色のないまち
青い空に桃色の斑点が混じっていた。
桜だ。
めいっぱいに枝を広げた樹木から、桃色の花びらは舞い降りて、半開きに窓を開けた教室の中にまで侵入してきていた。
中学に上がりたての頃、よく見上げたこの木は、灰崎 華が過ごした3年間を全く感じていないかのように、あの日と変わらずそこに立ち尽くしている。
華は椅子に腰掛けたまま、桜から教室内へと視線を移した。ちらほらと涙の跡が残る男子女子を見て、なんだか自分も熱いものがこみ上げてきそうになって、扉を全開にする。
ふと、目の前を何か過ぎった。桜だ。
先程から空を染めているそれは、私の隣の無人の席に降りてきて、机上でくるくると踊りはじめた。机の上で弧を描く花びらは、やがて、黒く汚れた床の上に落ちていった。そんな桜の軽やかなステージへの入退場を、気にもしないかのように、無人席の、石田 蘭の机の花瓶の花はツンと横を向いていた。名前も知らないその花は、1ヶ月ほど前から置かれているにも関わらず、花から茎の切り口まで生気があり、先生は本当に大切に管理しているんだなぁ、と思う。
蘭は、交通事故で亡くなった、華の想いを寄せる男子生徒だった。
片思い歴は長く、5年間。きっかけは学習塾での出会いだ。頭がよく、スポーツもそこそこできて、何よりも関わりやすい彼の性格に、顔を合わせるたび、声を聞くたびに、華の、蘭への気持ちは、確実に恋愛感情へと変わっていった。告白する勇気なんて出ないまま、季節はどんどん巡っていった。
桜が散っている。
蘭がトラックに轢かれたと聞いた時、涙は何故か出なかった。実感がわかなかった。葬式で、横たわる彼を見た時、その時も、涙は出なかった。眠っているだけなんじゃないかと、何度も思った。蘭が黙っているのに耐えられずに、自分に向かって笑ってくれる気がして、ただ唖然と彼を見つめていた。
華と同じ弓道部に入り、華とは違って、運動が得意で、華よりも勉強ができ、親しみやすく、整った顔と、良い体つきをしていた彼は、本当によくモテていた。それまでどんな子が来ようと拒否していたのに、後輩ちゃんを受け入れた時には本当に絶望的な気持ちになった。忘れようと何度も思った。でも、結局そんな感情を忘れさせてくれないまま、彼は逝ってしまった。
「え、お前なんで泣いてんの?」
声が聞こえた。
「元々悪い顔がもっとブッサイクになってんぞ!」
ニタニタと意地の悪い表情を浮かべる彼は、確かに私の机の上に座っていた。
「らん、くん.....?」
どうしてここに、あの時びっくりしたんだ、なんて、言いたいことは沢山あるはずなのに、そんなことよりもまず、距離が近い、なんてことが気になって、私は椅子ごと身を引いた。
筋肉のついた、強くて、優しいその腕を差し伸べて、彼はまたからかうように笑っている。
「離れてんじゃねぇよぶーす。さっさと行くぞ。」
「行くって、どこに」
そんなことを聞いているくせに、華は自然と腕を彼に伸ばしていた。
「.....、色のないまち。」
あー、なんだか、思っていたよりも冷たいな、なんて、下らないことを考えつつ、襲ってくる急な眠気にそのまま目を瞑った。