009 ケモミミ獣人
「ちょっと、なんで帰ってこないのよ!」
目の前ではミリアーナ先生がぷりぷり怒っている。
ここは屋敷の玄関ホール左通路最初の部屋――使用人用の食堂である。
アフィシアは遅めのお昼ご飯をおいしそうにもぐもぐ食べながら先生と相対していた。
ホムンクルス研究室から拉致られて二週間――十二日後のお昼過ぎである。
「あんえといわええも」
もごもごお昼ごはんを食べながら答えるが言葉になっていない。しょうがないので水で流し込む。
「魔物の出る道を一人で帰るなんて、怖いじゃないですか」
ボルドル副隊長に蹴散らされた一瞬しか目にしていないが、自分で相手をすることを思うとやはり気が引ける。
副隊長との訓練と比較してあのゴブリンもどきを比べると、魔物と言えど大したことはないと思わなくもないが、やはり対戦したことのない異形の怪物というのは恐ろしいものだ。色々な意味でも。
「何言ってるのよ。私でも一人で来れるんだから、あなただったら何も問題ないはずよ」
むむっ、そうなのか。というかその言い方だと、実力は先生より俺のほうがあるように聞こえるが。
「先生は慣れてるので大丈夫なんでしょ。わたしはまだ魔物と戦ったことがないので……」
とりあえず慣れの問題にしておこう。
「はぁ? レオンのほうがよっぽど怖いと思うけど……」
うーん。どちらかと言うと醜悪なゴブリンのほうが生理的に受け付けませんが。まあ生存本能を刺激されるという部分ではレオンのほうが恐ろしいのはわかる。
どう見ても勝てそうにないし。
「ところで、てっきり連れ去られてすぐ探しに来ると思ってたんですが、どうしてまた二週間も空いたんですか?」
まさか本当に帰ってくると思っていたのだろうか。
確かに連絡しなかったのはちょびっとだけ悪い気はしているが、拉致られたのだ。仕方がないよね?
連絡手段もないし。まあ探そうとはしなかったけど。
それに帰り道が怖いのは本当だ。見たのはあのゴブリンもどきだけだったが、他に強そうな魔物もいないとも限らない。
まあ一番の理由は衣食住の環境なのだが。
「帰ってくると思ってたのよ。帰巣本能のようなものがあるからね」
「帰巣本能?」
「そうよ。ちゃんと主人のところに帰ってくるの」
主人って何だ。ホムンクルスはレンタルされることもあるらしいし、生みの親というわけではないのだろうか。
何か魔法的な契約みたいなものでもあるのかな。
自分の主人がいるなんて考えたこともないが、うーん。
……そんなものはいないな。
「ふーん」
とりあえずホームシックになったことはないので適当に流しておく。
「ふーんって……。詳しく調べたいところだけど、そういうわけにはいかないわね……」
眉を八の字にして考え込む先生。
「帰る気はないですけど、帰って来いとは言わないんですか?」
「できるだけ隠しておきたかったんだけどね。諜報部に見つかったんじゃ無理ね」
どうもホムンクルス研究室よりも軍関係の部隊のほうが位としては上のようで、今となっては帰って来いとは言えないらしい。
と言うよりも、隠しておきたかったがために、正式に俺を研究室に置くと申請しなかったのがまずかったようだ。
直接拾った部署とは言え、正式な手続きには勝てないようだ。
なんというか、隠し方がザルすぎないだろうか。
「かといって定期的にデータを取りに来るのも怪しまれるし……。どうしたものかしら」
顎に手を当ててなおも考え込むミリアーナを尻目に、お昼ご飯最後の一口を水で流し込む。
「じゃあ食器片付けてきます」
食べ終わったので一言声を掛けて立ち上がりかけたところで。
「そういえば、お昼ご飯食べても平気なの?」
「一日三食食べてますけど何も問題ないですよ」
「そう。食べなくてももつだけで、食べたらダメってことはないのね……」
そこは既存のホムンクルスで試してないのかよ。
思わず突っ込みそうになったが、ご飯あげても食べないだけかもしれないとすぐに思い直す。
「ああ、私もそろそろ帰るわ。また来るかもしれないけどそのときはよろしくね」
「はい。ではまた」
顎に当てた手はそのままに立ち上がると、そのままうんうんと唸りながら回れ右をして去っていった。
携帯みたいな遠距離でも連絡を取れる手段があればいいんだけど、そういうのはないのかな。
この集落は全て諜報部の訓練施設である。スカウトされたのは第三部隊ではあるが、この施設そのものは第三部隊専用のものではなく、諜報部全体の所有施設ということだった。
あのあとも何度か訓練をするうちに副隊長から詳しい話を聞いたところによると、潜入捜査官のような人材は常に不足しているとのことだった。
ホムンクルス研究室に、あのレオンから逃げ回っている捨て子がいると聞いてすぐ飛んできたらしい。
ちなみに、ボルドル副隊長は訓練生をまとめるこの施設の管理者でもあるらしかった。
たまに直接指導をしに来るが、他の講師と違って全部模擬戦でいつもボッコボコにされるだけだった。
指導と言いながらストレス発散してるだけじゃないのかと疑わざるを得ない。
ここが訓練施設だからと言って、ここに住んでる人すべてが諜報部の人間かというとそうでもない。
メイド長のメアリーはただの雇われメイドだったし。まあ、勤務先が勤務先なのか、若干鋭い勘をお持ちではあったが。そして料理人の二人も同じくただの料理人だった。
ただし、もう一人いたメイドのレイレイは、同じ第三部隊所属だそうだ。
俺と同じくスカウトだそうだが、王都のスラムで拾われたそうな。
どうもスリをしているところを見つかったようで、どうしようもなかったと言っていた。
ここに来た理由が同じスカウトなので気が合う……とは思えず。
こちとら中身は日本人のおっさんである。しかも異世界の常識も知らない。そんな人間が中学校一年生くらいの少女と何をしゃべればいいのか。
と戦々恐々としていたが、実際に接してみると思ったよりしゃべれるものである。
変なところで現代日本との差を実感したりしたのであった。
そんなわけで今はレイレイと屋敷の外に散歩に出ようという話になっていた。
たまたま二人の休憩時間がかち合ったのだが、アフィシアがまだ屋敷から出たことがないと言うのでレイレイが案内役を買って出たのである。
集落全てが訓練施設であり観光地などではないが、この屋敷とホムンクルス研究室しか知らないアフィシアにとっては珍しいものもあるかもしれない。
夕方薄暗いときに連れてこられたので回りの光景などまともに目に入っていなかったのだ。
「じゃあアフィーちゃん、行きましょうか」
屋敷の玄関から出て行くメイド二人。
手を繋いでいるのだが、レイレイは満面の笑顔であるのに対して、アフィシアは眉を八の字に寄せている。
子ども扱いされていることに微妙な気持ちになっているのだが、実際見た目が子どもなので仕方がない……、が微妙に納得いかないのである。
追加で常識も知らないのだから仕方がないのだが。
「ここは訓練施設だけど、一応雑貨屋さんと喫茶店があるのよ。
見るところは少ないけど、休憩時間もそんなに長いもんじゃないしちょうどいいかもね」
なぜか得意気にない胸を張りながら案内を始めるレイレイ。
屋敷を出てまっすぐ歩くこと五分。そこは雑貨屋である。散歩というにも近すぎる気がしないでもないが。
雑貨屋と言われて日本にあるような雑貨屋を思い浮かべていたが、その予想はまったく持って裏切られる。
軒先に並べられているのは主に食品で、それ以外も食器やタオルっぽいものなどがちらほら見られるが、どう見ても生活必需品の類しか見当たらない。
「はいいらっしゃい」
そこに店主らしき人物が出てきた。
「おおっ!」
その人物を見て俺は思わず歓声を上げる。
頭のてっぺんから耳が生えていた。どうも犬耳っぽい。
これがケモミミというやつか! じーっと店主を見つめる。
顔の造りついては人に近いだろうか、それほど毛深いわけではない。茶色い髪と同じ色の毛に覆われた耳が頭の上でピコピコ動いている。
腕からもそれほど濃くはないが、同じ色の毛が見える。
精悍な顔つきには人懐っこそうな笑顔があったが、待ち望んでいたケモミミ少女などではなくおっさんだった。
「どうしたお嬢ちゃん。俺の顔に何か付いてるかい?」
「……うん。耳が付いてる」
当たり前である。耳は顔に付いているものだ。
問題なのはその位置だが、珍しいものを見たアフィシアはただただ心の呟きをそのまま声に出すだけであった。
「うん? そりゃ耳くらい付いてるが」
店主は首を捻るばかりである。
が、レイレイは違ったようだ。何かピンときたかのようなニヤリとした顔をしてアフィシアに話しかける。
「もしかしてアフィーちゃん、獣人を見るのが初めてなんじゃ?」
「ほう、そうなのかい?」
じっと見つめていた店主に興味深そうに顔を寄せられて一歩後ずさる。
「うん。初めて見た」
「へえ。この国じゃそんなに珍しいものでもないけどな。
オレは犬人族のドードルってんだ。よろしくな」
「アフィシアです。よろしくお願いします」
ニカッと笑う店主にアフィシアも行儀よく挨拶を返す。
「で、レイレイよ、今日は何しに来たんだ?」
「アフィーちゃんの案内よ!」
どうだと言わんばかりにここでもない胸を張るレイレイ。
どうやらドードルとは顔馴染みのようである。まあ狭い集落である。知らない顔のほうが珍しいのかもしれない。
「なるほど。同じ服を着てるけど、もしかしてその子もあの屋敷の使用人かい?」
「ええ、そうよ」
訓練施設で過ごしているとは言え、ここは諜報部である。職業については突っ込んだ話はせずにスルーする。
「はっはっは、じゃあ歓迎の印として何かプレゼントを買ってやらんとなあ」
笑顔でアフィシア歓迎と一緒に喜んでいるように見えるが、要は自分の店で何か買っていけということである。
見た目と違って商魂逞しいようだった。
「じゃあドードルさんからも歓迎の印として、半額でお願いしますね」
だがレイレイも負けていない。
「オレ関係ねえだろ! まあ三割引にしといてやるよ」
文句を言いながらも笑顔で三割引を宣言する。額面どおり半額とはいかなかったが、このおっさんもいい人のようだ。
「ありがと」
勝ち誇ったような顔で、アフィシアを引っ張りレイレイは店の奥へと入っていく。
どうやら奥には少数ながらアクセサリなども置いてあるようだった。
数瞬迷ったようだが、アクセサリの中から花柄のヘアピンをひとつ取り、アフィシアの髪に付けてあげる。
おっさんにヘアピンなど似合うものでもないが、幼女の姿には似合うのであった。
「じゃあこれプレゼントしちゃう」
「まいど。銅貨七枚ね」
懐の袋から銅貨を七枚取り出すとドードルに渡すレイレイ。
「ありがとうございます」
アフィシアはレイレイとドードルにお礼を言いながら、ミリアーナ先生から聞いた常識講座で、お金についての話を思い出していた。
貨幣には銭貨、銅貨、大銅貨、銀貨、大銀貨、金貨、大金貨、白金貨とあり、それぞれ十枚で次の一枚と同等になるらしい。
いろいろ物の値段を聞いてみたところ、銭貨一枚で、日本円でいう十円に相当するようである。
今回の銅貨七枚は、日本円で七百円ってところだ。
「じゃあ次行こっか」
「おう。また来いよ」
雑貨屋を後にしてまたもや仲良く手を繋ぎならが歩き出す二人。こうしてみて見ると姉妹のようだ。
「次は喫茶店ね。と言っても半分酒場みたいなとこだけど」
「そうなんだ」
目的地の喫茶店も雑貨屋から五分ほどで着いた。
昼過ぎだというのにもう酒を飲んでいるおっさんがちらほら見え、すでに騒がしかった。そしてむさ苦しかった。
半分というよりも、ほぼ酒場ではないだろうか。
「うーん。なんだか騒がしいね。
今日はもう帰ろうか?」
幼女をこの中に連れ込む気が起きないのか、レイレイは帰宅を促してくる。
「そうだねえ。もう帰ろうか」
アフィシアもこの中には入りたくないのか帰宅を選択した。
こうして短い散歩の時間は終わりを告げ、屋敷に向かって歩き出すのであった。