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幼馴染の思いに貧乏なオレは気づかない

百合花は昔から両親は大好きだった。そして、特に好きだったのは父親の方であった。

 百合花の父は仕事が忙しいときでも無理やり時間を作って、百合花と一緒に過ごしてくれた。百合花の誕生日や記念日には必ずプレゼントを用意し、毎回百合花を喜ばせていた。

 一方、百合花の母は仕事が忙しいと全く百合花に会ってくれず、ひどいときには半月近く会わないなんてこともあった。

 だからといって百合花は自分の母が嫌いというわけではない。会えばいつも優しくしてくれるし、むしろ好きな方である。

 だが、百合花にとって父は他の誰とも比べられない特別な存在だった。一番つらい時に必ず一緒にいてくれるそんな人であった。

故に、百合花は自らの父が好きであると同時に尊敬の念を抱いていた。

あの時までは――


「失礼します」

 百合花は父のいる書斎へ入る。

「おぉ。来たね百合花」

それを百合花の父――(れい)華堂(かどう) 源蔵(げんぞう)は高そうなオフィスチェアに座りながら出迎えた。

 髪は黒く短く、顔はダンディなイケメン。髭はそれなりに伸ばし、いかにも金持ちというオーラが醸し出されている。

「お父様。なんの御用でしょうか?」

「そんな堅苦しくならないでおくれよ。僕たちは親子なんだから」

「子というのは親に敬意を表するものだと思いますが」

 百合花の言葉に源蔵は驚くと、

「それもそうだね。いやぁ百合花がいい子に育って本当によかった」

 源蔵は笑顔で言う。

 百合花はその笑みを見るなり力強くスカートの裾を掴んだ。それはまるでなにかを憎むように。

「それでお父様。御用というのは」

「あぁそうだったね。百合花。見合いの相手はもう決まったのかい?」

「……いえ」

 百合花は源蔵の問いに小さく答える。

「なんだ、まだなのか。僕てきにはもうそろそろ決めて欲しいんだけどね」

「はい。わかっています」

「それならいいんだけど。でも、どうしても百合花が決められないのなら、僕が決めちゃうからね」

「そ、それは!」

 百合花が大きな声を上げると、源蔵は鋭い視線を送り、

「いいよね?」。

「……はい」

 有無を言わせない源蔵の物言いに百合花はそう答えるしかなかった。

「偉いぞ百合花。さすが僕の娘だ」

 そう言い笑う源蔵に、百合花はただ唇を噛みしめることしかできなかった。


 百合花の父――源蔵は昔とはすっかり変わってしまった。

 あれだけ娘である百合花に尽くしてくれた源蔵の姿は今はもうない。

 源蔵が変わってしまったのは百合花が十歳の誕生日を迎えたときだ。

「百合花。これが最後のプレゼントだよ」

 唐突に源蔵は百合花に言った。

「最後?」

 百合花が問うと、

「うん。これが僕から百合花に送る最後のプレゼント」

「えっ、な、なぜですか! おとうさま!」

 百合花が動揺をしながら尋ねると、源蔵はゆっくりと説明をし始めた。

「それはね百合花が十歳になったからだよ。僕は十年間百合花のことを思い尽くし続けたんだ」

 百合花は源蔵がなにを言っているのかわからなかった。まだ十歳の百合花にとって、それは難しすぎたのだ。

 しかし、源蔵が放った最後の言葉は唯一理解できた。理解できてしまった。

「だから百合花。これからは僕の言うことは何でもきくんだよ。絶対にね」

 このとき百合花は悟った。

 これからは自分は人形になってしまうのだと。絶対に抗えない人形に。


 百合花は思う。

 この世界に優しい人間など存在しない。もしそんな人がいたとしたら、ただ自己満足に浸りたいだけの人間か、他人を利用しようとする狡猾でクズな人間だけであると。

 故に百合花は優しい人間が――優しいと勝手に思っている人間が大嫌いだ。



☆☆☆☆☆



 百合花を助け、チャラ男にボコられてから翌日。

「おにいちゃん。無理だよぉ」

「いや行ける。俺なら行けるはずさ」

 どうにかして頼人は学校へ行こうとしていた。しかし、それを麻友が必死に止めている。

 というのも、頼人のケガが予想以上にひどく歩くのもままならない状態であった。

「そんな身体じゃ無理だって」

「大丈夫だ麻友。俺はこのくらいでは痒くもない」

「そう言いながら足がプルプルしているよおにいちゃん。やっぱり止めた方がいい」

 麻友が頼人を心配すると、

「そういうわけには行かないんだよ麻友。特待生として入ってるからにはあまり学校を休むと奨学金が出なくなる。もしそうなったら俺はお前を幸せにできないんだよ」

「おにいちゃん……」

自分のためにそこまでしてくれる兄に麻友は感動する。

 すると、突然扉のインターホンが鳴った。

「なんだこんな時間に」

 頼人が玄関へ向かそうとすると、

「あぁおにいちゃんは出なくていいから。麻友が行くから」

 そう言い麻友が玄関の扉を開ける。

「はい。どちらさまですか?」

「おはようございます。麻友さん」

 そう挨拶をすると真美は頭を下げる。

「真美さん。どうしたんですか?」

「いえ大した用ではないのですが。頼人がボコボコにされて帰ってきたという情報を聞きまして、その姿を見にきました」

「……本当にそれだけですか?」

 麻友は疑うように尋ねる。

「えぇそれだけですよ。それで頼人はどこに?」

「おにいちゃんならあそこです」

 そう言って麻友が指さす場所は玄関のすぐ後ろ。そこで頼人は力尽きたように倒れていた。

「あら頼人。無様な姿ですね」

「うるせぇ。俺は今から学校へ行くんだよ。邪魔すんな」

「あらそんなボロボロでも威勢はいいようですね。安心しました」

 そう言うと真美は制服のポケットから携帯を取り出し、

「……あぁ乃絵。すぐに頼人の家へきて頂戴……あとリムジンもよろしく」

 それだけいうと真美は携帯を切った。

「どういうことですか?」

 通話を聞いていた麻友は真美に訊ねる。

「どういうことと言われましても」

「真美お嬢様。ただいま到着しました」

 不意に真美の後方から乃絵が現れる。

「こういうことですわ」

 真美がそう言うが、麻友は全く理解できず、

「いえ全然わからな――ってあっ!」

 麻友が状況を把握できていない隙に、一瞬で乃絵は頼人を抱えリムジンへ乗せる。

「ちょ、おにいちゃんをどうするつもりなんですか」

「別にどうにもしませんよ。ただ前のように私と一緒に登校してもらうだけです。では私はこれで失礼します」

 真美は礼をすると部屋から出て行った。

「ちょっと! それなら麻友も乗せてよ!」

 麻友がそう叫んだが、真美は思いっきり無視をしてリムジンに乗り込んだ。



☆☆☆☆☆



「ったく、人を何だと思ってるんだ」

 リムジンの中で頼人は文句を言う。

「人は人ですよ。頼人はバカなのですか? それとも昨日殴られ過ぎてバカになったのですか?」

「なってねーよ。つーか俺が言いたいのはケガしているからって、なんでまた俺がリムジンに乗らねばならん」

「あらリムジンは嫌でしたか?」

「嫌とかじゃなくてだな、俺は基本人に頼るのは嫌いだ」

「ですが、この間は快く乗っていたではないですか」

「あの時は……その……麻友がいたからな。だから乗ったんだよ」

 恥じる頼人に、真美は呆れるように溜息をつくと、

「本当に妹離れできない人ですね」

「うるせぇ」

 そう言うと頼人は真美から目を逸らす。

 ふと窓の外を見ると歩行者が皆こちらに視線を向けていた。

「おい。なんか人がこっちを見てるぞ」

「それはそうでしょう。リムジンなのですから」

「なるほど。乗れないならせめて目に焼き付けようと」

「そういうことです」

 そう答えると真美はクーラーからオレンジジュースを取り出す。

「頼人も飲みますか?」

「あ? あぁ」

 頼人の答えを聞くと、真美は同じクーラーからコップを二つ取り出す。そしてオレンジジュースをコップに注ぐと頼人の前に差し出した。

「はい。どうぞ」

「おぉ。あんがと」

 ジュースを受け取ると頼人はそれを一気に飲み干した。

「くふぅーうめぇ」

「全く。その一度に全部飲んでしまう癖はなおらないのですか?」

「別にいいだろ。昔からこうだったから今更なおらないいんだよ」

「そうですね……昔からですものね……」

「? なんで笑ってんだよ」

 優しく微笑む真美に、頼人は怪訝な顔をする。

「別になんでもないですよ。ただ昔からあなたはなにも変わっていないと思いまして」

 真美は懐かしむように言う。

「そうか? 昔の自分のこととかあんま覚えてねぇからわかんねぇな」

「変わっていませんよ。そしてそれはもちろん私も」

「たしかにお前は昔から変わってないよな。外面だけ良くて中身は最悪なところとか」

「えぇ。そうです。私は変わっていませんよ。あの時から」

「? あの時って――」

 ふと頼人が振り返ると、真美が自分に触れそうな距離にまで近づいていた。

「っ! おいちけぇよ!」

「はい。そうですね」

「そうですね、じゃなくてだな! っ!」

 そんなやり取りをしていると、真美と頼人の距離はさらに縮まり、頼人の頬が真美の頬に触れそうになっていた。

「もう離れろよ。ってかなんでこんなことするんだよ」

「なぜ……こんなことをするのでしょう?」

 そう言うと真美はさらに頼人に近づくと、真美の小さく赤い唇がゆっくりと頼人の唇

に迫る。

「…………」

 ――これはそういうことなのか?

 そんな考えが過ると、頼人は一瞬葛藤したのち覚悟を決め目を閉じた。

 そして暫くの沈黙のあと頼人はあることに気づいた。

――来ない。

そう思い頼人はゆっくりと目を開けると、目の前には真美はいなかった。

というか笑っていた。盛大に笑っていた。と同時に頼人はようやく理解する。

「お前。もしや俺をからかったな」

「クス。そうですよようやく気づいたようですね。どうでしたか私の演技は?」

 小悪魔のように笑う真美に、頼人顔を赤くしながら、

「べ、別に大したことはねぇな」

「本当ですか? 顔にはドキドキしたって書いていますけど」

「う、うるせぇ」

「クス。頼人は面白いですね」

「全然面白くねぇ。つーかやっぱお前性格ひどいな」

「そこまで私のことをわかっていますのになぜ騙されるんでしょうね」

「っ! し、知るか!」

 そう言う頼人に真美は再び笑い、

「そんなあなたが大好きです」

 そう小さく呟いた。


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