018 『姉』への信頼
いつもの時間に目が覚めた。夜明け前である。そろそろ本調子に戻ったかな? 体調は悪くないようだ。
隣を見るとティアは幸せそうな顔でまだ寝ている。狭いベッドの上で二人で寝ているので、その密着度は高い。
せっかくなのでティアに抱きついておくことにしよう。胸の谷間に顔を埋めて深呼吸をする。とてもいい匂いがした。
「うぅ……」
というところでティアから呻き声が漏れる。
どうせなら色っぽい声を出してくれたらいいのに。なんとなく雰囲気が台無しである。
昨日お風呂を出てからティアに、明日の朝一でこの街を出て、南のキングバルズ王国を目指すと告げられた。もちろん、俺の体調が問題ないようなら、という条件付きではあったが。
実際に体調は問題ないし、今の王都の様子も不明なので、面倒に巻き込まれる前に離れたくはあったので俺にも異論はない。
さて、ティアの言う朝一がいつなのか分からないが、まだ少しは時間があるだろう。
ティアを起こさないようにそっとベッドを抜けて部屋を出て一階に下りる。すでに宿の職員たちは忙しなく動き出していた。挨拶をして顔を洗える水場の場所を聞いたので、そちらへ向かう。
さすがに早朝だからか、他の宿泊客はいない。宿の裏手にある井戸から水を汲んで顔を洗う。
洗濯でもしようと思ったのだが石鹸が手元になかった。ティアのマジックポーチに入ってた気がするが、さすがに他人のカバンを漁る気にはならないので諦めることにする。
ちょっとストレッチでもするか。自身の体調確認も兼ねて。
最初はなんとなく違和感があった気がするが、三十分も体をほぐしていると調子が出てきた。
「アフィーちゃん、いたー!」
そのときティアが宿のほうから勢いよく飛び出してくる。
「もう、朝起きたらいないんだもん、心配したよ」
腰に手を当てて仁王立ちするその顔を膨らませて怒っているようだが、その姿はとてもかわいい。
あのゴリラ姐さんほどの威圧感でないと、もはや恐怖は感じない。
「ごめんなさい」
「わかればよろしい」
にっこりと笑うと井戸で顔を洗うティア。俺も汗をかいていたので軽く体を拭いておいた。
「体調はどう?」
「もう大丈夫だよ。いつも通り」
「そっか、よかった~。もう一時はどうなるかと思ったけど、元気になってホントによかった」
ようやく一息ついたとばかりにホッとするティア。ずっと心配していてくれたのだろう。
妹みたいでほっとけなかったとティアは言うが、この世界で他人にそこまで優しくなれるものなのだろうか。
本や話で聞いた魔族は忌み嫌われるようなものばかりだが、あれらはほとんどが作り話なのではないか。実際に接することなく語られた話なのでは、という疑問が拭えない。
まだ会って数日しか経っていないが、魔族であるティアのほうが、人族よりよっぽど信用できる。……と思う。
「ティア」
「ん? どうしたの?」
ティアに真正面から向き合う。
「助けてくれて、ありがとう」
キョトンとした顔をしていたが、急に真面目になった俺に対して優しい笑顔で返してくる。
「当たり前じゃない。お姉ちゃんなんだから」
なんだかちょっとずれた返答ではないかと思いつつ、俺の事情は知らないのだからしょうがないかと納得する。それに、こちらの感謝は伝わったようなのでそれでよしとしよう。
「ちょっと早いけど、朝ごはん食べに行こうか」
「うん」
昨日夕食を食べたレストランで朝食を食べる。
白くて柔らかいパンに野菜サラダとスープだった。さすが高級宿、朝食もそれなりにおいしい。
お腹がいっぱいになったところで、あとは荷物をまとめて宿を出るだけだ。
「さて、何か買い忘れはないかなー?
アフィーちゃん何か欲しいものある?」
忘れ物を確認しようとしたところでティアが聞いてくる。
だいたいは昨日のうちにティアが買い物を済ませているはずである。
俺の替えの服をマジックポーチに仕舞っていたが、一着分の服が増えてるのには特にばれなかったようだ。
「えーっとね。実はひとつだけ欲しいものがあるんだ」
俺は無一文なのであまり我儘は言わないようにしているのだが、改めて聞かれるとひとつだけ欲しいものがある。
「え? 何なに? よーし、お姉さんが買ってあげる!」
普段我儘を言わない妹が物をねだってきたのがよほど嬉しいのか、内容も聞かずにとてもいい笑顔で了承する。
期待に応えられるかどうかはわからないが、ここは買ってもらうことにしようか。
「ほんとに?」
「お姉さんに任せなさい!
さあ、行くわよ!」
さっそく宿をチェックアウトして大通りに出ると、目的のお店を探す。
「アフィーちゃんは何が欲しいの?」
「えーっとね」
周りをキョロキョロとして目的の店を探す。確かこの辺りにあったはず……。
「あ、あった!」
そして迷わずに武具店に突撃する。
「えっ? ええー?」
怪訝な顔をしながらも付いてくるティア。かわいいアクセサリでもねだられるとでも思ったのだろうか。残念でした。
「いらっしゃ……い?」
店員さんがこちらに気が付いて声をかけてくるが、俺の姿を見てその掛け声が疑問系に変わる。
が、後から入ってきたティアを見つけて少し安心したのか、今度はティアに声を掛ける。
「何をお探しで?」
「えっと……」
探しているのは俺の方なので、ティアは何も答えられない。
「この子に聞いてください」
どうなるかと思っていたらあっさりと俺に振ってきた。
ガタイのいい店員さんだ。二十歳くらいだろうか。適当に伸ばした青い髪がボサボサと乱れたまま放置されている。
「えっ? お嬢ちゃんが?」
「うん。大きめのナイフが欲しいんだけど」
柄も含めて三十センチほどの長さを両手で示す。
「アフィーちゃん、そんな大きなナイフ、使えるの?」
「大丈夫だよ。あのとき持ってたナイフ無くしちゃったから、ちょっと素手だと手持ち無沙汰というか不安というか……」
盗られた、とは言わない。突っ込んで聞かれるかはわからないが、わざわざ話すことでもないし。
「ふーん。そうなんだ。
――うん、わかった。私が買ってあげる」
何かに納得できたのだろうか。しっかり頷き、反対はしなかった。
「ありがとう、お姉ちゃん」
「でも、危ないことには使わないでね」
買ってあげる条件よ。とでも言わんばかりに釘を刺してくるティア。旅の途中で魔物に襲われたりしても、一人で俺を守るつもりなのだろうか。この街に来るまでは襲われることはなかったが、たまたまなのだ。今後も襲われない保証などない。
「う、うん。わかった」
有無を言わせぬ真剣な表情に圧されて思わず頷いてしまう。素材狩りとか手伝おうと思っていたのにどうしよう。
どちらにしろここで頷いておかないとナイフが手に入らない可能性は高そうなので選択肢は他にないのだが。
「ああ、そういうのは店頭に並べてないから奥から出してきてやるよ」
店員さんはそう言うと、カウンターの奥に引っ込んでいく。カウンターの前でしばらく待っていると、三本のナイフを持って現れた。
「鋼鉄製のナイフが二本と、こっちの黒っぽいほうが黒鋼鉄のナイフだ」
カウンターは地面から一メートルほどだろうか、俺の頭がかろうじて出る程度である。その上に三本のナイフが置かれる。
「触ってもいい?」
「どうぞ」
許可を得たので鞘から抜いて刃を眺める。鋼鉄製のものはそれぞれ、両刃と片刃だった。もともと持っていたナイフよりも軽い。
「黒鋼鉄って?」
ティアが尋ねる。
「黒鋼鉄は金属の一種だ。魔力はまったく通さないが、鉄より少し重いが硬くて頑丈だな。ま、ちょっと鋼鉄製よりは値は張るが……、お嬢ちゃんには少し重いんじゃないか?」
「ふーん。
……アフィーちゃん、もともと持ってたナイフに近いのはどれ?」
次に黒鋼鉄のナイフを鞘から抜いて、軽く振ってみる。両刃で軽く反りが入っており、使っていたナイフと近いのか、なんとなくしっくりくる。
「これかなあ?」
「はあ、ごついナイフ使ってたんだなあ」
店員さんは呆れ顔だ。
何と言われても身を守るのには必要なのだ。店員さんには受け入れてもらう他ない。
「黒鋼鉄のナイフでいいのかい?」
「うん。これにする」
ナイフを鞘に収めてカウンターに戻す。
自分の身を守る武器だ。多少割高になろうが、ここは妥協すべきでない。武器がないと狩りができないし、そうなると返すお金も稼げないのだ。
地道にメイドをやる気はないのだからしょうがない。
「まいど。銀貨五枚になるぜ」
――えっ? なにがごまいだって? 銀貨って聞こえたような。
背中を冷たい汗が流れるのを感じる。顔も引きつっているかもしれない。
銀貨五枚ってあれですよ、あの高級宿に二泊できちゃうんですよ。普通の宿なら十泊ですよ?
そういえば武器って支給されてばっかりで、自分で買ったことなかったな。
まともに切れるかはわからんが、現代日本でも包丁が百円均一で売ってる時代だったし、数千円も出せば普通に切れる包丁が買えただろう。
それと同じような感覚でいたんだが、どうもこの世界は違うのか。
あー、製鉄技術とか考えると、だんだんとそんな気がしてきたな。前世ほど発展はしてなさそうだよな……。そりゃ高いか。
「はい、銀貨五枚ね」
躊躇なく腰のマジックポーチからお金を出すティア。
一体ティアはいくらお金持ってるんだろうか。お金持ちだな。
「どうしたのアフィーちゃん? さっきまであんなに元気だったのに」
だらだらと冷や汗を流す俺に気が付いたのか、ティアが尋ねてくる。
「あ、いや……、こんなに高いとは思わなくて……」
声を小さくしながら目線を足元に落とす。
「あははは! アフィーちゃんは気にしすぎよ。……お姉さんには遠慮しないで欲しいな」
ティアはいつも通りに俺を諌める。が、ちょっと寂しそうな感じがするのは気のせいだろうか。
「うん。ありがとう」
「はっはっは、いい姉さんじゃねえか。
よし、ベルトはサービスしてやる。持って行け」
お金を受け取った店員さんは、カウンターの下からベルトを取り出すと俺の腰に巻いてナイフを引っ掛けてくれた。
「お兄さんありがとう!」
「ありがとう」
ティアに続いてお礼を言う。
「じゃあ行こっか」
「はーい」
「気をつけてなー」
店員さんに見送られながら街の南側を目指す。キングバルズ王国は南だ。
若干の気まずさを紛らわすように自分からティアの手を取って歩き出すと、ティアは嬉しそうに笑った。