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いつもどこかで五分間

作者: ゆきびし

 私、間宮みずきのクラス五年一組には、ちょっとふしぎな女の子がいる。

 とてもおとなしくて、あまりクラスのみんなと関わらない。だれかにいじめられているわけではないけど、いつも一人でいる女の子。

 特にふしぎだなあと思うのは、その女の子こと羽森由乃さんは、とにかくよくぼーっとしている。

 ぼーっと、なにをするわけでもなく、そのまま五分間。それを私が初めて見たときは、クラスが変わってからの最初の体育だった。


 初回だから授業らしいことはしないで、なにかスポーツで遊ぼうという先生の意見にみんなは大賛成。そして、多数決によってサッカーに決まった。私はあまり運動が得意じゃないので、少しげんなり。

 最初は男子から試合が始まって、私たち女子は見ていたりおしゃべりしたりと自由時間。そんな中、羽森さんは一人背を向けて、かがむようにしてそのまま五分間、じっとしていた。

 どうしたんだろう。ふと気になって羽森さんのそばに近づいてみる。羽森さんは私に気づかず、目の前に咲いてある一輪の花をぼーっと見ていた。

「こんなところで咲いてるんだ……」

 思わずつぶやいてしまった。白く小さな花だったけど、ピンと張ったくき、そして何枚もの花びらがおどるように開いているその姿は、とても生き生きとしていた。

 そんな私の言葉でようやく気づいたのか、羽森さんは私に顔を向けた。おどろいたような顔ではなく、頭の上にハテナマークが付きそうな、きょとんとした顔をしている。

 そして、羽森さんはやさしくほほ笑んだ。

「すごいよね、周りは雑草しかないのに、一本だけ咲いてて」

「危ない!」

 羽森さんが言い終わったと同時に、男子の大きな声が聞こえた。どうやらサッカーボールがこっちへ向かってきたようだ。だけどそれに反応する間もなく、ボールは羽森さんの後頭部に当たってしまった。当然、羽森さんはたおれた。

「うわ、大丈夫か!」

「保健室、保健室!」

「男子さいてー! なにしてんのよ!」

 急いで先生が羽森さんを運ぶ。最後にボールをけった男子は真っ青な顔をしていた。

「あとで謝っておけよ」

 他の男子がそう注意し、そしてなにごともなかったかのように試合は再開した。うーん、なんだかなあ。

 そういえば、さっきボールがぶつかった場所。もう一度、あの白い花を確認してみる。白い花は元気だ! と言わんばかりにたくましく咲いていた。

 ……もし、あのとき。

 羽森さんがそこにいなかったら、きっとこの白い花は、ぺしゃんこになっていたのかもしれない。


 それからだ。私が羽森さんのことが気になりだしたのは。一ヶ月経ったいまでも気になっている。

 羽森さんは他の子にはない、どこかふしぎな空気を持っている。上手く言い表せないけど、ふわふわっとした感じ。

「間宮さん、帰ろー」

 放課後。いつものように友達に呼ばれ、いっしょに帰るつもりだったけど。

「ごめんねーまだ用事があるの。先に帰っててっ」

 一度、羽森さんと帰ってみたい。羽森さんと話がしたい。断られたらとかいやな顔されたらとか思っていつも声をかけられなかったけど、今日こそはがんばっていっしょに帰りたい。そしてその羽森さんはというと、席に座ったまま、ぼーっと窓の外をながめていた。

 ……なにかあるのかな。目を細くしてじっと見るも、別になにもない。雲一つない青空がとても晴れやかだ。

 どうしよう、声をかけていいのか迷う。うっかりつぶやいたあのときは笑顔で返してくれたけど、いざ呼ぼうとするとちょっとドキドキする。もう少し様子を見よう。

 数分後、羽森さんはようやく席を立った。ようし、いまだ!

「あの、羽森さん」

 私の呼びかけに気づき、こちらを向く羽森さん。

「なに?」

「よかったら、その、いっしょに帰らない?」

 その問いが意外だったのか、羽森さんは少し考えている。そして、ほほ笑んで答えた。

「うん、帰ろ」

 ああよかった。断られたらどうしようかと。


 帰り道。今日はとなりに羽森さんがいる。いつも同じ友達と帰る私にとって、これは初めてのことだ。せっかく私から帰ろうと言ったのに、まだ一言も話しかけていない。どうしよう、なにを話せばいいのだろう。どきどきして上手く話せない。

「……?」

 急に羽森さんが立ち止まった。こんななにもない道で、どうしたのだろう?

「あ」

 電柱のすみに、子ねこがかくれている。真っ白い毛並で丸まっている姿はまるでわたあめのようだ。羽森さんはその子ねこをぼーっと見つめている。ねこが好きなのだろうか。

 私は正直、ねこが好きではない。私がもっと小さいころにひっかかれて以来、どうにも苦手になってしまった。あのときのねこの目つきはとてもおそろしかった、

 最初はおびえているのか電柱から出てこない子ねこだったが、羽森さんがゆっくりしゃがむと、やがて子ねこは羽森さんの足元に近づいてきた。

「……なついてる」

 羽森さんから数歩遠ざかった位置で、私はそうつぶやいた。

「いいこ、いいこ」

 子ねこの首筋をやさしくなでる羽森さん。子ねこも気持ちよさそうに「にー」と鳴いている。

 すると、その鳴き声に反応するように、その子の母親らしきねこがどこからともなくやってきた。……でかい。

「お母さんねこ、かな? あなた、迷子になってたんだね」

 親ねこはゆっくりと近づき、そっと子ねこを口でくわえる。子ねこがまた「にー」と鳴くと、羽森さんは小さく手をふった。

「よかったね、もう一人になっちゃだめだよ」

 そののんびりとした口調で、羽森さんは笑顔なんだなって分かる。そして立ち上がると、ふり向いて私に謝ってきた。

「ごめんね、待たせちゃって」

 どこか申し訳なさそうな表情をしている。別に私は気にしていない。むしろ話すきっかけができて、逆によかったぐらいだ。

「ううん大丈夫だよ。それにしても羽森さんって、よくぼーっとしてるよね」

「ああー、うん。私、ぼーっとするの好きなの」

「そうなの?」

「そうなの」

 もともとのんびり歩いていた羽森さんの足がさらにゆっくりに。私もそれに合わせるよう、一歩一歩ゆったり歩く。

「五分間ぐらいぼーっとするとね、なんだかいいことがある気がするの」

「いいこと?」

「うん。今日なんて四つもいいことがあったんだよ」

 羽森さんは今日何回ぼーっとしたのか分からないけど、そんなにいいことがあったのか。ちょっぴりうらやましい。

「たとえばどんなの?」

 羽森さんは指を折って数えながら答えた。

「えっとね、まず一つめは虹を見たことでしょ。それで二つめは落とし物をわたせたこと」

 いったいどんな場面でそんなことになったのだろう。それに、あまり羽森さんにとっていいことではない、気がする。

「三つめは、間宮さんといっしょに帰れたこと。それで四つめが、さっきの子ねこが親ねこに会えたこと」

 おおっと? ここで私の存在がいいことの一つに入るとは思わなかった。照れくさい反面、うれしい。

「だから今日は、とってもいい日」

 うーん、と両手を上にのばす羽森さん。私も真似してうーん、とのばす。ああ、気持ちいい。

「羽森さんっ」

「うん?」

「よかったらさ、たまにはいっしょに帰らない? 私、もっと羽森さんと話がしたいの」

 羽森さんはまた止まった。なにを考えているのだろう、まあるい目がさっきの子ねこみたいだ。

「うん、私も間宮さんと帰りたい。よかったら、またいっしょに帰ろう」

 そして、羽森さんは笑った。

 やわらかい、あたたかい笑顔で。


 それから私たちは、週に何回か二人で帰ることにした。それだけではなく、休み時間に話したり、グループ分けするときはいっしょに組んだりと、以前よりも羽森さんと関わる機会が増えている。気がつけば、羽森さんは私の友達とも少しずつ仲良くなっていた。きっかけさえあれば、打ち解けるのは意外と簡単だったようだ。

 羽森さんは、本当によくぼーっとしている。それは登校中でも授業中でも帰り道でも、五分間ぼーっとしては、なにか満足したような笑顔になる。

 そして、その度に羽森さんは「いいことがあった」と私に伝えてくれる。ひこうき雲を見たとか、図書室で借りたい本が丁度返ってきて借りることができたとか、とにかくささいなことでも楽しそうにうれしそうに、羽森さんは話してくれる。

 私は、その羽森さんの笑顔を見るのが好きだった。

 そして、この子がぼーっとしている、五分間も。


「羽森さん、もしよかったら、来週の土曜日に遊園地へ行かない?」

 昨日、お父さんが遊園地のチケットをもらってきた。全部で四枚あって、私の家族を入れてもあと一枚余る。なので、せっかくだから羽森さんをさそおうと思った。今日は金曜日。来週ならばきっと予定も空いているかなと、思い切って聞いてみた。

「遊園地……」

「もしかして遊園地、きらい?」

 羽森さんは、ふるふると首を横にふった。

「ううん、行ったことないから、どんなのかわからなくて」

「でも」と付け加えて、羽森さんは小さく笑みを見せた。

「行ってみたいな。楽しそう」

「ほんと? じゃあ決まりだねっ」

 やった。いままでも何度か遊んだことがあるけど、遊園地のような大きな場所で羽森さんと遊ぶのは初めてだ。

「さそってくれてありがとう。来週がすっごく楽しみ」

 私も楽しみだ。早く来週になればいいのにと、いまから思うぐらいに。

 ――だけど。


 三日後の月曜日。私は、いきなりの出来事に気を失いそうになった。

 朝の時間に、先生がいつもとはちがう表情で言った。

「急でおどろくかもしれないが、羽森さんが今日転校することになった」

 それは本当に、急な知らせだった。教室内がざわざわしだす。だけど私は、言葉が出なかった。

「羽森さんも土日に知ったそうでな。荷物を昨日のうちにまとめて、今日の午前に出発だから羽森さんは欠席だ」」

 一つだけぽっかり空いた席。もう、羽森さんは座らない。顔を見ることも、笑顔も、ぼーっとしている姿も、見られない。

 そんなの……そんなの。


 その日の私はいつもより口数が少なく、終始元気がないままだった。

「間宮さん、羽森さんと最近仲良かったのに残念だね」

「……うん」

「おとなしいしふしぎな子だったけど、いい子だったよね」

「……うん」

 友達との会話も続かない。ただ悲しくて、切なくて、泣きそうで。せっかく、仲良くなったと思ったのに、あまりにも別れが早すぎて。

 いやだ。まだ羽森さんといっしょに話したい。

 いやだ。まだ羽森さんの声を聞きたい。

 いやだ。まだ羽森さんの笑顔を見たい。

 いやだ。いやだ。いやだ、いやだ!!

 まだ、羽森さんのぼーっとした時間、あの五分間、いっしょに過ごしたい!

「先生! 羽森さんに会いにいってもいいですか!」

 授業中、まさかの大声でみんなも先生もびっくりしたいた。でも、そんなの気にしていられない。

 ただ私は、羽森さんに会いたい。

 そんな私の熱意が通じたのか、先生は親指を立てて「ちゃんともどってこいよ!」と許可を出してくれた。

「ありがとうございます!」

「がんばって!」「間に合えよ!」という声をもらいながら、私は急いで教室を出る。そして、校外へ出るやいなや、全力で走った。


 走り始めてどれくらい経ったかはわからないが、もうすぐだ。あそこを右に曲がれば羽森さんの家が見える。だから、神様、お願い! まだ出発しないで!

 そして、やっと着いた。休まないでこんなに走ったのは初めてかもしれない。まだ、いるだろうか。

「……あ」

 思わず声が出た。家の前には車が止まっていて、いまにも動きだしそうだったけど、中に入らないでぼーっとしている女の子がいた。

 いつものように、なにをするわけでもなく、ただ、のんびり、ぼーっと。

 そして――

「羽森さん!」

 息をぜえぜえ切らしながらも、私は大きく声を上げる。すると、羽森さんはこっちを向いた。

「……間宮、さん?」

 びっくりした表情をしたが、すぐに笑顔へと変わっていった。やわらかい、あたたかい、見ていて落ち着くような、ほほ笑み。

「もしかしたら、間宮さんが来てくれるかなって思ってたの」

「え……?」

 息切れをおさえつつ、どうしてだろうと考える。そして、分かった。

「あのね、本当はもう五分前に出発したはずだったの。だけどね、お母さんにあと五分間だけここにいさせてってお願いしてね」

 その五分間がなければ、私は羽森さんともう二度と会えなかった。

 まるで奇跡のような、五分間。

「昨日のうちに電話すればよかったんだけど、迷惑だと思ったから……」

「そんな、迷惑なんかじゃないよ。私、いま羽森さんに会えて、よかったもん! うれしかったもん!」

 息切れが止まった代わりに、今度はなみだが出てきそう。でも、がまんだ。

「私も、来てくれてうれしかった。本当に、本当にうれしかった!」

 続けて羽森さんは言った。

「ごめんね、遊園地、行けなくなっちゃって」

 気がつけば、羽森さんは泣いていた。いままで一度も悲しい顔を見せたことがないのに、鼻をすすって、私の顔を、じっと見て。

 やめて、泣かないで。あなたが泣いたら、私も、泣いてしまう。

「もっと話したかった。もっといっしょに帰りたかった。もっといっしょに遊びたかった。もっといっしょにいたかった! やだよ、転校なんて、したくないよ」

「羽森さん……」

 もうだめだ。がまん、できない。

「私も、もっと羽森さんといたかった! あなたの笑顔が見たかった! これでお別れなんて、絶対にいやだ!」

 でも、私たちがそう言ったところで、転校をやめることなんてできない。

 だから、せめて。

「また会おう? よかったら連絡先教えて」

 泣きじゃくりながら、私は羽森さんの連絡先を教えてもらった。

「あっちに着いたら電話してもいい?」

 羽森さんがそう聞くと、私は「もちろん!」と答えた。

「私も電話する。手紙も書く。だから、またいつか、きっと会お!」

「うん、うん! またお話ししよ!」

「うん!」

 泣きながら、それでも笑顔でいながら、私たちはおたがいをだきしめる。とってもあたたかい、羽森さんの小さな体。それがとても心地よくて、さらになみだがあふれてくる。

「じゃあ、そろそろ、いくね」

「……うん」

 これで、もうしばらくは会えない。それでも、またいつか、きっと会える。

「ずっと、友達だよっ」

 私がそう言うと、羽森さんは、

「うん、ずっと、友達だね」

 にっこりと、やさしくほほ笑んだ。

 それは、私の大好きな、羽森さんのいつもの笑顔だった。


 それから五年が経ち、私は高校一年生になった。あの日から月に何度か電話したり手紙を出したりして、私と羽森さんの交友関係は未だに続いている。

 羽森さんは高校生になっても相変わらずぼーっとしているらしい。でもそこが羽森さんらしくて、くすっとしてしまう。

 そして、私もあの日から五分間、たまにぼーっとするようになった。羽森さんとちがって特になにかが起きるわけでもないが、その五分間が羽森さんと同じ時間を共有している感じがして、とても気持ちがいい。遠くにいても、すぐそばにいるような、安心感。

 そういえば、来週はいよいよ羽森さんがこっちへ遊びに来る。夏休みだから数日間、私の家でいっしょに過ごすつもりだ。

 そして、あのとき約束した遊園地にも行くことに。羽森さんはいまからわくわくしているようで、私も負けないぐらい楽しみだ。

 また、羽森さんの笑顔が見られる。

 また、あのぼーっとした時間を過ごせる。


 ――やすらかで、とても幸せな五分間を。

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