007 訓練服
書き溜めが尽きました…
今後ペースが落ちます。
「解せぬ」
どうしてこうなった。
とある屋敷の一室で一人で唸るアフィシア。
なぜかメイド服を着ている。
現状に納得がいかない口調であるが、用意されたメイド服に躊躇なく袖を通した様子からすると、必ずしも拒否感があったわけではないのかもしれない。
たぶん。
ええと、確か昨日は拉致られたままここに連れてこられたんだっけか。
ここに着いてからというもの、あまりにも快適な環境に我を忘れていたようだ。
冷静になった今、改めて現状を振り返ってみようと思う。
あのあと俺を担ぎ上げたままホムンクルス研究室を出て一時間ほど走った場所である。
研究室から出たことはなかったが、外には街道しかなかった。
車がかろうじてすれ違いできる程度に切り開かれた街道が、森の中を蛇行するように一本道でひたすら伸びていただけだった。
途中に十字路を左折したところが一箇所あったが、それ以外は一本道なので戻ろうと思えば迷わず戻れるだろう。
ただし、途中で魔物に出会わなければだが。
担がれて走っている途中に、一度ゴブリンと思わしき集団に遭遇してしまったのだ。
担いでるボルドル本人と言えば、特に減速することなく道を遮る相手を一匹蹴り飛ばしてそのまま突破してしまったのだが。
アレはそんなに強くないんだろうか。よくわからん。
しかしこの世界へ来て初めての魔物とのエンカウントだったのに実にあっけない幕切れだった。
自分で相手ができるかと問われれば『無理』と答えるが。だって怖いし。
そして到着したのは、三メートル近い高さの石壁に囲まれた集落――というか施設だった。
この世界での村というものは見たことはないが、規模としては同程度あるのではないだろうか。
だというのにこの石壁である。
ほぼ日も沈んでしまい、あたりはもう薄暗い。
門をくぐって中に入ると、ポツポツと十軒ほど家が建っており、一番奥にはこの規模の集落には似つかわしくない大きな屋敷が建っていた。
どうやらその屋敷に向かっているらしい。
屋敷の門をくぐると広い中庭を進み、玄関の扉を開けて中に入った。
玄関ホールは吹き抜けになっており、そこから伸びる階段が左右から二本、弧を描くように真正面の二階へ伸びているまさに『屋敷』だった。
寂しくない程度には調度品が置いてあり、質素でありながらもどこか威厳を感じさせる佇まいである。
ちょうどそこに、左側の階段脇にある通路から一人の女が出てきた。
「お帰りなさいませ」
姿勢よくペコリと頭を軽く下げる。
見事な金髪碧眼ではあるが、そのぽっちゃりとした体型と顔に多少増えてきた皺が、いかにもおばちゃんと言った風体の女性だった。
着ている服も相まって、まさにメイド長と言ったところか。
きっと若い頃は美人だったに違いない。
「ただいま。早速だけどこの子よろしく!」
そう言うと俺をメイド長に向かって放り投げるボルドル。
「うわあああ!」
ボスッとお姫様抱っこされる形で受け止められる。
「かしこまりました」
俺を抱えたまま出てきた通路へ引き返す。どこへ連れて行かれるんだろうか。
拉致られた気はするが、優秀な人材を確保しに来たようだし、今までよりヒドイ扱いにはならない予感はする。
今まで寝起きしていた部屋を思い浮かべる。
鉄格子のはまった地面むき出しの床に、藁を敷いただけのベッド。
対してこの屋敷のなんと豪華なことか。
牢屋みたいなところにぶち込まれない限り、待遇はいいのではないだろうか。
不安はあるが、それよりも期待が高まるというものである。
「あの、ここはどこですか……?」
とは言え目の前に不安を解消してくれそうな人がいるのでそれは解消すべきことだろう。
森の街道を自分を担ぎながら走るボルドルには、何を聞いても答えてくれなかったのだ。聞こえてなかっただけかもしれないが。
岩壁が近づいてからは、壁の中や屋敷が気になって問いかけるのを忘れていたことは気にしないでおく。
「おや、アンタ何も聞いてないのかい?」
先ほどの丁寧な口調から、親しみやすそうな雰囲気にがらりと変わる。
「ええっと、ずっと担がれたまま走ってたので会話らしい会話もできなかったというか」
俺の受け応えにケラケラと笑うメイド長。
「うちの旦那様は相変わらずだねえ。
さあ、着いたよ」
いつの間にか廊下の突き当たりまできていたようだ。一番奥の扉を開けて中に入り、俺を降ろしてくれた。
「ここもまあ言ってしまえば訓練場だね。特化した場所ではあるけども。
明日に備えて今日はのんびりしておくといいさね」
訓練場? そういえば合格とかなんとか言っていた気がするなあ。
かといってすぐに実務で使い物になるレベルでもないから本格的に鍛えるってことか。
「とりあえずこの部屋の先は風呂があるから入っといで。着替えはここに置いておくから。
上がったらこの廊下の一番玄関ホールに近い扉の部屋に入ってきなさい」
なんだって? 風呂だと?
風呂というのはあれか、湯船に浸かれたりするあれだろうか。
頭上から水が降ってくるだけのものとは違うよね?
「あ、はい」
今までの待遇を思い出し、半信半疑のまま辺りを見回してみる。確かに言われたとおり脱衣所のように見える。ただし、大きな屋敷には似つかわしくない簡素な造りで、屋敷の規模からするとかなり小さめな脱衣所に感じる。そういう文化なのだろうか?
奥にある扉は木製なのか、向こう側がどうなっているのか見えない。
「それじゃごゆっくり」
それだけ言い残すとメイド長は振り返り、部屋を退室していった。
「ふむ……」
ようやく人心地がついた。
拉致られてからやっと落ち着いて考えることができる。
今からホムンクルス研究室に戻る選択肢は……ないな。もうすでに夜だ。こんな暗い中森の中の街道を進む勇気はない。ましてや魔物が出没するのだから自殺しに行くに等しいだろう。
それに、目の前にある風呂を諦めてまでする意味がわからない。ここは風呂一択だ。
うむ。考えるまでもなく選択肢は一つしかなかった。
それに訓練が続くと言えど、この屋敷で過ごせるのであれば研究室より快適なのではないか。
そうと決まれば風呂へ入ろう。
服を脱いで奥の木の扉を開ける。
目に飛び込んできたのは浴槽だった。お湯が七分目ほどまでたまって湯気を上げている。
「やった……」
全裸のまま風呂場の入り口で感動の涙を流す幼女。
なんとも滑稽である。
だとしても仕方がない。風呂好きの日本人として、二ヶ月ぶりのお風呂なのだ。涙も出てくるというものである。
そこは生暖かく見守ってくれるといいと思う。
さて、入り口で感動に浸るのもここら辺にして、そろそろお風呂に入るとしよう。
パッと見たところ、この風呂も脱衣場と似たような狭さだった。湯船のそばの壁にはどこかで見たことがあるような二本のレバーが付いている。それに対応するように二本の筒も見てとれる。
見てるだけという訳にはいかないので、恐る恐るレバーを操作してみる。と、筒からお湯が出てくるではないか!
これこそ本来あるべき姿だと主張せんばかりに湯気を上げている。
もう感動の涙なしではいられない。味わうようにお風呂を満喫するアフィシアであった。
さて、ここは玄関ホール近くの、先ほどメイド長に指定された部屋である。
アフィシアと言うと、黙々と夕御飯を食べていた。用意されていたのだから仕方がない。一日一食で問題ないとはいえ、食えないわけではないようだった。何より、薄い塩味スープなんぞと比較にならないほどうまいのだ。食わない選択肢なぞない。
ここも風呂場と同じく、こじんまりとした食堂であった。
向かい側にはにこにこ笑顔でご飯を頬張るアフィシアを眺めるメイド長がいる。
「美味しそうに食べるねえ」
メイド長の言葉に若干我に返る。夢中で食べていたようだ。
「あ、はい。ごちそうさまでした」
ちょうど食べ終わったので美味しかったですと伝えておく。
「それはよかった。食器はあっちに置いてくれるかい」
「はい」
部屋の隅にあった指定されたワゴンへと食器を運ぶ。
「じゃあ行こうかい」
部屋を出ると、玄関ホールを抜けて反対側の廊下へと連れられる。
さっきまでいた廊下と違い、反対側であるこちらの廊下は扉の間隔が狭い。
一番奥手前まで来ると、突き当たり扉のひとつ手前の扉を開けて中に入る。
「ここがアンタの部屋だよ」
そこはちゃんとした部屋だった。地面がむき出しでもない、鉄格子もはまっていない、ちゃんとしたベッドに小さいながらテーブルと椅子もひとつずつ置いてある。
「ここ使っていいんですか?」
「ああ。ある程度は好きにしていいよ」
またもや感動の嵐である。涙が出そうだ。
「明日は朝早くから訓練が始まるからね。今日はゆっくりお休み」
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げておく。
「朝起きたらこれに着替えて夕飯食べた部屋に来るように」
メイド長は机の上に畳んであった服を指差した。
「わかりました」
「じゃあおやすみ」
「おやすみなさい」
それだけ言うとメイド長はきびすを返して出て行き、扉を閉めて去っていった。
そういえばまだ名前も聞いてなかったことを思い出す。
明日も会うだろうし、そのときでいいか。
今はもうこの快適そうなベッドで寝ることしか考えられない。
明日以降の訓練がどれほどのものかわからないが、もうすでにアフィシアの頭の中にはホムンクルス研究室に戻るという考えはなくなっていた。
そもそも研究室に戻る理由などないのだ。世話になったとは言え、自分たちで生み出したものを養っているだけにすぎないのだし。
先生からすると、研究対象が逃げたことになるんだろうが、好きでホムンクルスになったわけではないし。
二ヶ月ほど過ごしたけど、今思えばひどい環境だったと思わざるを得ない。
本来なら生まれて初めて接する環境となれば、こういうもんかと納得してしまうのだろう。
だからと言って研究室を一人で出て生きていける自信などないのだが。
そういえばホムンクルスって裏切ったりしないのだろうか。本能で主人に手を出さないように意識を植え付けられてるとか? それとも一定間隔で特定のものを摂取しないと死んでしまうとか?
いや、特に怪しいものを摂取した覚えはないが……。寝てる間なら気づかないかも。
なんとなく怖い想像をしてしまいぶるりと震える。そんなに遠くないし、体調悪くなったら帰ろうか。
嫌な想像をしつつも深刻に考えることもなく、やはりより快適な宿を離れる気はないようだ。
ベッドに掛けてある布団をパンパンと叩く。羽毛布団など望むべくもないが、手触りも固めであるが、間違いなく布団と呼べるものだ。
靴を脱いでベッドに上がり寝転がる。
「はあ~、快適」
そう、そしてしばらくゴロゴロしているうちに寝てしまったんだった。
そして翌日の朝である。
もう一度言う。
どうしてこうなった。
もうちょっと書くはずだったのに回想だけで終わるとは。