僕は――――私は、それに応えなければいけませんね」

 その意味を受け止め、アロイスは目を細める。

「『変わりたい』ではなく、変わらなけらばなりませんね。あなたを傷つけず、きちんと守れるように」

 それはいつも通りの柔和で、穏やかな――――それでいて、いつもと違う。大人びた男の表情だった。

 カミラはしばしのあいだ視線を受け、妙な照れくささに顔を逸らしかけ――それが悔しくて、かえってアロイスを睨み返した。内心で自分の頬を叩くと、腰に手を当てて胸を反らす。

 見下ろすようにアロイスを見上げ、カミラは強気な声で言った。

「当前だわ! 妻を守れもしない相手と、結婚なんてできないもの!」

「はい。努力します。あなたの結婚相手に、ふさわしいように」

 カミラの強がりに、アロイスは素直にうなずいた。

 細められた赤い瞳は優しく、偽りなく、どこまでも真摯だった。

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