006 スカウト
あれから二ヶ月経った。
言語については読みはほぼ問題ないところまでできるようになった。書きについてはまだぎこちないところはあるものの、他人が見ても読めなくはない字が書けていると思う。
また周辺地理や環境などの話も聞けた。
この国はカロン王国という小国だそうだ。山岳地帯で鉱山資源が豊富だが、逆に平地が少ないため農業はあまり行われていない。だが食料を輸入に頼りきっているというわけではなく、牧畜や酪農でだいたい賄えているとのことだ。
平地がないのに牧畜と思われるかもしれないが、山岳地帯に生息するボズゴートとかいう動物がいるらしい。
そういえば地球にも絶壁に登るヤギとかいたな。しかもそれで牧畜とか酪農とかホントにできるのか疑問だが、できているので納得するしかない。
隣国は東西南北にそれぞれひとつずつある。東がローグローズ商国、南がキングバルズ王国、西がロンベリオン教国、北がドラーグル帝国だ。
北東から南西にかけて険しい山で囲まれていてドラゴンが住んでいると言われており、人が通れる道もないため直接国交がなされておらず、先生も詳しいことは知らないようだった。
研究室には書庫があるからヒマができたら調べてくればと適当にスルーされた。この二ヶ月ヒマな時間なんてありませんでしたが。
まあそれは今は置いておこう。
東と南の国とは仲が悪いわけではなく、特に敵対はしていないとのこと。というよりも、自然の要塞と化していて強力なホムンクルスを有することで有名なカロン王国を攻め込むのも難しいと言ったところか。
高山資源は魅力ではあるが、かかる労力に見合わないらしい。
東は商国というだけあって、商人たちの国だ。上位の大商人八名が話し合いで国の運営を進めているとのこと。もちろん貿易相手としてもこの国が一番だ。
南のキングバルズ王国は広大な穀倉地帯を持っており、小麦が特産品とのこと。
残念ながらカロン王国を含めて米はなかった。周辺国にないだけなのか、この世界にはそもそも存在しないのかはわからないが。
そして魔法である。
あれから四大元素は水属性がレベル二を使えるようになった。
ミリアーナ先生は水属性が得意と言うだけあって、レベル二の水魔法を見せてくれたおかげか習得は早かった。
ただし、あくまでも使えるようになっただけである。どうも威力がさっぱり出ない。というか水魔法に限らず、すべての魔法についてなんとなく勢いがない。
先生と比べて魔法の効果が小さいのである。まあこのあたりは要訓練だ。
ちなみに拡張属性はまだ何も使えていない。先生も使えないのでこれはしょうがない。
最後にレオンとの鬼ごっこだ。この二ヶ月ずっと続いた。
靴を手に入れてからは森にも入るようになり激しさを増すばかりだったが、なんとかレオンを躱すこともできるようになっていた。
ひたすら逃げて隠れてを繰り返していたが、そんなに簡単に狼から隠れられるはずもなく、すぐ見つかっては追いかけられて小突かれてはたまに躱してを繰り返していた。
初日を思えば、子どもの体型のままこうも動けるようになるものかと自分でも驚くばかりである。これもホムンクルスの特徴なのだろうか。
とは言えレオンも本気になって追いかけてきているという気がしない。やっぱり遊んでいるのだろう。
にしても一体いつまで鬼ごっこは続くのだろうか。
ひたすら鬼ごっこというのもキツイのだが、最近レオンを躱せるようになってきたからか、ちょっと楽しくなりつつもあった。
今日も鬼ごっこをするために訓練場に出るが、いつもすでに待機しているはずのレオンがいなかった。
「あれ?」
シリウスはいたりいなかったりするのだが、いつもレオンは必ず先にいるのだ。そのレオンが今日はいない。
あたりをキョロキョロ見回しながら訓練場広場の真ん中まで歩いてみるがやはり誰もいない。今日はお休みなのかな?
それならそれで先生に以前聞いたここの研究室の書庫なるところに行ってみたいと思うんだけども。
ふと食堂脇の訓練場入り口に人の気配を感じる。シリウスが遅れて来たのかと思い振り返るが、そこにいたのは知らない男だった。
「やっときたかい」
なんだか不気味な笑顔を貼り付けた男だった。これが『目が笑ってない』と言うんだろうか。口元は笑っているように見えるのだが、目はこちらを観察するようにしっかり見開かれている。
腰に剣を提げて皮鎧らしきものを身に着け、身長は百八十くらいだろうか。短く刈り込んだ紺色の短髪で、左手で顎を撫でている。
顔はなんというか、どこにでもいそうな感じだ。
「訓練担当の先生交代ですか?」
ふと思ったことを聞いてみる。
「いや……、まあそんなところかな」
否定しかけたような気がするがそのまま肯定する男。
「いやなに。この研究室で優秀な捨て子を拾ったと聞いたのでね。直接確認しに来たわけだ」
にやりと口元を吊り上げる。
「優秀……ですか?
失敗してばっかりですけど……」
まったくもって自分が優秀だとは思わないのだが。
魔法はさっぱり威力が上がらないし、レオンには捕まってばっかりだし。
「そんなに謙遜しなくても。でないと直接見に来るなんてことはしませんよ」
それもそうなんだけど、これが日本人特有の謙虚さっていうやつなのかな。どうしても自分では失敗ばっかりに思えてしまう。
「はあ……」
こういうときは曖昧な返事しか出てこない。
にしてもどこか別の研究室の人なのかな。研究に使えそうな訓練を受けた覚えはないんだけど……。
とりあえず自己紹介でもすれば向こうの素性も教えてくれるかな。
「アフィシアと申します。よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げる。
「あー、オレはボルドルだ」
ぬう。名前しかわからなかった。せめてどこか所属でもわかればあとでミリアーナ先生への相談材料になったのに。
「さて、ではさっそく見せてもらいましょうか」
「えーと、何をすればいいんでしょか」
いきなり見せてくれと言われて何を披露すべきか。
魔法なのか? ちんまい効果しか出ないが。レベル一の魔法自体がしょぼい効果しかないのは確かだが、ミリアーナ先生の同じ魔法に比べて明らかに劣るのは確かだ。
先生自身も使える属性の種類は多いほうだが、威力という点においては一般人とそう変わらないと言っていた。
「魔法はさっきまで訓練していたからさすがに魔力がないでしょう。なに、いつもここでやってる鬼ごっこでいいですよ」
魔法は使えないことはない、と思う。
転生モノにありがちな魔力が膨大で尽きない……、というわけではない。はず。
自分でもどれだけ魔法が使えるのかよくわかっていない。先生も何も言わないし、普通なんだろうか。
威力が出ないだけあって、消費も微々たる物なのかもしれないし。
魔力が尽きれば体調を崩すらしいが、いまだにその兆候が感じられたことはない。
明日先生に聞いてみようかな。
それはともかく、鬼ごっこでいいのであれば問題ない。いつものように逃げて隠れてを繰り返すだけだ。
「わかりました。いつもレオンは鬼ごっこ開始してしばらく動かずに待ってくれているのでそれでいいですか?」
「ああ、もちろん。いつでもいいよ」
「では逃げます」
ぐっと足に力を込めて、森へ向かって全力で駆ける。なんとなくだけど力を込めると早い気がするのだ。
森へ入り、落ち葉を踏みしめて奥へ奥へと向かう。
足場の悪い森の中を走るのにもそこそこ慣れてきたところだ。
以前から目をつけていた隠れやすいところに向かう。毎日こつこつと隠れやすくなるように少しずつ細工までしていた場所だ。
レオンと違ってさすがに人となれば鼻も効かないだろうし。
走りながらも途中で石を拾い自分の服にこすり付けてから、ボウリングの要領で地面を転がるように下手投げで力を込めて石を放つ。
「あっ」
ついいつもの癖でやってしまった。鼻が効くレオンに効果があるかなあと思いながら実行しているが、はっきり言って効果があるかわからない。
なにせ本人に確認できないし。
さすがに人だと意味がない気がするぞ。
森に入って十分ほど走ったところで目的地に着いたのでもぐりこみ、息を整える。
レオンであれば五分もすれば見つかってしまうがどうなるか。
ひたすら息を潜めて見つかるまいと隠れる。
――俺は地面に落ちてる石だ。周囲の森と一体化するんだ。
ひたすら念じながら隠れる。
隠れる。
……うーん。もう十分は待っただろうか。来ない。
ん?
そろそろ自分から移動するか考えていたところになってようやく、何かの気配を感じた。
予想より遅かったせいで気が緩んでいたのか、いつもの気配と違っていたのと相乗効果で判断が遅れる。
「やべっ」
すぐさま気配と反対方向に向かって走り出す。
レオンの場合、この距離だと手遅れなのだ。さすがに人が狼以上に早く走れるとは思えないが、いつもと同じように鬼ごっこをするつもりなので、即逃げに徹する。
落ち葉の間を枝を掻き分けて走ること十秒ほど。がしっと襟首を捕まれてあっさりと追いつかれた。
「えっ!」
レオンより下で見ていたけど、明らかにレオンより早い!
いつもなら一分はもつ上に飛び掛られる瞬間に反応して逃げることもできるのに、今のはまったく反応できなかった。
「いやあ、キミなかなかやりますね。
うんうん。合格です」
地面に下ろしてもらい振り返るが、相変わらず不気味な笑顔でうんうん頷くボルドル。
俺を掴んでいたのとは反対側の手にはどこかで見た石が握られている。
「いやー、この石には見事に引っかかってしまいましたねえ」
マジか。思わずやっちゃったと思ったけど有効だったのか……。
こいつの鼻はそんなに効くのか……?
いや異世界だし、魔法以外にも何か特別なスキルがあったりしても不思議じゃないのか……?
「……そんなに臭いましたか?」
「微かにだけどね。身体能力だけでも見れればいいと思ってたけど、キミの魔法も見れたので満足だよ」
満面の笑顔で答えるボルドル。やはり不気味だ。
というか魔法の才能ってなんだ? 見せた覚えはないんだけど……。
「魔法は使った覚えはありませんが……」
「ああ、発動はしてないけど、魔力操作はしていただろう? もしかして無意識なのかな? あの石にはきちんとキミの魔力が篭っていたよ」
あー、なんだ。……臭いじゃなかった。訂正されなかったので、魔力が臭うって使い方も間違ってはいないんだろうか。
だけど使い方を間違ったのは確かなのでなんとなく恥ずかしい……。
だけど魔力ってそんな使い方もできるのか。これも先生に聞いてみよう。
「と言うわけで、さっきも伝えたがキミは合格だ。さっそく行こうか」
「えっ? どこに行くんですか?」
「オレの部署に決まってるじゃない」
「ええっ! 今からですか?」
「うん」
「いや、ちょっと、先生と相談しないと……」
毎朝先生からはホムンクルスの研究データとしていろいろ質問や身体のチェックをされているのだ。
その先生から今の話は何も聞いていない。
「じゃあ時間もないし、さっさと行こうか!」
不気味な笑顔を貼り付けたまま俺を担ぎ上げると、抵抗もできない力強さで走り出す。
「いや、ちょっと、待って……!」
そして抗議も空しく拉致られるのであった。