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アロイスの両親が亡くなったのは、彼が十五の時。
今から八年前のことだった。
原因は事故。
魔力の暴発による、事故だったと言われている。
〇
「私の魔力が人より強いことは、カミラさんもご存知ですね?」
人払いを済ませたアロイスの自室。じりじり燃える暖炉の前で向かい合い、アロイスはカミラに問いかけた。
「知っています」
カミラはそう答えた。カミラが彼の魔力の強さを目の当たりにしたことはない。せいぜい、ニコルの魔法を解いたことと、アインストで地下に魔力を示し続けたことくらいだろうか。
だが、実際に目にはしなくとも、目を見れば強さはわかる。色鮮やかな赤い瞳は、その身に潜む魔力量を、なによりも物語っている。
「かつての私は、この力を持て余していました。……いえ、今も持て余してしまうでしょう。私が本来持つ魔力を、今も扱えるのであれば」
「どういうことです?」
「私の力は、大部分が封じられています。今の私は、身の内に眠る魔力のかけらほどしか使えません」
カミラは眉を寄せる。そうは言えども、アロイスはその魔力を買われて、魔石の鉱脈探しに繰り出していたはずだ。強い魔力があるからこそ、魔石の鉱脈も探し出せるというもの。つまりは今だって、十分に強いはず。それがかけら程度と言うのであれば、本当の力はどれほどのものだというのだろう。
「いつかニコルが起こした魔力の暴走も、私は経験があります。小さなものであればたびたび。大きいものは、一度だけ。他人の魔力に触れ、ひどく暴走したことがあります」
アロイスは椅子に深く腰を掛け、膝の上で両手を組む。伏せた瞳は、自分自身の握りしめた手に向けられているようだ。無表情の代わりに、組み合わせた手が忙しなく動く。
「それが八年間。私が人を殺した日であり、両親の死んだ日でもあります」
アロイスは息を吐く。両手をもう一度強く握り合わせると、彼は無感情な顔でカミラを見た。
「当時の記憶は、ほとんどありません。その事件がきっかけなのか、それ以前の記憶も抜け落ちています。きっと、私が忘れたかったからなのでしょう。もう、両親の顔さえほとんど思い出せません」
カミラは息を呑む。アロイスに表情はない。暖炉の火のせいで、暗い影が落ちて見える。語る口は淡々として、まるで他人事みたいだった。
「ですが、覚えていることはあります。父と母の姿と、私に向けられた魔力――あとで、私の力を封じるための魔法だったと聞きました。ですが、私はその魔法に反発し、跳ね返し――――押しつぶしました。父と母ごと」
それから、アロイスは少しだけ、顔をゆがめた。くしゃりと眉を寄せ、口を曲げたその表情は、笑い顔にも似ていた。
「私は親殺しなんです」
「……でも、それは事故だわ。だって、どうしようもないじゃない」
「私の力が起こしたことです。私の力が殺めた命です。事故ではあっても、私の過失であり、私のせいで死んだことには変わりありません」
だからこそ、旧い使用人たちは誰一人、アロイスを『旦那様』とは呼ばない。彼らにとっての主人は、まだアロイスの父でなければならないのだ。
敬愛する主人を奪ったアロイスを、誰も許しはしない。それがさらに、アロイスの罪をあらわにする。
「でも!」
「この力が命を刈り取る瞬間を、私は鮮明に覚えています。自分の力なのですから。指先で撫でるように、二人に魔力が触れ、そうして動かなくなりました。感覚もまだ、覚えています」
アロイスは自分の手の先を眺め、うっすらと目を細めた。笑うようなのに、笑ってはいない。過去を語るようで、アロイスは過去を見ていない。八年経過した今でも、彼にとってはまだ、現在の出来事なのだ。
「あれ以来、私の魔力は封じられたまま。きっと、父と母の最期の魔法が残っているのでしょう。今でも、体の内に二人の魔力を感じます。戒めのように」
でも、とカミラが言っても、アロイスは聞き入れない。不幸な事故であるとしても、アロイス自身が認めようとしなかった。
アロイスはなにを言っても表情を崩さない。椅子に深く腰掛け、手を握り合わせたまま、姿勢さえも変えない。秘密を語る彼は、いつもよりもいっそう壁を作り、カミラを拒んでいた。
――かたくなすぎるわ。
アロイスの立場に立ってみれば、カミラだって気持ちはわかる。カミラが同じ立場だとしたら、罪の意識に溺れるか、「自分はなにも悪くない」となにもかも正当化するかの、どちらかになるだろう。
真面目なこの男は、正当化することを許せなかったのだ。仕方がない事だった、事故だった、自分は悪くない。そう言って逃げることを認められなかった。
慰めを拒み、許しを拒み、誰も彼もを遠ざけて。そうして、自分一人で抱え込んで、一人だけ苦しんでいく。
ああ、とカミラは心の中でつぶやいた。そうだったんだ。
――罪滅ぼしなんだわ。
他人本位で自己犠牲的な彼の性格は、ここからきていたのだ。わがままも、望みもなく、良き領主たろうとする。
それはきっと、失った父と母への償いため。
――でも、本当にそれだけ?
告白するアロイスの態度に、微かな違和感がある。
秘密を明かしながらも、カミラを拒み、さらに心の守りを固める理由。彼の心は、まだ守りたいものがあるはずだ。
誰の言葉も届かず、誰にも開かれない心の奥底にあるものは、なに?
「カミラさん」
アロイスに呼びかけられ、カミラは顔を上げた。アロイスは少し椅子から身を乗り出し、カミラの顔を見つめている。先ほどまでとは違う様子に、カミラは首を傾げた。
「カミラさん、王都へ戻りたくはありませんか?」
「……はい? どうしました、急に」
いぶかしむカミラにも、アロイスは引かない。同じ質問を繰り返す。
「もう一度戻れるとしたら、どうしたいですか?」
「どうしたんです。王都なんて今は――」
「お答えください」
カミラの疑問など意に介さず、アロイスは強引に聞き出そうとする。珍しい押しの強さに、カミラはちょっと身を引いた。
――王都へ戻りたいかと言えば、それは……。
「戻りたくないわけではないですけど」
王都でやりたいことは無数にある。アロイスを利用して見返してやりたい、とは今さら言わないが、それでもやっぱり貴族たちやリーゼロッテは許しがたい。テレーゼにだって何か言ってやらなければ気が済まないし、カミラの両親にだって同じだ。本当にテレーゼを養子に迎えたのか、問いたださねばなるまい。侍女のディアナにも会いたいし、通っていた孤児院の子供たちも気になる。
ユリアン王子にも――もう一度見て、諦めたいと思うくらいの未練はある。
しかし、それはそれ。
「今の話とは別の問題です」
「そう。戻りたい。そうですよね。わかりました」
アロイスは不思議なくらい人の話を聞かない。カミラの返答に一人、なにもかも悟ったように頷いた。
「戻りましょう、カミラさん。あなたはもう、王都へ帰ることができるのですから」
「え」
「ユリアン殿下から書簡が届きました。殿下の結婚を機に、あなたが王都へ戻ることを許すと」
「な……」
「殿下の結婚式に、私はあなたを王都へ送り届けます。そこから、あなたは自由です。モーントンに戻る必要もありません。私との結婚も、白紙に戻しましょう」
――――――な。
「なんですって――――!!?」
カミラは思わず、椅子から立ち上がって叫んだ。
――王都に戻る? 許される? 結婚が白紙? いえいえ、今はそんな話じゃないわ!
頭の中が混乱している。どれから処理をすればいいのか。立ち上がったはいいものの、続く言葉が出てこない。
目の前ではアロイスが、心の壁めいた穏やかな表情を浮かべている。カミラが王都へ帰ることにも、結婚を白紙にすることにも、今まさに驚いているカミラの存在にも、彼は鉄の表情を崩さない。内心がまるで見えなかった。
対するカミラは、自分でも驚くほどわかりやすく困惑していた。
「で、でも、私との婚約は? 二十四になる前には答えるって、約束しましたでしょう!」
「忘れてくださって構いません」
「いいんですか? 私と結婚したいんじゃないんですか? そのために痩せて、運動だって始めたのに!」
「私はいいんです」
当たり前のようにアロイスは答えた。なにがいいのか、カミラにはさっぱりわからない。
「私のことが好きなのでしょう! 諦めるんですか!? その程度なんですか!?」
「あなたを想う気持ちに変わりはありません。ですが、この方がきっとあなたのためです」
「私のためって!」
激昂するカミラと、落ち着き払ったアロイスは対照的だ。どうしてアロイスがこんなに落ち着いていられるのかわからないし、どうして自分がこんなに憤っているのかも、カミラ自身わからない。
ただ、まるで未練を見せないアロイスに、どうしようもなく腹が立つ。
「私は罪人です。罪人の土地、罪人の妻に、あなたは似合いません」
アロイスは諭すように、ゆっくりと話す。
「それに私は、自分で操ることのできない危険な力を持っています。いつ、あなたを傷つけるともしれません」
「だからどうしたっていうんです!」
「あなたを傷つけたくはありません。あなたが傷つくのを見たくもありません。私でなくとも、この土地にはあなたを傷つけたい人間が多くいます」
「だから、なんだっていうのよ!」
そんなことはどうでもいいのだ。王都にだって、カミラを傷つけたい人間は無数いた。この土地にだって、カミラと喜び合った人間がたくさんいる。そんなことでアロイスに心配されるほど、カミラは傷つきやすくも、打たれ弱くもない。
魔力の暴走だって、そもそもカミラはろくに魔力を持たない。ぶつかり合って暴走なんて起こるはずもないではないか。
「私のことじゃないわ! アロイス様はどうしたいの! 私が居なくてもいいっていうんです!?」
「私は、あなたがより居心地の良い場所にいてくだされば、それでいいんです」
だから王都へ戻れと。
アロイスの薄い笑顔が、カミラをひどく苛立たせた。自分のことは語らずに、寄せ付けずに、人のためだと口にする。
変わったと思っていたけれど、この男の本質はなにも変わらない。表面的に人に触れ、相手が誰でも変わらない、お手本みたいな優しさを撒く。一見すれば真摯で誠実。だけどその実態は血の通わない、ただのはりぼてだ。
カミラは両手を握りしめた。怒りで表情が、どうなっているのかわからない。頭が熱く、しかし胸はひやりと冷たい。
唇が震える。息を吸い込むと、腹の底から激情が溢れてきた。
「ふざけないでちょうだい! この――――小心者!!」
今のアロイスには、カミラ渾身の叫びさえも届かない。