第五十三話:いい日旅立ち
「…痛っ…」
目が醒めると同時に強烈な頭痛に襲われる。昨日はクリスのせいで随分飲まされてしまった。最後の葡萄酒を飲み干してからの記憶がない。この頭痛は恐らく二日酔いによるものだろう。
ベッドから体を起こそうと手に力を入れると柔らかい感触を覚える。嫌な予感がしてついた手の先に視線を恐る恐る向けた。
俺の手が触れていたのは双丘の片方、慌てて手を離し辺りを見回すとやはり脱ぎ捨てられた服がある。
そう、俺の隣で眠っていたのは全裸の妹だった。しかも俺の服も剥かれており、兄妹で全裸で同じベッドに眠っていたのだ。とにかくベッドから出ようとするがクリスは眠ったまま俺の腕にしがみついてきた。
その瞬間、扉の向こうからノックが聞こえ、返事を待つ事なく部屋の扉が開かれる。扉の先にいたのはジャックだった。
「お前らまさか…ムグッ…!」
俺はクリスの腕を振り払い、立てかけてあった剣を抜いてジャックを口を塞いで喉に刃をあてがいながら壁に押し付ける。
「ジャックさん?貴方は今大きな勘違いをしている。いいですか?」
ジャックはカクカクと首を縦に振り、黙って部屋を出た。
俺もベッドの周りに散乱している自分の服を着て部屋を出るとジャックは冷や汗を流して待っていた。
そのまま誰もいない食堂でジャックに話す。
「まずクリスですが、妹は酒癖が悪いんです。以前もああやってベッドの中で服を脱ぎ捨てていた事がありました」
「じゃあお前が脱いでたのは?」
「恐らくクリスに剥かれたかと。少なくとも兄妹でそんな関係はありません」
俺はキッパリそう言い切るがジャックは未だに訝しげな表情のままだった。
そんな表情を浮かべたままジャックが話題を切り替える。
「…それはそうと、今日出発だろ?二日酔いとかは大丈夫か?」
「…完全に二日酔いです」
俺がそう即答するとジャックは爆笑していた。
「アッハッハッハ!だろうな。なら後で治癒魔術で解毒して見な、だいぶいいと思うぜ?」
二日酔いの対処法を話し、ジャックは引き続き話しを続ける。
「さて、一応アリーシャとアンリエッタには話しておいたが、船についてだ」
ジャックはアトラシア大陸の地図をテーブルに広げると西アトラシアと東アトラシアを繋ぐ細い陸路にある国境よりやや西側の街を指差す。以前迷宮探索へ行く際に通り過ぎた港街だ。
「ここの港街、ヘイミルから船が出てる。確か冒険者なら普通より安く乗れる筈だ。とりあえずはこの街を目指せ。そこから船で直接ドルマニアン諸島に行けるはずだ」
ジャックはそこまで言うとすぐに外出の準備を始める。
「外出ですか?」
ジャックに尋ねると「ああ、ちょっとな」と簡単に返事を返す。そして気が付いた様に質問を返してきた。
「そういや、いつ頃出発するつもりだ?」
「もう準備は粗方済んでますし、みんなが起きてそれからですから昼前頃、陽の五刻までに、ですかね」
ジャックは「そうか」と一言返しそのまま屋敷を後にした。
ジャックが外出するのを見届けた後、すぐに解毒を自らに施す。するとジャックの言っていたようにすぐに頭痛が治まり、体の倦怠感から解放される。
刻陽石を頭に描き現時刻を確認すると現在は陽の二刻、二日酔いながら随分と早起きしたものだ。そうしている内に廊下から足音が響いてくる。廊下を歩いていたのはアンリエッタだ。
「あらセオドア様、もう起きていらしてたのですね」
アンリエッタには二日酔いの様子は無い。昨晩酒を適量で済ませたのはジャックと彼女だけだ。
「アリーシャとマリオンはまだ寝てるんですか?」
「ええ、彼女たちは昨晩、随分と遅くまで飲んでいましたので」
マリオンはともかくアリーシャまで置きていないというのは珍しい事態だ。とはいえ、アリーシャも既に侍女の身ではない。俺達と同じく、一人の冒険者だ。
アンリエッタと二人で簡単に朝食を済ませ、旅の荷物を確認していると漸くアリーシャが慌てて起きてきた。
「セッ…セオドア様っ!すみませんっ!私としたことがつい寝坊をっ!」
「いいよ、もう侍女じゃないんだし、気にしないでいいさ。荷物の確認はアンリエッタと二人で済ませるからそろそろクリスを起こして朝食を済ませてくれ」
アリーシャは「心得ました」と一言、クリスの寝ている寝室へ向かった。直後、アリーシャがクリスを叱責する声が部屋から廊下まで響いてくるのがわかった。その声でマリオンも起きてきた。
「…朝からうるっさいわねぇ。あら、昨日は完全に潰れてたってのに随分早いわね。二日酔いは無かったの?」
「いや、バッチリ二日酔いでしたよ。解毒魔術で治しましたけどね」
マリオンは「そう」と呟きながら水を飲み、テーブルの椅子に座ると俺が旅の荷物の確認をしている様を眺めていた。
「今日でお別れね。見送りぐらいはいくわよ?」
「少し寂しくなりますね。そういえば、僕たちと別れた後はまた独りで冒険者を続けるんです?」
頬杖をついて目を細めながら見送りに来る旨を話すマリオンに質問を返す。
「そうね…Sランクまで頑張るとして、そこから王都に行って騎士を目指すわ」
マリオンと会話をしているとクリスの着替えが済んだのかアリーシャと共にクリスが食堂へとやってくる。その足取りは二日酔いの所為なのか、アリーシャにたっぷりと絞られた所為なのかはわからないが、元気がなかった。
「…おはようございます兄様」
「ああ、おはようクリス。ゆっくり眠れたか?」
「眠れはしましたけど…」
クリスは顔を赤くして口を濁す。裸になって俺の横で寝ていた事を思い出しての反応だろう。
「…当分酒は禁止な?」
俺はクリスにそう宣告すると、力無く「はい…」と返事を返した。
俺とクリスがやりとりをしている間にアリーシャは朝食の用意を始めていた。
「私達は朝食にしますがマリオンとアンリエッタ、セオドア様はいかが致しますか?」
「俺とアンリはもう済ませたよ」
「アタシは貰うわ」
俺とアンリエッタは引き続き荷物の確認を行う。アンリエッタは先程から黙々と作業を続けており、最後のバックパックの確認に取り掛からんとしている所だ。
程なくしてアリーシャが三人分の食事を運んでくる。クリスとアリーシャ、マリオンの三人は少し遅めの朝食を取り始めた。
俺はというと会話のせいで荷物の確認が遅々として
進んでおらず、まだ半分も終わっていなかった。
中を取り出しながら確認していると何やら薄い絹のような肌触りの良い布切れに触れる。
どうやらハンカチとかそういった類のものは俺の持ち物には無かった筈だ。
俺がそれをバックパックから取り出し、確認する為に広げようとした瞬間だった。アンリエッタは一瞬のうちにその布切れを俺から奪い、後ろ手に隠してしまった。
「いいい今のは私の荷物ですわ!まま間違ってセオドア様の荷物に紛れこんでしまっていたみたいですわ!」
アンリエッタは布切れを自分のバックパックに突っ込むと顔を真っ赤にしていた。
アンリエッタが俺から奪い取った小さな布切れは黒く、また刺繍が施されていたのがわかった。
「へぇ…。それ、何に使うのかしら?」
マリオンはアンリエッタを向いてニヤつきながら呟きつつ、朝食のパンを咀嚼していた。
「マリオンには関係ありませんわ!」
アンリエッタはマリオンを怒鳴ると最後のバックパックの確認を終わらせ食堂を後にすると、それと同時にマリオンも席を立つ。
「じゃ、アタシは着替えてそのまま先に東門で待ってるわ」
マリオンは手を振りながら食堂を後にする。残ったのは俺達渡航組の四人だけだ。時刻はもうすぐ陽の四刻。俺とアンリエッタが旅装に着替えている間にクリスとアリーシャは朝食の片付けと自身の荷物の確認をしてもらっていた。
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全員の出発準備が済んだ。いよいよ出発だ。
「半年以上滞在してたけど、たった一年足らずで色んな事があったな…」
「バレンティン夫妻との出会いに始まり、棘土竜の群れとの戦闘、アンリエッタさんとの決闘…」
「歪魔獣との戦闘では大魔術まで見れましたわね」
「カルマン村に一度戻って殺人蟷螂と戦闘、そして『帰らずの迷宮』の踏破、ですね」
それぞれがこの一年足らずの間にあった出来事を思い返す。思えばカルマン村にいた頃に比べれば間違い無く激動の半年余りの期間と言えるだろう。
新しい戦い方や装備、仲間達との出会い。語学も身につけた。冒険者としてもほぼS級に手が届く位置だ。
「名残惜しいけど…行こう!」
俺の声に三人が頷き、屋敷を飛び出す。
そのまま俺達は真っ直ぐエルダの街の東門へと歩を進めた。
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東西を繋ぐ大通りを通り、中央街、東居住区を経て東門周辺の市場まで辿り着く。そこには顔馴染みのスキンヘッドの男が壁を背にもたれかかって待っていた。
「よう、いよいよだな?」
待っていたのはジャックだ。彼にはこの街で随分と世話になったがいよいよ今日でお別れだ。
「はい、随分とお世話になりました。いつになるかはわかりませんがまたエルダに戻ってきた時は必ず会いに行きますよ」
「屋敷は貴方の好きな様に使って構いませんわ。ただ騎士区の屋敷だからあまり羽目を外し過ぎないようにお願いしますわね?」
ジャックは苦笑しながらポケットから何かを取り出し俺に投げ渡した。
手を開いてみるとそこにはジャックが迷宮探索で使っていたレンズがあった。
「いいんですか?」
「ああ、もう流石に迷宮探索は俺にゃあ荷が重いしな。餞別がわりだ、悪いがそんくらいしかやれるもんはねぇぞ」
「いえ、十分です。大事に使いますよ」
俺はそう言ってレンズをバックパックにしまい込んだ。
「じゃあ東門まで送るとするか」
ジャックはそう言って東門まで俺達と並び歩く。
東門は異様な盛り上がりを見せていた。ギルドマスターのカリサを始め、ギルドの酒場の顔馴染み達、ブルームーン家の夫婦は街の守護騎士団を引き連れて。
その人混みを押しのけて、否、押し倒しながら一際小柄で褐色の肌をした少女が金髪のツインテールを揺らしながら走りかけてくる。
「遅い!待ちくたびれたわよ!本当にギリギリまで出てこないとは思わなかったわ!」
俺達の前に出て怒鳴り散らすのはマリオンだ。彼女も俺達を見送りに東門で待っていた。
「東門まで来てみたら守護騎士やらギルドの人間は集まってるわでホントビックリしたわ!」
確かにただの冒険者の見送りにしてはやけに人が多い。ギルドやバレンティンには出発の時間は知らせていなかったはずだ。俺達はまさに鳩が豆鉄砲を食ったような顔で辺りを見回している。
「ハハハ、我々を此処に呼んだのはそこにいる君の仲間さ」
「夫もそれを聞いて居ても立ってもいられないで騎士団の方々まで連れて来たんですのよ?」
「ジャックに呼ばれなかったら来てなかったわよぉ?」
バレンティン、グラディス、カリサの三人をここへ呼び出したのはジャック、そしてその三人がこうして多くのギャラリーを呼び出したわけらしい。ジャックは白い歯を見せて満面の笑みだ。所謂サプライズというやつだ。恐らくやけに今朝早くに屋敷を出たのはこのためだろう。
「君達の旅に幸多からん事を」
「またエルダに戻ったらいろいろお話を聞かせて頂戴ね?」
「次に戻ってきた時はSS級以上の冒険者になってるかしらねぇ?ちゃんとウチのギルドの宣伝もお願いねぇ?」
「戻ってきた時には王都の騎士になってるかもしれないけれど、ちゃんと顔見せに来るのよ?いいわね?」
「じゃ、気ィつけてな」
見送りに来た面々が口々に送り出す言葉を俺達に贈る。もちろんジャック達だけではない。ギルドの連中も騎士団の面々も俺達にエールを贈る。
「みんな、ありがとう!行ってきます!」
俺は大きな声で全員に出発を告げ、エルダの街を後にする。
街を離れながら振り向くと皆が手を振り続けていた。それはエルダの街が見えなくなるまでずっと続けられていた。




