殺したいほど愛してる
『君の腕に包まれて』の息抜きです。
重たいのか軽いのかよく分からない作品になってしまいました。
首に冷たいものがあたる。
「…なにしてるの?」
閉じていた目を開けると、そこには脂汗を掻き、震えながら私の首筋に包丁をあてている同棲中の彼氏の姿があった。
「ごめん!ごめんね!お、俺…だめなんだ!どうしても、が、我慢できないんだ!!」
彼には数日前から別れよう、と言われていた。「私の事が嫌いになったの?」「他に好きな人がいるの?」と聞いても、彼は首を振るばかりで何も答えてはくれなかった。彼が好きだった私は当然「理由も無いのに別れるのは嫌」と言った。そんな事を言ったら、彼は出て行ってしまうかもしれないとも思ったが、逃げたら地の果てまで追いかけようと決めていた。しかし、杞憂だったのかここ数日、別れ話など無かったかのように穏やかだった。
それなのに、朝目覚めるとこの状態だ。別れなかった事がこれほどまでに彼を追い詰めていたと言うのだろうか。
このような事態にもかかわらず―――いや、このような事態だからこそなのか、私はいやに冷静だった。
「ねえ、訳を話して?そんなに私と別れたかったの?」
首元で震える包丁が私の皮膚に赤い線をつけるが、私は構わずに問いかけた。彼は静かな私の声に少しだけ正気を取り戻したのか、ちゃんと答えてくれた。
「違う!違うよ。ただ、俺、どうしても…」
「どうしても?」
優しく続きを促す。
しかし、促されて彼の口から飛び出した言葉は衝撃的なものだった。
「俺っ、…好きになりすぎるとその娘のこと、どうしてもこ、殺したくなっちゃうんだ!!」
「…」
「…」
「…えっと…?」
思わず聞き返すと、彼は饒舌に語りだした。
「俺、昔からそうなんだ。好きな子ができて、付き合っちゃったりしちゃうとだんだんすっごく好きになってきてああ、殺したいな~って思うようになるんだ」
おいおい。今、「ああ、可愛いな~」て言うのとおんなじ感じで殺したいって出てきましたよ?これってちょっとどうなんでしょう?
まあ、自分の異常性は彼自身も良く分かっていたそうで、これまでの彼女にそんな感情を抱きだすと、何かと理由をつけて別れていたらしい。だが、しばし待たれよ。この流れ的に彼は私に対しても殺人欲求が顔を出したのだろう。しかし、私がいくら理由を聞いても彼は答えてくれなかったではないか。そのことを彼に聞いた。
「…だって!君のこと凄く好きで、俺は別れたくなかったんだ。例え嘘でも君のこと嫌いになったとか言えなかったんだ!だから、とにかく別れようって言ったのに、君が別れてくれないからこんな事になってるんだ!」
「そんな!私だってあなたが好きなんだから、理由も分からず別れたくなんて無いわよ!」
「でもっ!このままだったら君、俺に殺されちゃうよ!?それでもいいの?!」
「いいわよ!殺しなさい!!その代わり納得いくまで話し合いましょう」
「……えっ?今、なんて?」
「は?!だから、納得いくまで…」
「ち、違う違う!その前だよ!」
「だから、殺してもいいって…」
「はい、ストッーーープッ!!」
「なによ?」
「殺してもいいとか、恐ろしい事さらりと言わなーーい!!」
「包丁突きつけといて言える台詞じゃないわよ!!」
「君のこと俺が殺しちゃったら、残された俺はどうやって生きていけばいいんだよ!?君が死んだら俺、間違いなく生きていけないんだよ!!」
「残されたじゃなくて、残してんのはあなたでしょう!だいたい、私がいなくちゃ生きていけないなら、私殺した後に死ねばいいじゃない!!」
「…君、本気で言ってる?」
「…出鱈目言ってるように見えるの?」
「…」
「…」
「…分かった」
やけに物騒な痴話喧嘩がとりあえず収まった。
私は話し合いをするべく、彼に包丁を収めさせた。
「…で?何を話し合うのさ」
「私が言いたいのは、私を殺すのはもう数日待って欲しいってこと」
「…うぅ~…なんで?」
「だって、身の回りとか片付けたいじゃない」
「…そんな事?」
「そんな事じゃないわよ。私たちが死んだら、確実に警察とか家族とかこのマンションに入ってくるじゃない?」
「うん」
「そうすると、家族はまだしも良く知らないおっさんが部屋をあさって、私の下着とか触るかもしれないのよ?それに、この部屋あなたが取った私の写真だらけじゃない。ちょっと恥ずかしいわ」
「…確かに、誰かが君の下着とか触るのは許せないな。それを触れるのは俺だけなのに…。それにちまちま撮り集めた君のベストショットを見られるのも我慢なら無いな」
途中に問題発言が混じっていたようだが、概ね理解をしてもらえたようでよかった。
「じゃあ、俺は後どれくらい我慢すれば言い訳?」
「ん~、取り合えず…5日で」
「分かった。じゃあ、5日後に君を殺すよ」
こうして穏便(?)に会議は終了した。
「ねえ」
その日の夜、隣で寝ていると思っていた彼が聞いてきた。
「ん~?」
「なんで、殺してもいいなんて言ったの?」
「…ん~、私ね?」
「うん」
「あなたとは違うけど、小さい頃からずっと殺されてもいいと思えるくらい誰かを愛したかったの」
「へぇ~。なんで?」
「よく、分かんない。親は片親で寂しい思いもしたけど、きちんと愛情を注いでくれているのは分かってたし、兄さんは時々意地悪だけど、優しくしてくれた。友達とも先生とも上手くいってた」
そう、私の家庭環境に問題があったとはとても思えない。
「でも、そんなもんかな。俺も君と似たような感じだ。特に問題があったとは思えないんだよな」
「うん。よく分かんないけど、凄く誰かに愛されたくて、誰かを愛したかった」
彼は俺たち似たもの同士だな、と笑った。
私もそうね、って笑った。
そうして夜は更けていった。
5日後。
これまで住んでいた部屋はすっかり綺麗になった。法的なものは一切知らないけど、遺書っぽいものも書いた。今、あんなに賑やかだった部屋は遺書っぽいものと包丁とベッドだけだ。
また、彼と話し合い、私たちの家族がちゃんと私たちを識別できるように顔から上は傷つけないようにしようと言う事、痛いのは嫌なので最初にサッサと殺してもらう事が決定した。
私はお気に入りのワンピースを着て、薄く化粧をし、ポツンと残されたベッドに横たわっていた。彼は私に馬乗りになり、今まさに首を掻き切ろうとしていた。
「最後に言う事はもう無い?」
彼がそんな事を言うので、それではと一つ聞く事にした。
「…聞いてもいい?」
「何?」
「私、あなたのこと殺されてもいいってくらい愛してる」
「うん」
「あなたは、私のこと…愛してた?」
彼はしばし黙って、私の言葉を咀嚼すると、ゆっくりと微笑んだ。酷く、優しい笑顔だった。
「殺したいほど、愛してる」
彼が包丁を振り下ろす腕がスローモーションで見え、やがて視界がゆっくりと黒に侵食されていった。
※ほぼ同名の作品がありますが、まったくの無関係です。
題名これしか思いつかなかったんです…ゴメンナサイ(´Д`;)