貧乏なオレはお嬢様な彼女のために決意する
百合花は自宅に戻ると、一人自室で考えていた。
―『俺がお前を助けたのは、俺がお前を助けたいとそう思ったからだ』―
頼人にそう言われたとき、胸がギュッと締め付けられるようなそんな感じがした。
「これは一体何なのでしょう」
一人考える百合花。
そしてしばらくすると扉がノックされる。
「はい。なんでしょうか」
「百合花お嬢様。源蔵様がお呼びです」
源蔵のメイドが扉越しにそう言うと、
「わかりましたわ。すぐに向かいます」
百合花は立ち上がると自室から出て源蔵の待つ書斎へ向かった。
「失礼します」
百合花がそう言い書斎へ入ると、源蔵は机にある多量の資料を一枚一枚読んでいた。
「やあ百合花。よく来たね」
源蔵は資料を置き百合花にそう言った。
「何か御用ですか?」
百合花が尋ねると、源蔵は一拍置いてから話し始めた。
「百合花。見合い相手はもう決まったのかい?」
「……いえ、まだ決まっておりません」
「やっぱりねそうだと思ったよ。だからもう僕が決めておいたから」
不意に源蔵が言った一言に百合花は目を見開いた。
「な、なぜですか!? その件はわたくしが自分で決めるまで待ってくださるとお父様はおっしゃっていたはずです」
「あぁそんなことも言ったね。でもしょうがないよ。百合花が全然決めてくれないんだから」
「で、ですが……」
「あ、それともう百合花は学校なんて行かなくていいからね。君はもう妻になるんだから」
百合花の訴えを全く聞かず一人勝手に話を進める源蔵。
「お父様……」
「じゃあ用件はそれだけだから下がっていいよ」
源蔵はそう言うと再び机に置かれた資料を読み始めた。
「……はい」
百合花はそう返すと書斎を後にした。
この時百合花は再び実感した。
所詮自分は父の人形だということを。
☆☆☆☆☆
頼人が百合花の執事として仕事をしてから数日が経った。この数日で頼人の身に少なくとも二つ不可解なことが起こった。
まず百合花の執事として仕事をした日を境に頼人のいじめが完全になくなったこと。月はそれに安堵し、真美は「つまらないですね」と言いながらも嬉しそうにしていた。
そして、二つ目は頼人が執事の仕事をして以来百合花が学校に来ていないことだ。理由ははっきりとはわからない。だが、頼人はなんとなく勘づいてはいた。
百合花が学校を休み続けている原因はおそらく父親のせいだろう。自分の娘の結婚相手を勝手に決めるような人なのだから学校を休ませるぐらい容易でやりそうだ。
そんなことを思いながら頼人はセンタッキ―のフライドポテトを揚げていると、
「頼人くん。考え事?」
そう訊ねてきたのは秋穂だ。
「あ、ま、まあ……」
秋穂の問いに頼人はどっちつかずに答える。
「ふーん頼人くんも考え事なんてするんだね」
「ちょっと人をバカみたいに言わないでくださいよ」
「そうだね貧乏人は頭一杯使うもんね」
そう言うと秋穂はクスリと笑う。
「そうですよ。今月の食費代なんてあと一週間で二千円ですよ。一体どうやってやりくりすればいいやら」
「うそ。それは厳しいね。うちは今月頑張ったからまだ余裕あるんだぁ」
「まじですか」
そう言い落ち込む頼人。
母親と秋穂二人が働いている秋穂の家とは違い、頼人の家は頼人ただ一人で麻友にかかる分も稼いでいる。しかし、頼人はあくまでも高校生なので働ける時間にも限りがあるのだ。なので、少しでもお金が貯められるように食費を削ったり、バイトから出る交通費を足で稼いだりと頑張ってはいるのだが、それにも限界があるようで……
「まじで今月やばいな」
そう呟く頼人に秋穂は心配そうな声で、
「本当に大丈夫? もしよかったら私のバイト代貸してあげるよ」
「いえ、さすがにそれはちょっと……」
そう言いつつも迷う頼人。
――はぁ。どうにか稼げる仕事はないだろうか。
頼人がそんなことを思っていると、
「あっ!」
突然頼人が大きな声を上げる。
「ど、どうしたの? 頼人くん」
秋穂は驚くとそう声を掛ける。
「あ、いえ。そういえば結構な額の金手に入ってたことを思い出して……」
「えっそうなの?」
「はい。この間ちょっと特殊なバイトをしたんで」
そう言いながら頼人は百合花のことを思い出す。
「頼人くん?」
ぼーっとする頼人に秋穂が名前を呼ぶと、
「先輩。金持ちの気持ちってわかりますか?」
「えっ? お、お金持ち?」
唐突な質問に秋穂は戸惑うが、それから少し考え、
「うーん。お金持ちの気持ちって言われてもなぁ私そもそも貧乏だし」
「……そうですか」
頼人はそう言うと顔を俯かせる。
「どうしたの? 急にそんなこと聞いて」
「いえ、ただなんとなく……」
「ただなんとなく?」
秋穂が訊ねると、頼人は一拍を置いたあと話し出した。
「ただなんとなくそういう奴らでも苦しむこともあるのかなって思って」
「そりゃそうでしょ」
頼人の言葉に秋穂がすぐさまそう返した。
それに頼人が驚いていると、
「そんなの当たり前だよ頼人くん。お金を持っていたって持っていなくたってそれなりにみんな苦しむし、苦しんだときは誰かに助けて欲しいもんだよ」
秋穂が放ったその言葉は頼人にとっては説得力があるものだった。なぜかと言われればはっきりとはわからないが、もしかしたら同じ貧乏人同士、家族を失ってる者同士だからかもしれない。だからその言葉はとても頼人に響いた。
「やっぱそうですよね」
「うん。そうだ」
そう言いにこりと笑う秋穂。
「すみませーん。レジ代わってもらえますか?」
不意にそう男性店員が呼びかけると、
「じゃあ俺代わってきます」
頼人がそう言うと、秋穂は笑顔のままこくりと頷く。
そんな秋穂を見て頼人は秋穂が誰かに似ているとそう感じたのだった。
☆☆☆☆☆
バイトも終わり頼人が自転車に乗ろうとしていると、
「頼人くん」
そう頼人に声を掛ける秋穂。
「はい。なんですかせんぱ――ってなに勝手に乗ってるんですか?」
「はい? なんのことかなぁ?」
そう言う秋穂は自転車の後方に座りながら足をぶらぶらさせている。
「なんですかそれ。黙って送れってことですか?」
「駅までいいからね」
顔をほころばせながらそう言う秋穂に頼人は深く溜息をついた。
「あの……さっきはありがとうございました」
頼人は自転車を漕ぎながら後方に座っている秋穂にそう言う。
頼人の発言に秋穂はしばらく考えたあと、
「あぁ。お金持ちがどうのって話?」
「はい。そうです」
「いやいや別に私は大したことしてないよ。っていうか、頼人くんがなんであんな質問したのか未だによくわかってないしね私」
「それでも助かりました。ありがとうございます」
「えっ、そ、そう? えへへ」
頼人の言葉に秋穂は照れていると、
「俺決めました」
「ん? なにを?」
秋穂が訊ねると、
「助けようと思いますお金持ち」
「へ、へぇ。そうなんだ」
秋穂はそう言うが頼人の言葉の意味を全く理解していなかった。
しかし、そんな秋穂を置いて頼人は一人決意を固くしていったのだった。
☆☆☆☆☆
百合花が休んで一週間が経っていた。だが、百合花は一向に来る気配がない。
そんな中、頼人は昼休みにある人物に呼ばれていた。
「よう久しぶりだな」
その人物に指定された通り屋上に着いた頼人がそう言うと、
「あぁ。そうだな」
そう返したのは百合花の執事の翼だ。
「で、なんかようか?」
「あぁ用はあるにはあるのだがその前に……」
そう言い翼はゆっくりと頼人に近づくと、
「ぶぐっ!?」
翼の拳が頼人の腹にえぐり込まれた。その衝撃で頼人がえずく。
「な……なんで……」
「お前、この前のあれはなんのつもりだ」
「あれ?」
翼の言葉に頼人はしばらく考えると、
「あぁ。このあいだの足舐めさせろジェスチャーか」
頼人が思い出すと、翼は顔を真っ赤にしながら睨む。
「いやぁ悪かった悪かった。あんときは少しふざけただけだ。まあお前がいいっていうんだったら舐めていい――ぐはっ!?」
今度は翼の足が頼人の腹にめり込んだ。
「どうやら反省はしていないようだな。もう一発いっておくか?」
「ちょ…やめて、まじで……すみませんでした」
腹を抑えながら頼人がそう言うと、
「ふんっ。わかればいい」
「ありがとうございます……で、結局俺に用とはなんでしょうか?」
腹パンと腹キックの影響からか、翼の恐ろしさに頼人が敬語で訊ねる。
「それはな、百合花お嬢様の件だ」
「麗華堂?」
頼人が聞き返すと翼がこくりと頷く。
「あぁ。百合花お嬢様は先日のお見合いで婚約されることが決まった」
翼から突然の報告を受けると頼人は半笑いで、
「婚約? おいおい冗談だろ。俺たちまだ十五、六だぞ」
「法律上、女性は十六からでも結婚はできる。なんの問題もない」
翼の言葉に頼人は目を見開かせる。
頼人は百合花の執事のバイトをした際、百合花が見合いをすることまでは知ってた。しかし、それから一気に婚約になるまで話が進むとは頼人は思ってもみなかったのだ。
「それ麗華堂の父親が仕組んだのか?」
「あぁ。そうだ」
翼がそう答えると、頼人は拳を強く握りしめる。
そんなことが父親のするべきことなのだろうか。親が子供にするべきことなのだろうか。
頼人にはなぜそんなことをするのかが全くできなかった。
ただその父親が今この場にいたならば思いっきり殴ってやりたい気分だった。
「そこで僕はお前に頼みがある」
突然翼がそう言うと。
「五日後、百合花お嬢様とその婚約者との結婚式があるのだ」
「式? もうそんなことやるのか?」
「あぁ。よほど百合花お嬢嬢様にその社長さまと結婚してほしいのだろう。だが、僕はそれを止めようと思っている」
「止める? どうやって」
「僕一人では無理だよ。しかしもう一人協力者がいればできないこともない」
「なるほど。つまり俺もその結婚式潰しに手伝えと」
「そういうことだ。察しがいいじゃないか」
翼がニヤリと笑う。
「それ断ってもいいのか」
「あぁ。だがお前は断らない。そうだろう?」
「なんだそれ。まるで俺のことをわかったような言い方だな」
「あぁ。僕は百合花お嬢様の執事だからね。お嬢様がいじめていた君のことだって当然わかるさ」
「意味わからねぇなその理論」
自信ありげに言う翼に頼人はそう言うと、
「悪いが俺はこの話には乗らない」
頼人の答えを聞くと翼は驚き、
「なぜだ!?」
「なぜって言われてもなぁ……そんなことやっても俺に一つもメリットないだろ」
「メリット? 金か? 金ならあとでいくらでも払ってやる」
「そういうことじゃねぇよ。ただ俺の失うものがあまりにもデカすぎるだけだ」
「失うもの?」
頼人の言葉を理解できず翼はそう聞き返すと、
「あぁ。俺にとって何よりも大切なものだ」
頼人がそう言うと、ちょうど昼休みの終了のチャイムが鳴る。
「悪いな。じゃあ教室戻るわ」
「ま、待て! いや……待ってくれ」
翼が声を上げると頼人は振り返る。
「ん? なんだよ?」
「一つだけお前に聞きたいことがある」
翼はそう言うと一拍間を取ってから、
「百合花お嬢様から聞いたのだ。お前は不良に絡まれている百合花お嬢様助けたらしいな。そのとき、なぜお前は百合花お嬢様を助けたのだ」
翼は真剣な眼差しで頼人を見つめる。それは何かに期待しているようなそんな目であった。
「別に大した理由はない。助けたいと思ったから助けたそれだけだ」
「そうなのか。だがそれなら――」
「無理だ。俺はこの話には乗れない」
そう言うと頼人は「じゃあな」と一言残して校舎の中へ入った。
☆☆☆☆☆
頼人が翼から話を聞いたとき本当は百合花を助けてやりたいとそう思っていた。
だが、それはできない。
百合花の家は学園内でも有名な資産家で権力もかなりあると頼人は聞いたことがあった。そんな相手に対してこんな生活するので一杯一杯の貧乏人が逆らったらどうなるだろうか。
おそらく、頼人の人生は終わりだろう。だが、頼人自身はそのことは大して問題視していなかった。それよりも頼人が自分の人生を台無しにすることで麻友の人生も失くしてしまうようなことはしたくなかったのだ。
麻友は頼人にとって何よりも優先しなければならない存在。
だから頼人はたとえ自分が百合花を救いたいと思っても救えない。救うことができない。
二ノ宮 頼人は何もできない。
☆☆☆☆☆
頼人がバイトを終え帰宅すると、台所で麻友が料理をしていた。
「あっ、おにいちゃん。おかえり」
「おぉ、晩御飯作ってるのか?」
「うん。今日はカレーだよ。ただし肉は入ってないけどね」
笑いながらそう言う麻友は桃色の可愛らしいエプロンを着けていた。麻友の幼い容姿と相まっていつもより麻友が可愛く見える。
「うん? どうしたのおにいちゃん」
「え、いや、なんでもねぇよ」
そう言いながら頼人は着替えを持って洗面所へ向かった。
やはり麻友を不幸にさせるわけにはいかない。たとえそのせいで誰かが傷つくことになっても。麻友だけは幸せにしてみせる。
頼人は胸の内でそう言い聞かせた。
「はい。召し上がれ」
「いただきます」
麻友がそう言うと、頼人が円卓の上に置かれたカレー(野菜のみ)を食べる。
「うまいな。やはりうちの妹は料理の天才か」
「最近麻友もそうなんじゃないかと思ってきたよ。将来お店でも開こうかな」
「あぁそれがいい。それならおにいちゃん毎日食べに行っちゃうよ」
「おにいちゃんは厨房担当だよ」
「働かせるのかよ!? しかも厨房って麻友は作らないのか」
「麻友はフロアでニコニコして立ってるのが仕事」
「それってもう仕事してないのと一緒じゃないか」
「うんそうだよ」
「認めた!?」
「えへへ。でさ、おにいちゃん。なにかあった?」
「…………」
思いがけない麻友の言葉に頼人は黙り込んでしまう。
「そんなに驚かないでよ。麻友がおにいちゃんと何年一緒に暮らしてると思ってるの? 今日のお兄ちゃんがいつもとちがうことくらいすぐにわかるよ」
「……そうか」
頼人の言葉に麻友が「うん」と頷く。
「で、なにかあったの?」
「……いや別に大したことじゃない。だから麻友に話すことでもない」
頼人がそう答えると、麻友は小さく溜息をつくと、
「おにいちゃん。麻友はおにいちゃんの妹なんだよ。それで妹はおにいちゃんのことを守る義務があるの」
「それ逆じゃないのか」
「もちろん麻友が悩んでるときにはおにいちゃんに助けてもらうよ。でも、兄妹ってお互いを助けあっていくもんだと麻友は思ってるんだ。だから今回は麻友がおにいちゃんを助けるの。大好きなお兄ちゃんを」
麻友は笑顔でそう言うが、その瞳は真っ直ぐ頼人に向かっていた。
「……そうか。さすがに妹にそこまで言われちゃ、おにいちゃんも少しは頑張らないといけないな」
「おにいちゃん元気出た?」
「あぁ。すげぇ元気出たわ。それで麻友、俺は麻友に話したいことがあるんだ」
「うんいいよ。話して」
麻友の言葉を聞くと、頼人は百合花の件について全て話をした。百合花とどうやって出会い、どんな毎日を過ごし、そして百合花が今自分の父親によって苦しんでいることを。
「そんなことがあったんだね。で、おにいちゃんはその百合花さんって人を助けたいんだね?」
「あぁ。だが、もしそんなことをしたら俺は今の高校を辞めることになるかもしれないし、麻友にも迷惑をかけるかもしれない」
頼人はそう言うと、顔を俯かせる。
「もしかしてそんなことを気にしていたの?」
「えっ?」
「おにいちゃん。麻友はねおにいちゃんが麻友のために今までどれだけ頑張ってきたか知ってるよ。麻友のために働いて、麻友のためにたくさん勉強してお金のかからない学校入って、麻友のために色んなこと我慢して。麻友はおにいちゃんがどれだけ麻友のことを助けてくれたか知ってるよ」
麻友はそう言うと、小さく深呼吸をする。
「だからねたまにはいいんじゃないかな。おにいちゃんがしたいようにしちゃえば。それでもしいい結果にならなかったら、そのときは二人でどうするか考えようよ」
にこりと笑顔を見せる麻友。
「そうだな」
そんな麻友の表情を見た瞬間、頼人は決意をした。百合花を救おうと。




