第十二話:越えられない壁
俺とクリスは12歳の誕生日を迎えた。六歳と十二歳の誕生日には盛大に祝う、というのがこの世界の風習だ。
今日は早朝から誕生パーティーの準備でてんてこ舞いだ。六歳の誕生日の時より十二歳の誕生日は盛大に祝う。成人の儀を行う前の最後の大きなイベントだ。我が家の台所は大忙しだ。
「クリス、もうパイの準備はできたかしら?」
「はい、母様。もう焼けてますよ」
「クリスティンお嬢様、サラダ出来てます」
「ありがとう、アリーシャ。もう配膳して結構ですよ」
九歳の時の巨躯蜥蜴討伐、あれから変わった事といえば、クリスが台所に立つようになったこと。俺が槍、斧、そして弓の扱いの練習を始めた事ぐらいだ。
あれから目立った事件は起きていない。それこそ村中で起きた迷子や周辺の森で遭難が出た際の救出ぐらいのものだ。
「お父様ー!セオ兄様ー!そろそろ準備が終わるので戻ってきてください!」
クリスが窓から顔を出しパーティーの準備が終わりかけであることを告げる。
俺達は「ああ。すぐ戻る」と簡単に返事し、木剣を手に家に戻る。
父と一緒に体を清め、それぞれの自室に戻りパーティー用の衣装に着替え、準備を済ませ居間へと戻る。
その頃には既にパーティーの準備は出来ており、クリスがエプロンを脱ぎ、腰に手を当てて少し剥れて待っていた。
「お父様、セオ兄様。私達がパーティーの準備で追われているのに今日も稽古ですか?」
「い、いやまぁ日課だし、なぁ?」
父がこちらに同意を求めるように話しかける。
「さぁ?僕は『クリス達の手伝いをしたほうが良い。』と言った筈ですけどね、父上。…クリスは怒ると怖いですよ。…!?」
父の要求を蹴ると同時にクリスが父と俺の服の腹辺りを掴み引っ張った。
「聞いてますか!お父様、兄様!」
「は、はい!」
「今日のクリスに逆らうのはやめておこう」と俺と父は心に決めた。
今日のパーティーは前回以上に来客が多かったのは言うまでもない。俺やクリス自身、既に村中の有名人だ。自警団や村の人々とも沢山話した。中には縁談染みた話もあったがまだ俺には早いし、そのつもりもまだ無いので丁重にお断りしておいた。
クリスも村中の若い男に囲まれていた。クリス自身、まだ恋愛には興味はないようだが母譲りの美貌だ。年頃の男が放っとかないだろう。
パーティーは盛り上がっていたが、父は敢えて昼過ぎには全ての客人を帰した。12歳を祝うパーティーだ。本来ならば一日中祝い続ける宴であるはずだが、父はそれを切り上げた。
母とアリーシャは先に片付けを始めている。俺達は父の言いつけで自警団で活動する時の装備に着替えていた。母もアリーシャも何も言わなかった。既に事情は知っているのだろうが。少し悲しそうな目を浮かべてただ静かに俺達を見送った。
俺達は父に連れられて村外れの森、三年前、巨躯蜥蜴と戦ったあの場所へ向かった。
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「さて、ここなら邪魔も入らんだろう」
父は剣を抜いていた。そこには朝のような間の抜けた父の姿は微塵もなかった。圧倒的な威圧感をその見に纏って、ただ冷ややかな鋭い目線を此方に向けていた。
「何をする気でしょうか…父上?」
「お父…様?」
父が構える。明らかな敵意が此方に向いていた。父の体はせいぜい俺より一回り大きいくらいだ。しかし今は何故かあの巨躯蜥蜴よりもさらに強大な存在のように感じた。
「抜け。セオ、クリス。二人掛かりでいい。俺に勝ってみろ」
冗談ではない。父は本気だ。
「っ…!ですが…」
突然向けられる父の敵意に俺達は動揺していた。
「ですがもクソもない。構えろ!」
父が俺達をまくし立てる。言われるがままに俺は剣と短剣を、クリスは杖を構えた。
「先手はくれてやる。殺すつもりでいい。全力で…かかってこい!」
父との戦いが始まる。
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…父は動かない。此方をじっと見据えている。
「…魔力誘導弾!」
最初に動いたのはクリスだ。クリスの周囲に8発の魔力の弾丸が浮かび、父に襲いかかる。
その弾丸と同時に俺は父に斬りかかる。
父が後ろに飛び退き俺の横薙ぎを避ける。だがそのまま魔力の弾丸が父に食らいつく。
魔力誘導弾を剣で受け流し、体を捻り、全ての攻撃をギリギリで回避する。
「ハァァァッ!」
息を吐きながら俺は攻め続ける。息を着く暇も与えない。それ程の相手だ、守勢には回れない。一度守勢に回ったら押し切られる。そんな感覚が背筋を走った。
金属のぶつかる音が響く。剣戟は全て受け止められる。
そして先程後ろに逸れた魔力誘導弾が戻ってくる。
着弾に合わせバク転で距離を取る。
「放電撃!」
クリスの杖から電撃が迸った。父は剣を斜めに振り上げ電撃を遮る。そして左手の拳で魔力誘導弾を全て撃ち落とす。
「どうした、そんなものか?」
父の鋭い剣のような眼差しが俺達兄妹を突き刺す。
「まだまだっ!」
先程のように俺は攻める。攻撃の隙は与えたくない。突き、薙ぎ、袈裟、振り下ろし、斬り上げ。両手の剣から繰り出す全ての攻撃をいなされる。クリスの魔力を感じ、再びバク転で一旦距離を取る。
「石散弾!」
着地し身を屈めると同時にクリスから放たれる無数の石礫が弾け飛ぶ。
父が大地を蹴る。錐揉み回転を加えて体を捻って自らの身体を弾丸のように。
体を捻って突っ込んでくる父に弾丸は当たらない。クリスが外しているわけではない。面で制圧する石の弾丸だ。その隙間を父は体を捻り、散弾の隙間をすり抜ける。俺の眼前には鈍く光るブーツが迫っていた。
―意識が飛ぶ。凄まじい威力の蹴りだ。上体をカチ上げられただけではない。右手の剣は握ったままだが左手の短剣は落としてしまった。蹴られた衝撃で俺はそのまま吹き飛ばされ、森の木に頭から打ち付けられた。
「兄様ァッ!…クッ…!幻影領域!魔力光線!」
クリスの前に陽炎に揺れる立方体が生み出される。そしてそのまま極太の光線が立方体に撃ち込まれる。
「屈折拡散光弾!」
立方体の中に撃ち込まれた光線が立方体の中で乱反射し、数多の光線となって父に向けて放たれた。
「むっ…!」
父が初めて完全な防御体勢を取る。無数の光線が父を貫いた…
―かのように見えた。まるで効いていない。いや、受けきったのだ。
「あああァァァァ火炎竜巻!」
クリスが続けて巨大な赤い竜巻を発生させる。火炎竜巻が父を飲み込もうと牙を向く。
「むゥンッ!」
直上から振り下ろされる直剣の一閃が赤き竜巻をかき消した。
さらにクリスの魔術が次々と繰り出される。
「激流砲!氷柱雨!火炎放射!土槍!放電撃!旋風刃!」
次々とクリスから放たれる強力な魔術が全て受け切られる。たった一人の、たった一本の直剣で易々と。
クリスは短時間で強力な魔術を連発したせいか、既に息を荒げ、顔は青褪めていた。魔素欠乏だ。
俺の脚に漸く力が戻った。頭から赤い血が流れ落ちる。口の中には鉄の味が広がる。
父が一瞬でクリスに詰め寄り腹に拳を突き立てる。クリスは左手に短剣を持ったがそれを直ぐに取り落とした。クリスが目を見開き血を吐き出す。そのままクリスは膝をつき崩れ落ちる。
俺は無我夢中で走り出した。渾身の力で剣を振りかぶる。早く、もっと早く!そして強く!
剣を振る。無心で振る。目の前の敵に無数の剣戟を浴びせる。だが通らない。一太刀も通りはしない。
全て受け流される。その合間に左の拳がいくつも顔面にぶつかる。だが怯まない。顔は血塗れだ。目が完全に開かない。構わない。ただ無心に、我武者羅に剣を振る。
「全く以て話にならんな」
小さなため息と共に、父の失望したような表情が一瞬見えた。父が剣を振り抜く。
鋭い金属音が森に響き渡る。俺の右手にあったはずの剣は無かった。
上空に打ち上げられた剣がくるくると回転し、風を切る音を纏って地面に突き刺さる。
俺は素手で殴り掛かる。剣が無いなら両の腕で。だが捉えられない。父は上体だけで両腕から繰り出される拳を全てを躱していた。なおも攻撃の隙間から父の拳が飛んでくる。
腹を、顔面を、蟀谷を、脇腹を、顎を。父の拳は全て俺を捉えていた。その一撃を受ける度に意識が揺れる。父が身を引く。それに追い縋るように殴り掛かる。
「アアア゛ア゛ア゛ァァァァ!っ…!」
僅かに残る力を振り絞って放った拳は左手に遮られていた。そして父の拳は俺の水月を確実に捉えていた。俺は血反吐を吐く。意識が霞む。体から力が抜ける。もう立てない。脚にも、腕にも、もはや頭を上げる力も湧いてこない。
俺達は全力で戦った。しかし父の前に、圧倒的な力の前に力尽きた。まるで赤子の手を捻るように容易く。
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「…あれは…父さん…?」
真っ白な光に満ちた空間で父が此方を見ていた。こちらの世界の父ではない。元いた世界の父だ。
縋るように手を伸ばす。しかし伸ばした手は父は擦り抜けていく。
「神威、まだだ、まだ諦めるな」
父は小さく呟いた。
「お前はまだ強くなる」
父が背中を向け一言だけそう言い残し歩き出した。
母と妹も現れ一緒に背を向けて俺を残していく。
立ち上がり走りだすもその距離は離れていった。
三人の姿が白い光のなかに霞んでいく。
「待って!待ってくれ父さん!母さん、杏奈!」
かつての家族の姿はもうそこにはない。だが空間の中に二つの声が優しく、包みこむ様に響いた。
「神威、辛いこともあるでしょう。でも勇気をもって、立ち向かいなさい。あなたは父さんと母さんの息子だから、きっと何だってできるわ。自慢の息子ですもの」
「お兄ちゃん。頑張って、ずっと…待ってるから」
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目が覚めると、巨躯蜥蜴の討伐戦で焼け落ちた大木の前に横たえられていた。
「痛っ…!」
全身が痛む。体は痣だらけだ。だがあの時、父からの最後の一撃で力尽きた時点程は酷くなく、治療を受けたであろう事を悟った。そして数滴の涙が頬を滴った跡が残っていた。
咽び泣く声が聞こえた。隣で泣いていたのはクリスだ。
「兄様…これ…」
クリスが俺に目を合わせることなく手を伸ばす。その手には2枚の手紙が握られていた。




