貧乏なオレはいじめられている
五月中旬。ゴールデンウィークも終わり、学生としては休み明けで学校に行くのがダルくなり、サボりがちになるこの季節。今年高校に入学したばかりの頼人――二ノ宮 頼人はというと、
「オラァ!」
茶髪の男子生徒から放たれた拳は見事に頼人のみぞおちへとヒットする。しかも、頼人を殴った生徒はボクシング部に所属している。その痛みは計り知れないほどだろう。
「おいおい。まさかこんなんでへばってんじゃねーよな」
今度は坊主の男子生徒が倒れ込んでいる頼人の胸倉を掴んで身体ごと持ち上げる。
この生徒は柔道部に所属している生徒で、体格の差だけでも頼人が勝つことが不可能なのは火を見るよりも明らかだ。
すると、不意に頼人の視界がぐるりと一回転した。その後、背中に強烈な痛みが走る。要するに投げられたのだ。綺麗な背負い投げ。もしこれが柔道の試合だったのなら、見事な一本だったであろう。
「ったく、百合花さんはなんでこんな男にかまうんだろうな。放っておきゃいいのに」
茶髪の男子生徒が苛ついた口調でいう。
――そんなことを思ってるんだったら、俺のみぞおちを殴らないで欲しかったんですけど。
背中にある痛みを感じながら、頼人はそう思った。
華園学園
頼人が四月から通っている高校の名だ。
この学園は上流階級家庭の子供ばかりが集まる、いわゆるお嬢様・お坊ちゃま学校である。
都心にあるこの学園はヨーロッパ風の校舎に、敷地面積は一般の学校の倍以上あって、そこに数えきれないくらいのグラウンドやらテニスコートやらプール施設やらがある。
頼人はこの学園に特待生として入学した。特待生となるための条件は、この学校の入学試験をトップの成績で合格するというものだったが、頼人はこれをなんとかクリアすることができ、おかげで学費は全て免除だ。
頼人の家はかなり貧乏なので、おそらく特待生ではなければこの学園には入学していなかっただろう。
そして、少し話は変わるが、こういうお金持ちばかりが集まる学校というのは、女子は可憐で美しくおしとやかな生徒が、男子は爽やかで笑顔が似合う超紳士な生徒ばかりがいると頼人は思っていた。この学園ではきっと素晴らしい高校生活を送っていけるだろうと、そんなことも思っちゃたりしていた。
だが、現実は違った。
生徒たちは全然おしとやかでも、紳士でもなかった。むしろ超恐い。
何故そんなことがわかるのかと聞かれると、それは頼人の現状を見れば明らかである。
頼人は今、校舎裏で同じ学園の生徒たちに囲まれている。それも柔道部やらボクシング部やらラグビー部やら屈強な男子たちに。目的は頼人をボコボコに殴ったり、頼人に柔道の技を掛けたり、頼人に多種多様な罵詈雑言を浴びせたりすることだ。
何故こんなことをするのか。
理由は簡単である。
二宮 頼人はいじめられているからだ。
「あら、こんな汚い場所で寝転がってらっしゃるのは、もしやド貧乏で有名な頼人さんではありませんか?」
突然、甲高く不快な声が頼人の耳に届く。
頼人は背中の痛みを我慢しながらなんとか身体を起こすと、目の前には先ほどまでいなかった女子生徒が一人立っていた。
麗華堂 百合花。女子生徒の名だ。
華園学園一年d組。金髪のロングヘアーで、目は碧眼。顔立ちはヨーロッパ系だがかなり整っており、スタイルは抜群に良く、出るべきところはとことん出て、引っ込むべきところはしっかりと引っ込んでいる。学園内でもトップクラスの美女と言っていいだろう。
そして、百合花こそが頼人に対するいじめの首謀者である。
「あらあら、黙ってないで何かおっしゃったらどうなんですの?」
百合花は挑発するようにそう言いながら頼人に目を向ける。その目はまるでゴミを見るかのよう。
「そんな目で見られても俺は喜ばないぞ。お前の犬どもとは違って、俺にそっちの趣味はないからな」
「おいてめぇ! 誰が犬だぁ!?」
頼人の言葉が勘に障ったのか、頼人を取り囲んでいる男子生徒の一人が声を荒げる。
「お止めなさい!」
今にも殴りかかりそうな男子生徒を百合花は大声を上げ制す。
「で、ですが、百合花さん……」
「わたくしに何か文句でも?」
百合花は男子生徒を鋭い視線で睨む。
「……い、いえ」
「よろしい」
百合花は男子生徒の怒りが収まったのを確認すると、ゆっくりと足を上げ、
「ぐはっ!?」
頼人の腹に思い切り踏みつけた。
「これ、気持ちいいでしょう?」
百合花はさらに足に力を加える。
「ぐっ……い、言ったろ? 俺にはそっちの趣味はないって」
頼人は余裕の笑みを見せる。
それが気に食わなかったのか、百合花は踏みつけている足をグリグリと動かし始める。すると、徐々に頼人の表情が険しくなってゆく。
「うふふ、痛いんですの? これが痛いんですの?」
百合花は苦しむ頼人に愉悦を感じながら微笑む。それにつられたのか、周りの男子生徒たちも「殺れ」だの「ぶっつぶせ」だの叫びイケイケモードになっている。
――やば、これまじで死ぬかも。
ふと頼人の頭にそんな予感がよぎった瞬間、学園の予鈴が鳴った。
「まあもうこんな時間ですの?」
百合花は口惜しい表情で頼人から足を離す。
「今朝はこのくらいにしてさしあげますわ。では、またお昼休みに」
そう言い残すと、百合花は昇降口の方へと歩いていった。
「昼休み逃げんじゃねぇそ」「ボコボコにしてやるからな」「ぶっ殺す」
各々、頼人に罵倒を浴びせながら、頼人を取り囲んでいた男子生徒たちもこの場を去っていった。
「……やっと終わったか」
頼人は仰向けのまま安堵の吐息を漏らす。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
突然、少女が不安げな声色で頼人に尋ねた。
「おう、なんとかギリギリな」
そう答えると、頼人はゆっくりと身体を起こす。
「す、すみません。その……月のせいで……」
少女は申し訳なさそうに言った。
「おいおい、そんな顔すんなよ。別にお前のせいじゃねぇんだから」
そう言うと、頼人は落ち込む少女の頭に手を当てて優しく撫でる。
「心配すんなって。な?」
頼人が少女に笑顔を向けると、少女は頬をほんのり赤く染める。
「……うん」
夢乃 月。それが少女の名である。
華園学園一年b組。銀色のさらさらとしたショートヘアーに、高校生とは思えないほど幼すぎる顔立ち。身長も女子高生の平均には遠く及ばず、傍から見るとフツーの小学生だ。しかし、容貌は決して悪くなく、むしろかなりの美少女である。なので、特定の層の生徒たちには月はかなりモテている。
ちなみに、頼人がいじめられた根本的な原因は彼女にある。
華園学園は中等部と高等部の二つが存在しており、そうなっているからには当然中等部からそのまま高等部へ進学してくる生徒だっている。いわゆる、エスカレーター組というやつだ。そして、そのエスカレーター組の中には夢乃 月と先ほどまで頼人を踏んづけていた麗華堂 百合花がいた。
単刀直入にいうと、中等部時代、月は百合花にいじめられていたのだ。きっかけは、百合花が元々いじめていた子を月が庇ったからである。月に対するいじめは中等部の二年から三年の二年間にも及んだ。
しかし、そのいじめは月が高等部に上がった途端、ぱたりと止まった。なぜか?
二宮 頼人が助けたからだ。
月が高等部に上がって初日。月が校舎裏で百合花に暴力を振るわれているところを、頼人が止めに入ったのだ。そこで、頼人は百合花とある約束を交わした。
『百合花は高校三年間、頼人にどんなことをしてもいい代わりに、月には一切手を出さないこと』
「さあて、そろそろ教室いかねーと」
頼人が立ち上がると、月は手に持っていた頼人の鞄を差し出す。おそらく、いじめの最中に拾っておいてくれたのだろう。
「あの……これ、どうぞ」
「おう、ありがとな」
頼人は月から鞄を受け取る。
「い、いえ……どういたしまして」
月は礼を言われたことが恥ずかしかったのか、耳を真っ赤にさせる。
「さて、じゃあ行くか」
頼人がそう言うと、月はこくりと頷く。その後、頼人と月は教室へと急いだ。
☆☆☆☆☆
頼人たちが教室に入ると、クラスメイトたちがそれぞれグループを作り談笑していた。
お嬢様・お坊ちゃまばかりのこの学園でも話の内容は他の学校とは大して変わらず、女子は恋バナ、男子はエロバナが主である。
そんな会話が飛び交う中、頼人と月は各々自分の席に座る。頼人は窓際の一番後ろ、月は廊下側の一番後ろの席だ。
「おはようございます。頼人」
頼人は隣の席から、透き通るような綺麗な声で挨拶される。
「おう、おはよう」
「あら、それだけですか。つれないですね。おはようのチューとかしてくれないんですか?」
「そんな冗談言ってもおもしろくもなんともないぞ」
頼人が視線も向けずにそう答えると、少女――清宮 真美はクスリと笑う。
華園学園一年b組。ライトブラウンに染められた髪はふんわりしたボブヘアー、可愛い系の美少女で、この学園では珍しく外見からはお嬢様感があまりない。
真美は頼人の幼馴染で、昔から頼人とは遊んでいた。また、頼人にこの学園の存在と特待生制度のことを教えたのは彼女である。
「もしかして、またいじめられたのですか?」
真美が尋ねると、頼人は嫌な顔がモロに出る。
「あのな、答えにくいことをそうやって平然と聞くな。――あぁ、そうだよ。お前の可愛い幼馴染は今朝女王様にいじめられていたんだ」
「まあ、それは面白そう」
「おい、少しは俺の心配もしろよ」
頼人は呆れたように言う。
「ですが、頼人も健気ですね。月さんのために自分の高校生活全てを犠牲にするなんて」
「おい、そんな言い方……」
「だって、そうでしょう。百合花さんは自分が気に入らない人を徹底的に潰しにかかる。そういう人なんですよ。今回だってきっと同じです。あなたはこの先もずっといじめられっぱなしですよ」
「それは……」
頼人は反論しようと試みるが、それはできなかった。なぜなら、真美の言ったことは全て的を射ていたからだ。
百合花は中等部時代から有名ないじめっ子であった。自分が気に食わないと判断した生徒には、徹底的に苛め抜いた。
具体的にどんなことをするのかというと、初めは上靴を隠したり、クラスメイト全員に無視をさせたりし、いじめの対象者がそれに耐えられるようなら、次は悪い噂を学校中に流し晒し者にし、それにも耐えられるようなら、最後は集団での暴力行為を永遠とする。それはまるで人はどの程度の苦痛にまで耐えられるのか試しているかのよう。
頼人もその三段階中の最終段階にまできていた。というよりは、百合花とあの約束を交わした日の次の日から、いきなり集団で暴力を振るわれた。それゆえ頼人は、一部の生徒から『いじめの飛び級』をした相当やばい奴だと思われている。
「……全く。どうしてあの子のためにそこまでするのか」
「どうしても何も。あんなひどい目に遭っていて、放っておくわけにもいかないだろ」
「だからといってあなたが――」
真美は途中まで言いかけて止める。おそらく、この先の言葉は頼人には言ってはならないと、真美はそう思った。
「どうした?」
怪訝な顔をする頼人に、真美は目を逸らす。
「はーい、みんなすわってぇー。今からホームルームはーじめーるよぉー」
突然、教室の扉が開き、スーツ姿の女性が一人入ってくるなりそう言った。
女性の名は雪下 芽衣子。頼人たちのクラスの担任である。
長く黒い髪は腰元まで伸ばしており、年は二十八歳なのだが年相応に美人といっていい。
それに加えて学歴も高く、同じ教師陣からは強い信頼を得ている。
しかし、彼女にはいくつか問題があった。
「みんなすわったかなぁ……うん! すわってるねぇ。じゃあぁ、ホームルームをはじめまーすぅ。まずわぁ、出席を取るからねぇー」
生徒が全員着席したのを確認したあと、芽衣子は意味もなくウィンクをする。
彼女の問題とは、この容姿とは大きくかけ離れたキャピキャピとした仕草に、新人アイドルばりのぶりっ子な話し方である。これのせいで芽衣子は生徒からの人気があまり高くない。
「ほんとなぜあんな先生がこの学園にいるんでしょうか。気持ち悪い」
苦痛なほど甘ったるい声で出席を取っている最中、真美がボソリと言う。
「小さい声で恐ろしいこと言うなお前」
「別にいいでしょう。本人に聞こえてないところで何を言っても」
むすっとした表情で真美は言う。
「いや、そういうわけでもないみたいだぞ」
頼人は前方に指をさす。真美はその先に視線を向けると、そこには明らかに真美を睨みつけている芽衣子の姿があった。
「清宮さぁん。あとでぇ、職員室に来るようにぃ」
芽衣子がそう言うと、真美は苦笑する。また、こんな状況下でもキャラが全くブレない芽衣子に頼人は感心した。