第二話:目覚め
気が付くと俺はベッドで眠っていた。隣には赤ちゃんがいる。
目の前には少し日焼けをした茶髪の爽やかな青年と、色白の白金の髪の美しい女性が俺の顔を覗き込んでいた。
(誰だろう…)
少し横を見ると今度は亜麻色の長い髪の女性が此方を優しい笑みで見つめている。
(外国人…?)
「――…―――――…――――――――――――――――…」
白金髪の女性が此方を見て、男に笑顔を見せながら話しかける。
「―…―――…――――――…――――――――…」
男はちょっと驚きつつも笑顔で俺の顔を撫でながら笑顔で返す。
声はよく聞き取れないが仲睦まじい様子が伺える。
「あ…うあ…、あーあー…」
体を起こしてここはどこなのか、自分が誰なのかを聞こうとするが呻き声とも喘ぎ声ともつかぬ声だけが漏れる。体も上手く動かず手足をジタバタさせるだけだ。それを見るなり男女はさらに顔を綻ばせていた。
(確か突然視界が開けて…黒い炎が隣の赤ちゃんに入っていって…それで…)
なんとなく理解した。
恐らくだが俺はこの赤ちゃんに憑依した。視界が開けた時、黒い炎が隣の赤ちゃんの中に飛び込むのを見た後、俺もこの体に飛び込んだのだ。
その時にこの赤ちゃんの魂に入りこんだ。これが『竜人』が言っていた転生というヤツなのだろう。
しかしこの体は頗る不便だ。思うように動くこともできない。確か…当時は体育や部活で元気に動けた筈だったが…
「あー、あー」
手足を動かしていると何やら不快な感覚に襲われる。どうも股の当たりがむず痒い。自分で確認しようと思ったが体は動かない。股間のあたりに妙な潤いを感じる。
…どうやら俺は漏らしてしまったようだ。年頃の男女3人の目の前で。
白金髪の女性はどうやら隣の赤ちゃんに母乳を与えている様だ。
「―――――…――――――――――――…―――――…」
白金髪の女性が俺に気が付くと亜麻色の髪の女性に声をかける。
亜麻色の髪の女性が呼びかけに応じ、俺の身につけている濡れた布を手際よく交換する。
股間の不快感が取り払われると白金髪の女性が俺を抱きかかえ、乳房を露わにする。
この世界へ転生する前、高校生だった俺にはとても刺激的な光景だ。しかし不思議と興奮はしない。微かに感じる空腹感に導かれるように俺は彼女の乳房に吸い付いた。
空腹感が満たされると一心地ついたのか強い眠気に襲われる。
俺は眠気に抗うこと無く静かに眠りについた。
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それから半年程の月日が経った。
赤ちゃんではあるが元々十七歳だったこともあり俺の視点からすれば父と母は少し年上の
兄と姉のような感覚だった。妹もこんな感覚だったのだろうか。言葉も少しずつ理解できるようになった。日本語ではないが、この世界での生活の中である程度は理解できるようになった。
まだ立ち上がれる程、体が発達していないのでハイハイではあるがある程度動き回れるようになったので家の中を見て回ってみたが、どうもこの世界は中世ヨーロッパのような世界で電気製品といった類のものは見当たらず、照明なんかはカンテラやロウソク、それと光る石のようなものを利用しているようでまるでおとぎ話の中の世界のように思える。しかし、俺の好奇心を他所に父と母は少し心配そうに俺を見ていた。
「セオ、目を話すとすぐどっかに行っちゃうのよね。台所とかにも勝手に入っちゃうし…ちょっと心配だわ…」
「まぁ外には出ちまうけど庭の外までは行かないから安心していいんじゃないか?」
「あんまり泣かないのもちょっと心配になるのよね…クリスは逆によくぐずるから何かあったかすぐわかるんだけど…」
あまり泣かない事とあっちこっち動き回るのを心配しているらしい。
何かあった時は泣けばいいし、動き回るにしても出来る限り両親から見える位置と敷地の外には行かない事だけは俺の中で決めているルールだ。赤ちゃんが突然居なくなると親が心配する事はよくわかっているつもりだ。
それに引き換え、妹はよく泣く方だ。特に何も無いにも関わらずよく泣いている。構ってほしいお年頃なのだろうか。
ハイハイで移動できるようになり、周辺の事情もいくらか解ってきた。まずこの家はかなり裕福である。
外に田園風景が見えるあたり、この一帯は村と呼べるレベルの集落だ。
その中でこれだけの屋敷を構えており、使用人までいることを鑑みるとこの集落を治めている領主、あるいはそれに準ずる家柄であることは伺える。
外の家もまばらで一面の小麦や野菜の畑のなかにぱつぽつと家が建っているが少なくとも俺の生活しているこの家に比べるとかなり小規模だ。
元の世界に比べると不便ではあるがそれでもかなり恵まれているのだろう。それだけはよく解った。
この世界では本もそれなりに貴重らしい。母は前世の母と同じく読書好きだがそれと比べると本の量はかなり少なく、父が偶に母へのプレゼントに本を持って帰ると飛び跳ねて喜んでいる。
俺も字を覚えるために本を読もうすると母が読み聞かせてくれた。時には使用人のアリーシャが代理で読むこともあった。手がまだ発達していない為、字を書くことは出来ないが絵本程度であれば読めるようにもなった。
父の書斎に忍び込んだ事もあった。好奇心で書斎に入ると部屋の隅に短剣が置かれていた。短剣と言っても元の世界にあった包丁に比べれば大振りではあるが。
中学生にとって武器と呼べるものは子供心を擽られる。俺もご多分に漏れず、興味津々で鞘から短剣を抜くと美しい刀身に目を奪われた。
父が慌てて書斎の扉を開いたのに驚き、うっかり短剣の刃に触れてしまった。手に鋭い痛みを感じ、手をみると赤い液体が手から流れていた。
「セリーヌ!セオが!」
その姿を見た父が慌てて母を呼ぶ。母が父の声に気付き書斎に飛んでくる。
「アルフ!子供の手が届く所に武器を置かないでって言ってるでしょ!…これは立派に切ったわね…」
母は父を叱りながら、俺の手の傷を見ている。
すると母は俺の手に自分の手を重ね、目を閉じた。
「命を育む陽光よ この者の傷を癒やし給え…治癒!」
母が呪文を唱える。
すると驚くことに手のひらから流れる血が止まり、さらに傷跡も痛みも跡形もなく消えてしまった。
この世界にはどうやら魔法があるらしい。俺も魔法を学ぶ機会を見つけなければ…。
そんな事を考えていると母がややヒステリック気味に父に迫る。
「あのねあなた!この子はまだ生まれて一年も経ってないんだから、私やアリーシャの目が届かない時はもっとちゃんと面倒見てあげてちょうだい!」
「ああ、本当に済まない、でもだな、これだけヤンチャできるくらい元気なんだ。子供が元気なのはいいことだろう?転んだり、落ちたり、子供に怪我はつきものだ。怪我をしたならその度に君が治してくれればいい。それでいいだろう?」
「でも治せない程の大怪我をしたらと思うと心配よ…」
「わかった、今度からはちゃんと気をつけるよ…」
そう父が返すと、俺を抱く母を抱き寄せる。母は顔を赤らめて黙る。
「セリーヌ、セオも、クリスも。俺の大事な家族さ。そんなこと、絶対に起こさせやしない」
父はそう言うと母にキスを交わす。父と母は暫くお互いを見つめ合っていた。俺を抱きかかえている母の鼓動が早くなるのを感じる。お熱いことである。
そうしてる内に階下から大きな泣き声が響いた。クリスの泣き声だ。
両親はハッとした顔をすると我に返ったのか父は短剣を片付けに書斎の中へと、母は階下へ泣き叫ぶクリスの許へと足早に消えていった。
その日の夜は何やら寝室が揺れているようだった。
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ある日、玄関のドアからノックが聞こえる。母がクリスを抱きながらドアを開けると大柄な赤い肌を持つ男が姿を現す。ガスターだ。
どうやら彼は俺がこの体に転生したあの夜、父の手当を受けた後、この村に滞在しているようだ。そしてこうやって時折この家を訪ねてくる。クリスはどうやらガスターに懐いているようであり、母の腕の中から手を伸ばしている。
ガスターは時折やってきては俺とクリスの様子を見に来ているようだ。
「魔力が少しずつだが大きくなっておる。この子らは魔術の適正があるようだな。もう少し育てば某がこの子らに魔術を教えるとしよう」
言っていることはよく解らないが俺もゆくゆくは魔法を扱えるようになるのだろうか。前世ではゲームをして魔法が使えたら、なんて妄想もしていたがこの世界ならばそれも夢では無いということだろうか。実に楽しみだ。
「その時は是非お願いします。私も魔術は使えますがガスターさん程ではありませんので…」
実際に治癒の魔法を受けたことがあるから言えるが、母も魔術を使えるらしい。見る限りでは畑を耕したり、植物の水やり、怪我の治療で魔術を使用している。畑仕事をしている村の人も少しではあるが魔術を使っている様子が見て取れた。
「セリーヌ殿、ご謙遜召されるな。貴女も四つの属性を行使する魔術師だ。それに治癒魔術については上級までを扱える。術師としては上位と言えよう。子どもたちも健勝のようだ。この子らはきっと立派に育つ。…さて、某は畑仕事を手伝ってこよう。それではまた」
ガスターは母を褒め倒し、クリスを一撫でし、我が家を後にした。母もまんざらではない様子で照れた顔でクリスの頬をつついている。クリスは名残惜しそうにガスターを見送っていた。
俺にも魔術への適正がある…。確か母の持つ本に魔術に関する本があったはずだ。文字が読めず読むのを断念したがもう少し文字が読めるようになれば改めて挑戦してみよう…。