第二十五話 「懇願」
エレンの身体が地面に落ちる。
彼女は身動き一つしなかった。
「エレン!」
スコットは声を上げて駆け出そうとしたが、キマイラが許さなかった。
背中のヤギの首を失い、尻尾の毒蛇も無くなった、もはやただの猛獣と成り果てた怒れる獣は、スコットに躍り掛かり、纏わりつき、強烈な旋風とともに前足の鋭い爪を振り回し追い縋ってくる。
スコットは避けるのが精いっぱいだった。
大口を開き炎を吐く。スコットは飛び退いて避けつつ迂回しながら巨体に向かってマグナムを連発した。
しかし、猛獣はすぐに側に纏わりついてきた。独特のにおいのする息がすぐ側に漂ってくる。鋭い爪が太陽に光り、軌跡を残して振り下ろされてくる。
デカいくせに小回りが利く。スコットはマグナムの照準を合わせられずにいた。
このままでは避けるだけでスタミナ切れは目前だった。
と、スコットの手からマグナムが弾き飛ばされた。
だが、多少は動揺したもののスコットはすぐさまナイフを引き抜いた。戦場や作戦で数々の死線を共に潜り抜けて来た思い入れのある、戦友のようなナイフだった。
だが、猛獣の執拗な攻撃に翻弄され、振るえる機会が無い。
その時、横合いから短剣がキマイラの頬に突き立った。ネルソンが放ったものだった。キマイラの視線がスコットから逸れる。その一瞬をスコットは逃さなかった。
逆手にナイフを持ち両手で握り締め、あらん限りの力と共にライオンの首に突き刺した。
大きな手応えが指先から全身に伝わってくる。ナイフは刃の根元まで猛獣の首に刺さっていた。それをスコットは捩じり上げて掻っ捌いた。
血が奔流の如く吹き上がった。
スコットはマグナムを拾い上げながら下がった。
そして血を噴き上げる猛獣に向かって銃弾を浴びせかけた。
弾丸は残る片目を潰し、鼻面を粉砕した。
程なくしてキマイラは自らが流す血の海の中に倒れた。
スコットは荒々しく息を整えた。
ようやく斃した。
しかし、エレンの喜ぶ声が、労う声が聴こえてこない。
そこで彼はエレンが猛獣の体当たりで吹き飛ばされたことを思い出した。
振り返る。
エレンは倒れたままだった。
「エレン!」
スコットは駆け付けた。
うつ伏せに倒れる彼女を仰向けにする。エレンは目を閉じていた。首が力なくダラリと垂れ下がる。
スコットは焦りと緊張を覚えた。全身を悪寒が駆け抜けてゆく。
エレンの口元に自らの頬を近付ける。息をしていなかった。
「エレン!?」
絶望の声を上げると、ネルソンがよろめきながら合流してきた。
「蘇生術を施せ。お前がこうなった時も、この神は自ら蘇生術を試みていた。結果、お前は助かったのだ」
そういうことだったのか。あの墓場で自分は文字通りワイトキングと相討ちになっていたのだ。そして息の止まった俺をエレンが助けてくれた。唇に残った感触を、左胸に残った感触を思い出す。
スコットはエレンの左胸に手を置いた。そして懸命に押し始めた。それを幾度も繰り返す。反応は無い。
「エレン! エレン、戻って来い! アンタ、神様なんだろう!? 神様は死んだりしないんだろう!?」
スコットは一旦心臓マッサージを諦め、女神の唇を開いて己の唇を重ね合わせた。そして息を送り込む。何度も何度も繰り返した。
アンタが命の恩人だったとは知らなかった! エレン、今度は俺が助けてやる! 絶対、絶対に!
戻って来い、エレン!




