008 戦うメイドさん?
「おはようございます」
ここは昨日夕飯を食べた部屋である。
メイド服姿のままで自室で唸っていても仕方がないと思い、ここまでやってきた。
快適な生活環境を維持するためにはきっと必要なことなのだ。
「おはよう。よく眠れたかい?」
「はい、とても」
「それはよかった」
部屋にはメイド長がいたが、昨晩と違ってそこにご飯はないようだった。
今日から訓練らしいし、タダでメシは食えないということか。
「ところで、今日から訓練……、ですよね?
一体何をするんでしょうか」
昨日は浮かれ気分だったからかまったく気になっていなかった疑問をようやく口にする。
「もちろん、見ての通り訓練だよ」
「見ての通り……?」
「そうさ、立派なメイドになるんだよ」
「えっ?」
な、なんだってー!
鬼ごっこで認められたと思ったらメイドだと?
散々考えをめぐらせていたが、見た目どおりのメイドとは……。裏も何もなかった。
「あっはっはっは!」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔でもしていたのだろうか。メイド長が大爆笑だ。
「私はメイド長をやってるメアリーだよ。だいたいのことは直接指導するからよろしくね」
メイド長はやはりメイド長のようだった。見た目からの予想は間違っていなかった。
「あ、はい。アフィシアです。よろしくお願いします」
ようやく自己紹介できたことに満足する。あの人誰だろう? となんとなくもやもやしていたのだ。
とは言えメイドか。これも女として生まれた? 運命なのだろう。甘んじて受けようではないか。
オムライスにケチャップで絵を描いたりするんだろうか。いや、男相手にやるとか、ないな。
本来のメイドではない仕事を想像して萎える。甘んじて受けるのではなかったのか。二秒で撤回とは早すぎだろう。
「ではさっそく朝ごはんを作りますよ」
回れ右をすると部屋の奥にある扉へと進むメアリー。
後に続いて扉を抜けると、そこはキッチンだった。
中にはすでに忙しく働いている人たちが二人ほど見える。が、どうもメイド姿は一人もいない。
「他にメイドさんはいないんですか?」
「メイドはいるけど、この屋敷にはちゃんと料理人がいるからね。
そういう意味では料理をするメイドはいないね」
ニヤリと口角を上げるメアリー。存分に鍛えてやるぞと言わんばかりである。
「えっ?」
「旦那様がすべて叩き込めとおっしゃったからね。諦めとくれ。
終わったら廊下を挟んだ向かいの部屋へおいで」
一旦言葉を区切ってキッチンの方へ向き直り、忙しくしている一人に声を掛ける。
「ヘンリー!」
ヘンリーと呼ばれた男は食材確認の手を止めてこちらに近づいてくる。
白いシャツに白いズボン、そして白いエプロンをつけている全身白ずくめであった。
精悍な顔つきに短い茶髪だが、しっかり剃られた髭が清潔感を感じさせる、コックと言うよりは料理人といった風体だ。
「おう、メアリーか」
「ええ、連絡はしてあったと思うけど、今日からこの子よろしくね」
こちらに気づいた途端に若干顔を顰めるヘンリー。
「それはいいが……、まだガキじゃねーか。子どもとは聞いていたが……、大丈夫か?」
まさに勘弁してくれと言った態度である。
こんな世界ではあるので、小さい頃から親の手伝いや仕事をする子どもはたくさんいる。
とは言え五歳児程度の見た目の子どもが、手伝いならぬ、料理人が料理を仕込むというのはよほどのことなのか。
「旦那様の言いつけだからね。
……それに、ちょっと話しただけだけど、頭の回転は悪くないし、何より子どもっぽいところがないし、心配はいらないと思うよ」
ヘンリーの言葉に若干ムッとくるものはあったが、メアリーのフォローで気分は納まる。
タイミングもいいし、自己紹介しとくか。
「アフィシアと申します。以後よろしくお願いいたします」
ペコリと頭を下げ、幾分か丁寧な口調で自己紹介する。
「……ふむ、料理長やってるヘンリーだ。よろしく頼む」
なにか納得できるところでもあったのか、顔が真面目なものに戻る。
が、しばらく顎を撫でながら考え込み。
「だが、小さいことには変わりはないな。
……踏み台でも用意してやらんと色々と届かんだろう」
「……」
「……」
キッチンの中を見回してから改めて黙り込む二人であった。
ハイ、どう見ても身長が足りません。
メイドの仕事というのは多岐にわたる。掃除、洗濯、炊事から身の回りの世話や、子守に教育など。中にはそれ専門に行うメイドもいるだろう。
どうやらそのほとんど、一通りを教え込もうとしているようなのである。意味がわからない。
大事なことなのでもう一度言う。スカウトの理由は鬼ごっこだよね?
これでも以前まで一人暮らしをしていたのだ。料理くらいやってやるさ! と思っていた。
ところがどうだ。包丁の扱いはまあほどほどとは言え、食材についてはまったくの無知だったのだ。思わぬところに罠があった。
研究室では自炊もどきをしていたが、今思えばあそこには包丁を使う必要のない食材しかなかった。
芋っぽい野菜が出てきて皮を剥けと指示されるも、まさか皮が一センチほども分厚いなどと思うはずもない。
皮を剥く必要のない野菜の皮を剥いたり、本来食べる箇所であるはずの種を捨ててしまったり。
普通であれば、料理をする親の姿を見ているはずなのでこういうことは起こらないのだろうか。
しかし捨て子となればそれもありうるのか。非常識と思われる失敗に、料理長はキレて怒鳴ることはあれど最後まで丁寧に教えてくれた。
「まったく、これで包丁の扱いがある程度できてるんだから理解に苦しむ」
とは料理長の言葉である。
屋敷の住人全員分の朝食を用意し、もう一人いた料理人を含め三人で朝食を摂った。
朝食の後片付けが終わればメイド長に付いてメイドの仕事である。
掃除から洗濯、ベッドメイキング、果てはメイド長を主人に見立てて世話をする仕事まで。さすがに子守などはなかったが。
色々なバイトに手を出していたおかげか、全てにおいて『苦手な仕事』と受け取られることはなかったと思う。
身長の低さによる弊害はさておき。
また洗濯物を干していたときには同僚に遭遇した。
紺色の髪をポニーテールにまとめた十二、三歳くらいの少女で、名前をレイレイと言った。
初対面で「か、かわいい……」と頬を赤らめられたときにはどうしようかと思ったが。
元おっさんとしてはかわいいと言われてもどう反応していいかわからない。踏み台の上で洗濯物を抱えておろおろしていると、「おいで」と両手を広げて待ち構えられたが謹んで辞退しておいた。
さて、次に指示されてやってきたのは離れにある大広間だった。いや、宴会ができそうな大広間というよりは道場と言ったほうがいいだろうか。
壁には木製の剣や槍など、武器が並んでいる区画もある。
もしかしてこのだだっ広いところを雑巾がけをしろと言うわけではあるまいな……。
この世界に時計はないが、時間としては三時のおやつ頃……、と言ったところか。
道場の真ん中には、俺を拉致してきた張本人であるボルドルが相変わらずの不気味な笑顔で佇んでいた。
昼の仕事を終えてちょっと休憩しているようには断じて見えない。
「やあやあ、メイドの仕事はどうですか?」
「ええと、かなり厳しい指導で大変です」
素直に感想を述べる。と同時に大事なことを確認しておく。
「ところで、わたしをスカウトするときには鬼ごっこしかしてなかったと思いますが、それでなぜメイドなんですか?」
「あっはっは。まあいいじゃない。今の時間からはメイドじゃなく、ちゃんとお望みの訓練をしてあげますから」
いや望んでいるのはおいしいご飯とお風呂とベッドですが。何を勘違いしているんだろうか。別に好きで鬼ごっこをやっていたわけではない。
「でもまあ、オレに一撃入れることができたら教えてやらないでもないですよ」
そういうと一本の木製ナイフをこちらの足元に投げてよこす。
どうやら鬼ごっこではないようだ。今まで逃げてばっかりで攻撃する側になったことはない。
ましてや昨日ボルドルに捕まったときの動きはまったく把握できていないのだ。後ろを向いて逃げ出そうとしたときはまだそこそこ距離があったように思う。
が、次の瞬間には捕まっていた。あれはなんだったんだろうか。漫画などでよくある『縮地法』とかいうやつだろうか。
考えても仕方がない。一撃入れることができれば教えてくれると言っているのだ。
環境のいい宿を手放したくはない、かつ疑問が解消されるのであれば全力で打ち込むまで。
足元の木製ナイフを右手で拾ってぐっと構える。型など何も知らないので適当に。
足に力を入れて地面を蹴る。
まともに殴りかかってもうまくいく気はしないので、持っていたナイフを振りかぶって――投げる。
「うおっと」
一応虚を付けたのだろう。声を上げさせることはできたが、難なく躱してみせるボルドル。
ただこちらもこんなことで成功するとは思っていない。ナイフを投げたあとも勢いを弱めずそのまま突っ込む。
右拳をふりかぶって――振り下ろす前にボルドルに拳を掴まれ止められる。
「えっ?」
そのまま足を引っ掛けられたかと思うと掴まれた右拳を軸に床に叩きつけられた。
「――がっ!」
息が一瞬詰まる。
一瞬なにをされたのかわからなかったが、足首にじんじんと衝撃のあとが響いてきているところを見ると、足払いでもされたのだろうか。
まったく手も足も出ないとはこのことだ。これでは一撃を入れるなぞ不可能だろう。
ただし、こんなことで諦めたりはしない。
レオンと鬼ごっこしていたときに気が付いたが、繰り返しやるたびに捕まらずに逃げていられる時間が目に見えて伸びたのだ。
もちろん努力して鍛錬をすれば効果があるのはわかっているが、それは今までに感じた比ではない。
この世界では当たり前のことなのか、それともこの体のおかげなのかはわからないが。
「子どもにしては思い切った行動を取るね。これはますます期待できそうだよ」
押さえつけられていた手が離され自由になったので起き上がり、ボルドルの顔を見上げる。
案の定その顔には相変わらずの不気味な笑顔が張り付いている。
「ご褒美にここがどこだか教えてあげましょう。
――カロン王国の諜報部、第三部隊へようこそ」
なんだって?
これはあれか。就職先は戦うメイドさんではなく、暗躍するメイドさんですか?