バイトな彼女は貧乏人を疑っている
「頼人、少しお尋ねしたいことがあるのですが」
放課後を迎え教室で帰りの支度をする頼人に真美は尋ねた。
「ん? なんだ?」
「午後の授業を全て休んでいたようですけど、何かあったのですか?」
「…………」
たしかに、真美の言う通り頼人は午後の授業は全て欠席した。理由は、いうまでもなく昼休み翼に顔面を蹴られたのが原因だ。気を失った頼人は翼に抱えられ、そのまま保健室へと直行した。そして、頼人が目を覚ました時にはすでに授業は全部終わっていたというわけだ。
「ねえ、なんで黙っているのですか」
答えあぐねている頼人に、真美は何かを疑うような目を向ける。
「いや、ちょっと体調悪くてな。保健室で休んでたんだよ」
まさか「女子の足を舐めようとしたら顔面を蹴られて、そのまま授業終わるまで保健室のベッドで意識失っていました」なんて言えるはずもないので、一応、保健室にいたところだけ事実から抜き取ってそれ以外は誤魔化した。
「嘘ですね」
真美はきっぱりと言うと、頼人は明らかに動揺する。
「な、なんで嘘だなんてわかるんだよ?」
「だって、あなたは特待生でしょう。少し体調を崩したぐらいで授業を休みはしないと思います」
「っ! と、特待生だってたまには仮病で休みたくなるんだ……」
「いえ、ないですね」
真美は再度否定する。しかし、それは先ほどの口ぶりとは違い、どこか確信しているようであった。
「だ、だからなんでそんなことが――」
「わかりますよ。――だって、あなたにはあの子がいますから。あの子がいる限り、そんな手を抜くような生き方なんてしないでしょう」
「…………」
自信満々に言う真美に、頼人は何一つ反論もできなかった。なぜなら全て彼女の言う通りだからだ。
頼人には守りたい、いや守らなければならない存在がいた。自分の人生全てを懸けてでも。
「で、結局何があったのですか?」
やり取りは最初に戻り、真美は再び尋ねる。
その時、真美は笑っていた。とても優しく笑っていた。
――逃げられない。
頼人はそう思い、全てを打ち明けた。
「死んでください」
真美は笑顔のままそう言った。
☆☆☆☆☆
幼馴染から「死ね」と言われてしまった頼人は昇降口から外へ出て、学内にある駐輪場に向かった。
頼人は入学時からずっとチャリ通である。しかし頼人がこの学園に入る前は、駐輪場などは存在してなかった。
この学園の生徒は使用人が運転するリムジンで登校するのが当たり前で、そうでないとしても学内にある離着陸場を使ってヘリで通学する。なので、今まで自転車などという庶民的な乗り物を使う生徒はこの学園にはいなかった。
しかし、上流階級でもなんでもないただの貧乏人の頼人はチャリ通ができないと困るので、駐輪場が欲しいと学園の事務に相談すると「特待生の要望ならば」とその翌日には駐輪場が作られていた。
この時、頼人はこの学園と一般の学校との違いを改めて実感した。
「頼人さん」
頼人が自転車のカギを開けようとしていると、傍らから少女が彼の名を呼ぶ。振り返ると、そこには百合花と彼女の執事である翼がいた。
百合花は放課後にいじめはしない。
なぜならいじめのときに常に連れている男子たちが皆部活に行っているからだ。彼らは百合花の親衛隊のような集団で、百合花のためなら何でもするかなり危ない集団である。しかし、彼らがいなければ、彼女は頼人をいじめることができない。
なので放課後、百合花が頼人に会わなければならない理由はないはずなのだが、ときたま、こうして頼人の現れる駐輪場で待ち伏せしている。
「……なんか用か?」
「あら。用がなくては来てはいけないのですか?」
「ダメに決まってんだろ。俺は今からバイトなんだよ」
「では、わたくしがそのバイト先までお送り――」
「結構だ。さっさと帰れ」
頼人は食い気味言った。
「ひどいですわ。あなたとこんなにも親しいわたくしをこんな無碍に扱うなんて」
百合花は制服のポケットからハンカチを取り出すと、しくしくとわざとらしく目頭を拭く。
「まあいいですわ。今日のところはあなたの言葉に従って、帰ると致しましょう」
百合花はそう言うと、翼を連れてこの場を去って行った。その時、翼は申し訳なさそうに頭を下げていたので、頼人は冗談で「あとで足を舐めさせろ」とジャスチャーを送ったら、すごい剣幕で睨まれた。
☆☆☆☆☆
駐輪場を去ったあと、翼は百合花と共に自分たちのリムジンがある学内の駐車場へ向かっていた。
「あのお嬢様。一つお尋ねしたいことがあるのですが」
翼より少し前を歩く百合花に尋ねる
「あなたがそんなことを言うなんて珍しいですわね。――えぇ、いいですわよ」
「なぜ放課後、ときどきこうして二宮 頼人もとへ行くのですか?」
翼の問うと同時に、ぱたりと百合花の足が止まった。
「あら、何か問題でも?」
「い、いえ問題は全くありませんが、ただ気になったもので」
「そうですか……」
翼の問いに、百合花はしばらく考え込むと、
「彼はわたくしにとっては特別な存在なのです」
「えっ!?」
突然の百合花の告白に翼は動揺する。
――まさかあのお嬢様に想い人がいて、さらにそれがあの男とは。
「あ、あの、それは本当なのでしょうか?」
まだ信じられない翼は百合花に尋ね。
「えぇ、本当ですわよ。彼はわたくしの特別なおもちゃですわ」
「…………」
にこりと笑って答えた百合花に、翼はもう何も聞かなかった。
☆☆☆☆☆
二宮 頼人は『ド』がつくほど貧乏だ。どれくらいかというと、一日の食費は三百円以内、交通費節約のため学園まで二十キロはある通学路をママチャリで行かなければならず、布団を買う金もないので寝るときは基本段ボールである。
頼人はこの生活を少しでも良くするため、また生活費を稼ぐためにバイトを四つ掛け持ちしている。
今日はその中の一つ、『センタッキ―』でのバイトだ。
『センタッキ―』とは、全国にチェーン展開する有名なファストフード店である。
頼人はそこのレジ打ち兼ポテト揚げ兼パティ焼き兼雑用等々。野球でいうならば、どこのポジションを守らせてもそつなくこなすユーティリティプレイヤー的な存在だ。
頼人は更衣室でバイト用の服に着替え終えると、すぐさま厨房へ向かった。
「あっ、頼人くん」
頼人を見るなりそう声を上げたのは、頼人と同じ服を着た少女――栗山 秋穂だ。
年は頼人より一つ上の高校二年生。学校は一般の公立校に通っている。
くっきりとした目に小さな唇。肩口まで伸びている髪は赤みがかった茶色をしており、顔立ちは可愛い系でいかにもモテそうな感じだ。
「こんにちは、先輩」
「こんにちは」
頼人がそう挨拶をすると、にこりと笑って栗山も返す。
「じゃあ頼人くん。いきなり来てあれなんだけどポテトお願いできるかな?」
「はい。わかりました」
頼人は栗山に指示に従い、ポテトを揚げ始める。
ポテトを揚げる時は、まずポテトを揚げるタンクの内側に目印のような線が入っているので、そこまで油が入っているか確認し、もし入っていなかった場合は自分で油を足す。
次に、油の温度がちゃんと高くなっているか確かめ、その後、揚げられていないポテトをバギングスクープ(ポテトをすくうスコップのような器具のこと)を使い、油の入ったタンクへ入れ、それから五分後、ようやくポテトは完成する。
「ポテト揚がりましたよ」
頼人は大きめの声で他の店員へ伝えると、次のポテトを揚げ始める。
「頼人くんも慣れたもんだね」
傍らから秋穂はそう言う。彼女は今パティを焼いている最中だ。
「ここに来て一年以上経ってますからね。そりゃ慣れますよ」
頼人は中学三年の頃からこのバイトをやっている。ちなみに現在頼人が掛け持ちをしているバイトの中で最初に始めたのがこの『センタッキ―』だ。
頼人が入った頃には、秋穂はすでにここでバイトをしており、接客の仕方からポテトの揚げ方まで全て彼女が丁寧に教えてくれた。
「ねぇ頼人くん」
「なんですか?」
「頼人くんって、なんでうちの学校来なかったんだっけ?」
「え」
唐突な質問に頼人は変な声を上げてしまった。
「だってさ、うちの学校って学費とか結構安いし、駅からも近いし、進学率もそこそこだし、頼人くんにはぴったりかなぁとか思って」
秋穂はちらちらと頼人の方を見ながら言った。
頼人がバイトに入って数か月経った頃、秋穂は自分の通っている高校を受験しないかと何度も誘った。しかし、頼人は秋穂のいう安い学費すらも払えない状況で、どうしても華園学園に特待生として入学するしかなかったのだ。
「いや、まあそうだったんですけど……ごめんなさい」
「別に謝らなくてもいいんだけどさ。――頼人くん、私のこと嫌いなのかなぁとか思っちゃって」
「?」
怪訝な顔をする頼人に、秋穂はぷくりと頬を膨らませ、
「鈍感」
呟くようにそう言った。
頼人がバイトに来てから、二時間ほど経過していた。
今、頼人は秋穂とともにレジ打ちをしているが、この時間はピークの時間帯を過ぎており、店内はガラガラで、客という客は一切来ない。
こちらとしては客が来るよりは来ない方が楽でいいのだが、全く来ないとなるとそれはそれで暇なものだ。
「今日の晩ごはん何にしようかな?」
「先輩が料理ってなんか意外ですよね?」
「意外だなんて失礼な。これでも結構できる方なんだよ。定番の肉じゃがだってできちゃいますし」
「まじですか。それすごいですね」
「えへへっ。まあね」
頼人が褒めると、秋穂は頬を紅潮させた。
実は、秋穂の両親は彼女が幼い頃に離婚している。そして、母親の方についた彼女は迷惑がかからないようにと、仕事で遅く帰ってくる母親のために毎日晩ごはんを作っているのだ。また、こうしてバイトをしているのも自分の学費を稼ぐためであって、遊び金ほしさにやっているわけではない。つまり、彼女もまた頼人と同じ貧乏人なのだ。
「じゃあ、私はもう時間だから上がるね」
「そうですか。お疲れ様です、先輩」
「寂しい?」
「いえ、別に」
素っ気なく頼人が答えると、秋穂は頬を膨らませ、
「そうだよね。頼人くんは私がいなくてももう仕事できちゃうもんね」
「……先輩、もしかして怒ってます?」
拗ねたように言う秋穂に、頼人は恐る恐る尋ねた。
「べ、別に怒ってはないけど。もう帰っちゃう先輩に対して、その態度はどうなのかなぁと思うよ」
それが怒ってるのでは、と頼人は思いつつ、
「すみません。確かに、さっきの先輩への態度はなかったですね。でも、俺は先輩に感謝してるんですよ。ここに入ったときも色々と教えてくれましたし」
予想外の頼人の言葉に、秋穂は頬を赤くする。
「ふ、ふんっ! そんな言葉で私は騙されないんだからね。――でも、今日のところはこれくらいで許してあげます」
「それはどうも」
ツンデレな態度をとる秋穂に、頼人はくすっと笑った。
「よーりーとーく―ん」
突然、店内に男の低い声が響く。入口から聞こえたそれは、かなり聞き覚えがあるものだった。
「っ!」
入口にいた男は茶髪で華園学園の制服を着ている。今朝、いじめの際に頼人に腹パンを食らわした男だった。先ほど大きな声を出したせいか、店内にいる客の視線が男に集中する。
「お客様いかがなさいましたか?」
ただ事ではない空気を察し、秋穂が茶髪の男に駆け寄る。
「いや、別になんもないすけど。ただこいつに用があるんすよ」
茶髪の男は頼人を指さす。
「そうですか。ですが、今は営業時間中ですし、二宮も勤務中ですので」
「じゃあオレ、こいつが仕事終わるまで待ってますわ」
茶髪の男がそう言うと、秋穂は頼人に視線を送った。頼人はそれにこくりと頷く。
「では、お客様。それまでこちらにおかけになってお待ちください」
秋穂は座席に座るように促すと、茶髪の男は傍らにあった座席に座った。
「ねぇ、あの人何なの?」
秋穂は小さい声で頼人に尋ねる。
頼人は学園でいじめられていることを秋穂に話していない。なので、秋穂は男が頼人のことをいじめていることも知らないのだ。
「え、えっと……一応、同じ学校の友達? 的な感じです」
「友達? でも、頼人くんのこと思い切り敵視してたけど」
秋穂が不思議そうに尋ねると、頼人は彼女から目を逸らす。
「ねえ、頼人くん」
「はい」
「私に何か隠してない?」
「いえ、別に……」
そう答える頼人だが、どう見ても何か隠し事があるのは明らかで、
「ねぇ、頼人くん。もし困ってることがあったら――」
「先輩、もう上がりの時間ですよ。お疲れ様です」
秋穂の言葉を遮るように頼人は言った。
「……そっか」
諦めるように言ったあと、秋穂は厨房から出て行った。
「…………」
それから一時間、頼人はいつも通り仕事をし、勤務時間を終えた。