003 お勉強
「――ホムンクルス、か」
翌朝、自分に与えられた部屋のベッドで寝転がりながら俺は何ともなしに呟く。
ベッドと言ってもいいのかわからない、簡素な台であったが。
体中痛むということはないが、だからと言ってほぼ寝た気はしない。
ここはさっきまでいた部屋の上の階に位置するとある部屋だった。
どうもここは一階らしく、下の階のような岩肌がごつごつしたものではなくなり、壁が木になっていた。
窓はついていたが鉄格子がはまっており、床から二メートルほどの位置にあるので自分の身長では外を窺うことができない。
案内された部屋は六畳間ほどの広さの部屋だった。
奥の右側には木でできた台の上に藁を敷いたものが置いてあり、反対の左側には三十センチ四方の木箱が五つほど、椅子と机になるかのような配置で置かれている。
木箱を踏み台に窓を覗き込もうとしたが、幼児の力では木箱を持ち上げることはもちろん、動かすこともできなかった。
他には家具らしいものは何もなく、藁を敷いた台がもしかしてベッドなのかとこの世界の生活水準に嘆くばかりである。
自分の立場からくるこの環境なのか、それとも一般水準がこのレベルなのかまでは今までのミリアーナ達との会話からでは判別はできなかったが。
この研究室ではホムンクルスを研究しているとのこと。
あれから一般的なホムンクルスについて聞いてみたが、自分が以前までいた世界でのペット……というわけではなさそうだ。
一般に浸透してはいるがかなり高価なものらしく、番犬代わりや戦闘要員といった荒事に使われるとのことだった。
また個人で所有しているひとはあまりおらず、いくつかあるホムンクルス施設からレンタルという形での業務体型がほとんどだそうな。
俺の場合は、初の人型で予定よりも早く目覚めたため、しばらくは表に出さず育てていくことになったらしい。
普通ホムンクルスはそもそもしゃべらないらしく、もうその時点で同列とは見なせなくなったとかなんとか。
そこらへんの価値観やらは俺にはわからないので素直に頷くほかないのだが。
そういったこともあり、今回初の研究成果である俺は他の子たちと比較していくらか丁重な扱いとなっているようである。
「しばらくはここにいるしかないか……」
上体を起こしてベッドの淵に腰掛けると、脳を覚醒させるように両手を頬を叩く。
そのまま部屋を出ると、同じ階にある食堂へと向かう。
今は空腹を感じている。昨日はいろいろありすぎて気がつかなかったが、夕飯を食べていない。空腹ではなかったというのもあるが。
廊下を歩くが特にすれ違う人というのはおらず、食堂の入り口が見えてきた。
扉のついていない開けっ放しの入り口をくぐるとそこに人は見当たらない。
――いや、隅に一人いた。ミリアーナである。
「おはようございます」
同じテーブルに相席しつつ挨拶をすると、ミリアーナがこちらに気づいて目を向ける。
「おはよう。これから毎日ここで朝ごはんを食べるといいわ」
とは言え目の前に朝ごはんがあるわけではなかった。
食堂とは言ったものの、周りを見渡せば一番目に付くのはコンロのような台と、その上に乗っている鍋だった。
もしかして調理もセルフなのだろうか。
「食堂の使い方を説明するわね」
実演も交えながら教えられたが、やはり調理もセルフだった。
むしろキッチンじゃね?
「ホムンクルスは燃費がいいから、朝ごはんだけで一日持つわよ」
と言いながらもお盆に乗せられている朝食はパンと具のほとんど入っていないスープのみである。
こんなので一日持つんだろうか。
それとも普通の人はもっといいものを食べていて、これはホムンクルス用とかだったりするのだろうか。
「そうなんですか」
相槌を打ちながら椅子によじ登って腰掛ける。
スープをひとすくい口に含んでみるも、野菜のうまみが少々と薄味の塩で味付けされただけの淡白なものだった。
「それにしても人がいませんね」
固いパンに苦戦しつつ、スープに浸してふやかすことを思いつき実践しながら問いかける。
「ここの研究室はそもそも人が少ないからね」
そう言って肩をすくめるミリアーナ。
この施設にはホムンクルスのほうが数が多く、常駐の人間は研究員のみで自分と室長を含めて全員で十人だそうだ。
また職業柄か、夜遅くまで研究に没頭する人がほとんどで、朝食を摂るひとはいないとのこと。
「さて、というわけでさっそく始めましょうか」
「……何をですか?」
「ほら、昨日言ってたでしょ。明日から訓練が始まるって」
「あー、はい。ここでやるんですか?」
「そ。午前中はここで私が講義をします。お昼から実技の魔法訓練で、夕方からは戦闘訓練というスケジュールに決まったわ」
なんともハードスケジュールである。休日とかあるのかな……。
それよりも気になる単語が出てきたな。魔法ってなんだろう。
何もないところから火を出したりできるアレかな。
「それじゃ先にコレを渡しておくわね」
そういうと紙の束とペンとインクを渡してくるので受け取った。
「あの、これは?」
何に使う物かはわかってはいるが、知らないふりをしながら問いかける。
「あぁ、これは紙とペンとインクでね、これをこうやると字が書けるのよ――」
そこまで言ってから気がついたのか、恐る恐ると言った感じで追加で問いかけを発した。
「もしかして……、いやもしかしなくても字の読み書きなんてできないわよね」
その言葉にゆっくりと頷く。
俺からすれば、そもそも会話が成り立っている時点で奇跡なのだ。文字の読み書きなんて、それこそ魔法でもなければ最初からこなすなんて無理だろう。
「まずは読み書きからね……」
ため息をつきながらそう呟くミリアーナ。「まったく、本でも渡して放置という戦法が使えないじゃない」などという言葉は聞かなかったことにしておこう。
そうして翌日から読み書きの勉強が始まるのだった。
「その前に最低限教えておかないといけないことがあるけどね」
ちょうど食べ終わったので、ミリアーナの指示通りに食器を片付けるとすぐに講義が始まった。
筆記用具があるのでメモを取りたいところではあるが、さすがに日本語で書くのはダメな気がする。
全部記憶するのは無理なんじゃないかと思いながら話を聞いていく。
「まず最初に。あなたの存在は公にはしないと先日言いましたが、ホムンクルスであることは国家機密です。
ここの研究員にも知らない人がいるので、絶対に漏らさないように」
衝撃の事実である。俺のことを知らないほかの研究員から何者か尋ねられたらどうしよう。
「基本的にあなたは捨て子という扱いなのでよろしくね」
この世界では口減らしのための捨て子はよくあるとのことだった。
ここから南へ山を三つほど越えたところに小さな村があるとのことで、数年に一度はこの近くでも保護される子どもがいるとか。
「研究員の中にも一人いるわよ」
「へぇ、そうなんですね」
「必須情報はこんなところかしらね。まぁ、他にもたくさんあるけど少しずつね」
いきなり詰め込まれても覚えていられないのでありがたい話ではある。
「んじゃさっそく読み書きの勉強はじめましょうか」
どちらかというと読み書きよりもこの世界についてのほうが知りたかったのだが、まぁ仕方があるまい。
この国で使われている言語は一般に共通語と言われており、いくつかある周辺国でも使われているようである。
一文字一音のようで、日本語のひらがなと似たようなものだった。
複数文字を組み合わせて違う形の文字になるなどややこしいものじゃなくてよかった。
とは言え漢字のようなものはなさそうである。
言語体型としては単純な部類なのだろうか。
まぁ、一文字ずついきますか。
「じゃあ、よろしくお願いします。ミリアーナ先生」