002 誕生
「ずいぶんと早いお目覚めのようね」
目の前にいたのは研究者っぽい姿の女性だった。
っぽいというのは、一応白衣らしきものを羽織っているからであるが、中は真っ赤な作業着だったのである。
年のころは二十台後半ほどであろうか、出るところはしっかり出ていて引っ込んでいるところはしっかり引っ込んでいる、スレンダーな体型をしている。
一目見て美人と認識できそうではあるが、赤みがかったボサボサの髪と、眉に皺を寄せた顰めっ面の表情がそれを台無しにしている。
しかし驚いたのはその言葉だった。理解できなかったわけではない。
日本語ではなかったのである。
海でおぼれて流されただけではなかったのか。さすがに海外まで流れ着くのはありえないだろう。
いやもしかしたら外国人研究者なのかもしれない。
とここまで考えたところで、話しかけられた言語にそもそも聞き覚えがないことに気がついて愕然とした。
聞いたことがない言語をなぜ理解できているのかなどは完全に疑問に思うことなくすっ飛んでいる。
昨今テレビなど見れば容易に周辺国の外国語などに触れる機会はあるのだ。ましてインターネットなどで動画検索すればすぐに見つかるだろう。近所の国の言語であれば、内容は理解できないまでもなんとなく聞き覚えがあると感じるはずだった。
思考を巡らせながらも、いつまでもこうして水槽の底だったところでうずくまっているわけにもいかず立ち上がる。
そこで視線が目の前の女性の腰くらいまでしかないことに気がついた。
あれ? 俺縮んだ?
自身の体を見下ろしてみると、なんだか小さかった。そして全裸だった。
まぁ、水槽の中にいたんだし、そこは仕方がない……、と無理やり納得させる。
もう一度女性の方に目をやるが、やはり目線は低いままだ。
この身長は五歳児くらいなのだろうか。
さっきまで一緒に海に来ていたはずの友人の子どもが一瞬浮かんだ。
まるで別世界にでも来てしまったのかという思いが膨れ上がるが、海でおぼれた後に目が覚めたら姿が子どもになるなど、夢でないのなら否定できる要素がまったくないのだ。
うん。あれだ。――もういいや。
考えることを放棄して目の前の女性に意識を向けることにした。
「……早いんですか?」
「あぁ、あなた自身にはわからないか」
何か考えるしぐさで十秒ほど沈黙した後にまた口を開く。
「とりあえずそのままの格好もなんだし、着替えてきなさい」
そう言うと自分が入ってきたと思われる扉を指差した。
ここがどこかもわからないのに勝手に着替えて来いということだろうか。
「出て左にまっすぐ行けば突き当たりの部屋だから。行けばわかるわ」
「わかりました」
適当な説明にうんざりしながらも頷いておく。
言葉通りであるならば、扉を出て左にまっすぐなのだろう。
果たして出たところは廊下で、真正面は壁。左右に道が続いている。
先ほどの部屋もそうだったが、壁や床は石がむき出しであり、どこかの遺跡と言われたほうがしっくりくるような造りをしていた。
廊下にはところどころ光源があるのか、ゆらゆらと蝋燭のような灯りで照らされている。
言われたとおりに左へ進む。
そのまままっすぐ百メートルほど進むと、確かに扉があった。
中に入るとそこは十二畳ほどの広さだろうか。壁際には棚が設置されており、着替えらしきものが多数あった。
そして奥にはまたひとつ扉がついている。
なんだろうと覗き込むと、壁に生えた二本のレバーと、その上部に筒が設置してある小部屋だった。
地面が若干湿っていて、排水溝のような穴も見えることからシャワールームでもあるのか。
興味が引かれるままに左側のレバーを操作してみる。
「冷たっ」
勢いよすぎたのか、上部の筒から冷水がどばどばと流れてきたのであわててレバーを戻す。
じゃあもう片方は熱湯だったりするのかと、筒の下から移動して恐る恐る操作する。
「こっちも冷たいじゃないか!」
なんで二本あるのか不思議に思いながらも覚悟を決めて体を洗うのだった。
寒さに体を震わせながら洗い始めてしばらくしてようやく気がついたことがある。
子どもになったことに気がとられすぎていたのか、今までよく気づかなかったものだ。
この体は女の子だったのだ。
「はぁ……」
シャワーを浴びだしてから何度目かのため息をつく。
先ほど開き直って考えることをやめたはずであるが、また考え込んでいた。
男である自分がなぜ女になっているのか。
いや、――そんなことはどうでもいい。
もっと重要なことがある。
目が覚めたとき自分はどこにいたのか。
昔よく読んだラノベやゲームなどの内容が思い出される。
水槽で生まれる生物というものはなんなのか。
自分は人の手によって作り出された生命体なのではないか。
人造人間やホムンクルスという最悪の予想が頭をよぎる。
単純に治療用の薬液かとも思われたが、先ほどの部屋や廊下の岩肌むき出し感を見ても、ここが病院のような施設には思えなかったのだ。
倫理的にあまりいいものではない気はするが、もしかしたらこの世界ではありふれたものなのかもしれないと思い込むようにした。
またさっきと同じ思考に嵌まり込んだと自覚したからである。
決して悲劇の主人公カッコイイとか思ったりはしていない。たぶん。
「考えてもしょうがないか」
さっさとシャワーを終わらせることにする。
タオルっぽいごわごわした布で体を拭き、シャワールームを出てから改めて着替えを物色する。
かろうじて下着らしきものはあったのでそれを身に着ける。
服といえば、どちらかというと布という感じのものしか辺りにはない。
シャワーの前にちらっと見て予想はしていたので、適当にサイズの合いそうなものを体に巻きつけていく形で着ると、そそくさと元の部屋に戻るのであった。
「お帰りなさい」
考え事をしていたため遅くなったはずであるが、特に追求することなく迎えてくれる研究者っぽい女性。
「……ただいま」
とりあえず返事だけして視線を向けると、先ほどの女性の他にもう一人増えていた。
その人物はハゲだった。
頭頂部の寂しさとは逆に、顎鬚が十分に蓄えられた細身の五十過ぎくらいの男だった。
女と同じく白衣を纏っているが、こちらのほうが研究者として通用しそうな見た目である。
その目は値踏みするように細められ、こちらの頭から足先までをくまなく観察すると呟くように口をわずかに開いた。
「あれがアフィシアか。小さいな……」
期待はずれかとでも言うように大きくため息をつく男。
「しょうがないですよ。予定より五年は早いんですから」
「ま、小さいなら小さいなりの使い道はあるか……」
男の言葉に頷きで返すと、女はそのままこちらへやってくる。
何の使い道だと内心不安を掻き立てられるが女が近くまでやってくるのを黙って待つ。
「そういえば自己紹介がまだだったわね。
ここの研究員のミリアーナ・グレイクスよ。
で、あの人が研究室室長のハワード・ドリトス」
後ろを指し示しながらそう紹介する。
「えーと、お――、わたしは……誰ですか?」
次は自分かと思い言葉を発し、自分のことを『俺』と言いかけて飲み込む。女の子になったからというわけではないが、なんとなく憚られた。
だがその先に何を言えばいいかわからない。
記憶喪失のテンプレ的セリフが出てくるだけであった。
「あなたの名前はアフィシアよ」
苦笑しつつもそう教えてくれたミリアーナは、俺の頭に手をぽんぽんと乗せたあとにこちらにおいでと手招きして室長の元に戻り、椅子に腰掛ける。
それに釣られるように追いかけると、俺も椅子へよじ登り座り込んだ。
「さて、お前の立場でも説明しようか」
そう言うと腕を組み、顎鬚をなでながらハワードが切り出した。
「ここは王国の軍事研究施設だ。ここで生まれたお前にはいろいろと働いてもらうぞ」
なんだか物騒な予感がひしひしとする言葉だった。軍関係っていっても色々ありそうだけど……。
というか『生まれた』ってなんだ。やっぱりそうなのか。
「軍事と言ってもいろいろ部署があるから、しばらくは訓練しながら適性を見ていくわね」
どうやらいきなり仕事本番とかはないようだ。まぁ、生まれたばっかり?だし、いろいろわからないことだらけだよね。
「あぁそれと、拒否権はないので変な行動は取らないように」
「そうね。他の子たちはともかく、あなたにはあまり使いたくないわね」
そう言うとミリアーナは目を瞑り、念じるように静かに「アフィシア」と俺の名前を呟いた。
「――っ!」
突如として頭痛に襲われ、顔を顰めた。
頭を両手で抱えながら、この症状は目の前にいるミリアーナが起こしているのかと推測する。
「ごめんなさいね」
ふと閉じていた目を開けて謝罪すると、頭痛もすぐに治まった。
「体験してもらわないと実感が沸かないからね。
もちろん、強く発動すれば最悪死んじゃうからそんなことはさせないでね」
とんでもない爆弾を笑顔でぶっこんで来るミリアーナ。
命を握られてるとかこれ以上ない弱みじゃないですか。
もちろん逆らえるわけなどないので、何度も激しく頭を上下に動かす。
というかどういう原理で頭痛がくるんだこれ。さっぱりわからん。
もしかするとこの世界には魔法の類でもあるのかもしれない。
効果範囲があるかどうかも不明だが、逃げ出すなんてことはできないだろう。
この建物の外がどうなってるのか、そもそも安全なのかもわからないし、この小さい体ではできることも少ないだろうし。
「あと、私や室長を害しようとしても発動するので気をつけて」
なるほど。発動させるヒマを与えずに排除ということもできないようだ。
毒とか罠設置で無力化したりはどうなんだろう。そういう意識を持つことに反応するのかな。
「……わかりました」
まぁ試してみて自分が死んでしまっても意味はないのでそれ以上は考えないようにする。
「立場だけでも理解できればそれでいい。訓練はさっそく明日から始めるが、せいぜい死なないように気をつけるんだな」
それだけ言うと、ハワードはそのまま立ち上がり部屋を出て行く。
訓練で死ぬこともあるのか……。なんとも過酷な現実である。
「詳しいことは明日からね。それ以外で何か聞きたいことはある?」
そう問われてひとつ気になったことがあったので問いかける。
「……えっと、さっき『他の子はともかく』と言ってましたが、その……、わたし以外にもいるんでしょうか?」
他にも自分と同じ境遇の子がいればなんだか安心できる気がしての問いかけであったが、その回答を聞いて後悔することになる。
「あぁ、他の子ね……。いるにはいるけど、あなたとは違うわよ」
「――えっ?」
「私たちと同じ姿形の人型タイプはあなただけよ。他の子というのは、魔物や魔獣を基にしたホムンクルスね」
ホムンクルス――。
微かに希望を持っていた、ここは病院のような施設で自分は普通の人。という希望を完膚なきまでに叩きのめす言葉だった。