第七十話:宵闇の奪還作戦・後編
遺跡最奥の礼拝堂はクリスの放った爆炎によって炎と黒煙が舞う空間となっていた。
その奥では二人の男が此方を睨みつけている。
その内の一人、赤と黒の衣を身に纏い、長錫を構える魔術師然とした若い男は此方に強い敵意を眼差しに載せている。逆に隣に立つ、鞘に収まった刀剣で爆風に耐える着流しにざんばら頭の男はというと敵意とは異なる表情で此方を見つめていた。
「かなり強そうだな…」
「ええ、間違い無く…私でも感じます」
俺達が強いと感じたのはサヴィオラの側に立っていた着流しの男だ。この男からは明確な敵意は感じないが、その代わりに近づくだけで切り刻まれそうな威圧感を感じる。
そんな中、魔術師の男が爆炎の舞う中へ歩み出ると如何にも不機嫌そうに話し始める。
「全く、おたくら…いきなり人の寝床を襲うなんていい度胸してるじゃないか、ギルドで手配書でも見てこの火山のサヴィオラの首でも取りに来たのかい? …だとしても、礼儀のなってない子供だねぇ」
その時、爆発の影響か、天井から石が落ち始める。
天井から落ち始めた石は次から次に落ち始め、やがてその石も大きなものとなっていく。
小さな石がサヴィオラの頭に落ち、彼が上を見上げた途端、大きな音を立てて天井が崩落を始める。
サヴィオラは次から次に落ちてくる天井を構成していた巨石の雨霰に巻き込まれていった。
「呆気ない終わりだったな…」
「はい。所詮小悪党、ですね」
「二人とも油断しちゃだめだよ」
天井の崩落によって発生した砂埃が落ち着くと崩れた天井の石で瓦礫の山が出来上がっていた。その中には押し潰されたサヴィオラの死体が残っている…かと思ったその時だった。
「待て!」
瓦礫の奥から声が聞こえた為、後ろを振り向くとどうじ瓦礫となったいくつもの巨石が真っ二つに割れていく。否、割れたのではない。その割れ口は明らかに斬られたものだった。
次々に斬られていく巨石の向こう、そこにはサヴィオラと側にいた着流しの男が無傷で立っていた。
「ご苦労、カネミツ、助かったよ。さて、これから僕はこの三人にお仕置きしなきゃあならない。手伝って貰うよ? せっかくの寝ぐらもこれじゃあ使い物にならないし…この落とし前彼らの命で償って貰わないと、ね」
「…御意」
カネミツと呼ばれていた男はサヴィオラに小さく応えると、視界から姿を消した。
動き出す瞬間は捉えたが、一瞬の瞬きの内にカネミツの行方を見失い、剣を構える。
「セオ、危ない!」
フォルクの声が後ろから聞こえると同時に俺の左腕を掠めて矢が飛んでくる。右に曲がる矢が俺の真正面のやや低い位置で止まった。
そこには先程視界から消えたカネミツが手に持つ刀で矢を受け止めていた。
「セオ、この剣士は僕と一緒に対応しよう。クリスはサヴィオラを。お互いしっかりね!」
フォルクがそう言うとクリスはすぐに俺達と距離を取る。クリスとサヴィオラの戦いは魔術の撃ち合いになる為、俺達を巻き込まない様にという配慮だろう。
「こんな少女一人で僕を倒そうなんて僕も舐められたものだ。カネミツ、その二人は僕がこの娘を炭クズにするまで殺さない程度に痛めつけておけ。僕の仕事の邪魔と寝ぐらを台無しにしてくれた事を後悔させてあげよう!岩棘!」
サヴィオラが魔力を込めた長錫を地面に当てると同時に無数の岩の棘がクリスに押し寄せる。しかし、一直線の軌道だ。クリスは難なく避ける。
「無詠唱魔術…!」
クリスは如何にも驚いた様な顔をして声を漏らす。自分も当然の様に使っている筈だがどうやら演技をしているのだろう。
「余所見をしていてもよいのか?」
正面から刃が迫る。咄嗟に騎士剣を振り抜くと、ぶつかり合った刃が火花を散らした。
「本当ならば童に刃を向けるような真似など武士の所業に非ず。しかして、俺も立場故にあの男の命に従わねばならぬ。せめて直ぐに死んでくれるなよ!」
一合、二合、次々に繰り出されるカネミツの剣にこちらも対抗し、攻撃を往なしていく。
フォルクもこちらの攻撃に合わせて矢を放つが、カネミツはその悉くを体捌きだけで躱している。
「くっ…!流石になかなか当たってくれないね…!」
俺達が戦っている最中にも、クリスとサヴィオラの戦いは進行している。依然としてサヴィオラの攻勢が続いており、クリスは防戦一方だ。
「どうしたどうした!僕を仕留めるんじゃなかったのかい? 火球!火球!火球ゥゥ!」
サヴィオラは一方的な攻撃を続け、次第に攻撃を当てず、ギリギリの位置を攻撃するようになり、言動も調子付き始める。
「ハハハハハッ!いつまでそうやって逃げ続けるつもりだい? 土槍!そらそらっ、さぁそろそろ逃げ場がなくなってきたんじゃあないか?」
「くっ…氷の刃よっ…敵を穿てっ!氷針!」
先程から続け様にサヴィオラが中級魔術を放つのに対し、クリスはひたすらに避け続け、漸くの反撃もわざわざ詠唱してからの初級魔術での反撃だ。
真正面から放ったクリスの氷針はサヴィオラに簡単に避けられてしまう。
「なんだい、その哀れな魔術は!さっきの爆炎はどうしたんだい!? もしかしてあれでもう魔素が尽きてしまったのかい? 上級魔術レベルの威力はあったはずだけど…身の丈に合わない事はするべきじゃあ無かったね!爆炎ッ!」
クリスはサヴィオラが爆炎を放つ寸前、後ろに飛び退く。そしてあの魔術を使用した。
俺はカネミツの攻撃を受けながらクリスの唇の動きしか見えなかったが、サヴィオラの放った爆炎による爆風がクリスに届く寸前で遮断されるのが一瞬だけ見えた。
魔術の爆風で再び濃い砂埃が舞い、クリスの姿が隠れてしまう。サヴィオラは砂埃でクリスの姿を見失うもの、勝ち誇った様にその表情に笑みを浮かべていた。
「ーー火矢」
砂埃の中から魔術の名が聞こえてくる。その瞬間、砂埃のカーテンを貫き、矢の形に形成された炎の塊がサヴィオラを目掛けて飛び出した。
炎の矢はサヴィオラの頬を掠め、遺跡の壁に当たると一瞬、爆発する様に燃え上がり消えていった。
火矢が掠めたサヴィオラの頬には小さい火傷の痕が残り、血を滲ませていた。
「なんだ今のは…火矢…? あれが火矢だと…? それ以前に爆炎が効いていない…避ける場所なんて無かったはずだぞ…? 何故だ…何故効いていないっ!」
サヴィオラは明らかに混乱していた。本来格下であると思っていた相手に、魔素切れを起こしていたと思っていた相手に、追い詰めたと思っていた相手に攻撃を躱され、あまつさえ反撃を許した事にサヴィオラの理解が追いついておらず、先程の余裕の表情は完全に崩れていた。
「貴様ァァッ!出て来いッ!僕にッ!この僕に何をしたァッ!」
取り乱したサヴィオラがクリスに対して怒声をあげる。舞い上がった砂埃が漸く晴れ、砂埃で少し汚れたクリスが姿を現わす。
「貴ッ様ァァァッ!紅…」
「火矢」
怒りに身を任せ、上級魔術を放とうとするサヴィオラにクリスの火矢が放たれる。クリスの放った火矢は今度はただの火の塊程度の威力でそれはサヴィオラの肩を直撃し、魔術の使用を阻止した。
「無詠唱魔術ッ…!? バカな…、バカなバカなバカなバカなァァッ!」
「別に無詠唱魔術が扱えるのが貴方だけでは無いという事です。そして先程までの攻撃で確信しました。貴方では私には勝てません」
クリスはサヴィオラに対し、そう言い切った。
実質的な勝利宣言だ。先程から攻め続け、一方的に攻撃を繰り返していたが、その相手にそう告げられたサヴィオラは烈火の如く怒る。
「アレをどう防いだのかは分からないが、あまり調子に乗るなよ…!僕を虚仮にして…もう許すものかっ!もう泣いて謝っても許しはしないっ!」
サヴィオラは長錫を投げ捨て、両手にそれぞれ赤と橙の光が満ちさせる。捕らえた男が話していた炎と土の複合魔術、溶岩を操る魔術を放たんとしているようだ。
「慢心、軽侮、驕誇。元々才はあったのでしょうが、それに驕り、相手を上辺や容姿だけで格下と見下し、上には上がいるという事を考えなかったのが貴方の間違いです」
クリスの指摘でサヴィオラは怒りで更に顔を歪ませる。クリスはサヴィオラを煽りに煽り、サヴィオラの最大の魔術を引き出すつもりだったのだろう。その為にここまで演技をしていたのだ。
カネミツはその先の勝敗の行方を悟り、サヴィオラの援護へと向かおうとするが、カネミツの足元に次々に矢が刺さる。カネミツが数歩退がる所に俺も袈裟に斬りかかる。弾かれはしたもののカネミツは蹌踉めいていた。
「おっと…言ったはずだよ?君は僕とセオで対応するってね」
「クリスには指一本触れさせやしないっ!
「ぬう…」
俺とフォルクの手によって足止めを食らったカネミツも容易にサヴィオラの援護に向かえないと判断したのか唸る事しかできなかった。
サヴィオラはクリスから浴びせられた挑発によって怒りを増す。それに合わせ、彼が両手に宿した魔力の光は更に強く輝いている。
「僕を…僕を見下すんじゃあないっ!もう容赦などするものかっ!僕を侮辱する奴は炭クズすらも生温い!大噴火ッ!」
「クリス、跳べっ!」
「!…暴風!」
「何ッ!?」
サヴィオラが怒りを叫びながら両手を地面に当てると同時にクリスが立っていた地面が赤熱し始める。やがてその地面は黒煙を上げて溶解し、灼熱の溶岩が噴き出した。しかし、既にクリスは自ら放った風魔術の爆風で飛び上がり、サヴィオラの背後へと着地する。
「くっ…躱された…だと…?」
「一撃必殺とも呼べる程の複合魔術、その威力は凄まじいですが、躱されれば意味が無い。そして、無駄に魔素を使ったのが最大の敗因です」
サヴィオラは大噴火を放って直ぐに片膝をついていた。最初から無詠唱で魔術を撃ち続け、怒りに任せて残る魔素を注ぎ込み自身最大の魔術を放ったサヴィオラは魔素欠乏に陥り、行動すらままならない状態となっていた。
「貴方は魔素総量も魔術の力も、応用力も魔術の要素全てにおいて私の足元にも及びません。貴方は捕らえてギルドに引き渡します」
「…く…くそっ、お前は一体…」
クリスの手に紫色の魔力が宿る。
「麻痺毒の風!」
クリスが魔力を解き放つと同時に黄金の風がサヴィオラを包む。
「く…おのれっ…!あ…ああ…。かっ…かはっ…」
麻痺毒を含んだ風に包まれてサヴィオラは振り払おうと必死に足掻くが、毒が回るに連れてその動きは徐々に鈍くなり、風が止む頃には全身を痙攣させてサヴィオラは力無く地面に伏せる。意識はあるようだが、全身が麻痺し、動く事はできない。勝負ありだ。
「貴方程度の魔術師に名乗る名前などありませんよ」
クリスは床に伏せ痙攣しているサヴィオラにそう言い放つ。
俺達の目的は達した。あとは残るカネミツというサヴィオラの用心棒がどう出るか。そこで敢えて俺はカネミツに声をかける。
「さて、貴方は彼の用心棒と聞いたがどうする? このまま戦うなら三対一だ。目的は済んだ以上、無駄な戦いは避けたい所だが」
カネミツはサヴィオラをしばらくじっと見つめた後、抜いていた刀を鞘に収めた。
「ふむ…これまで、か。この男には恩はあるが、非道を重ね続けてきた。雇われていたが故に従ってはいたが最早これまでよ。童、よもや此方側で我が剣を受けきられるとは思わなんだ。命あらばまた手合わせ願おう。某、ワダツミの剣士、カネミツと申す、名を名乗られよ」
「俺はセオドア、セオドア・ホワイトロック。本物の侍と斬り結べるなんて思わなかったよ」
「ふむ、その名しかと覚えておく。しからば御免!」
自らワダツミの剣士と名乗ったカネミツという剣士は素早い身のこなしで石積みの壁を駆け上り、天井の穴からこの場を去った。
天井の抜けた遺跡の礼拝堂からは空が既に白み始めているのがわかった。
そういえばミハイル達は既に救出を終えたのだろうか、
「さぁ、サヴィオラを連れて帰ろう。クリス、お疲れ様」
「ええ、兄様もフォルクさんも、お疲れ様でした」
フォルクがサヴィオラを担ぎ、俺達は荒れ果て、未だ火が残る遺跡を後にした。




