きびだんご②
「姉ちゃん! 姉ちゃん!」
大声を出して、台所から姉を呼ぶのは大神健。制服の袖を捲りあげ、青いエプロンを付け、テーブルに朝食を運びながら、何度も姉を呼んでいる。朝食は、トーストに目玉焼きにサラダと至ってシンプルである。健は自分の座る場所には、醤油を置き、姉の座る場所にはマヨネーズを置く。これで、朝食の準備は、完璧に整った。それでも、姉が扉を開ける事は無い。健が住んでいるのは、木造の2階建てアパート『クラシック』の1階の角部屋が健達の住む部屋。そんな横文字でクラシックとの名前が付けば、お洒落なアパートを想像してしまうが、実際には、築20年を超えるお年寄りなアパートである。
「姉ちゃん!」
キッチンにリビングその隣に襖を隔てて一部屋。健はリビングで姉はその襖の向こうの部屋が姉の部屋。せっかくの朝食が覚めてしまう事に健は苛立ちを覚えて、勢い良く襖を開ける。すると、何度も呼びかけたはずなのに未だに爆睡状態の大神雀。
長く黒い髪は寝ている間に随分と乱れ、着ている着衣もはだけ、寝相の悪さが分かる。
いくら姉とはいえ、女性の着衣の乱れを見た健は、少し顔を赤らめてしまう。それでも、起こさないといけない訳で、雀の部屋のカーテンを開けて言う。
「ほら! もう起きろよ!」
「ん」
雀は光から逃げる様に掛け布団の中に顔を突っ込む。健は溜め息と共に布団を剥ぎ取った。
「起きろ」
そう言うと、雀の目がうっすらと開き始める。その目は流石に姉弟、整った顔をいているのだが、なんとも目つきが悪い。
「ほら、早く、顔を洗えよ」
「ご、御当主と呼びなさいって」
寝ぼけた目を擦りながら、雀の寝起き一声目がこの言葉。この言葉は、雀の口癖の様なモノである。あまりに雀がそう言うので、健もそう呼んでも良いのだが、自分達が住んでいるのは、隣りの部屋や2階の住民が部屋に戻ると分かる程、歩く度に畳が軋む木造アパート。そんな家で、御当主と呼ぶのは、気恥ずかしさがあった。
「……いつまでも、そんな中二病みたいな事を言ってないで、朝飯」
健はリビングに移動して、テーブルの前に腰を落とす。少し、遅れて雀もやって来た。
「何コレ?」
雀はテーブルの上を見るなり、そう呟く。健は「始まった」と思うが無視して言う。
「朝ご飯」
その言葉に雀の身体はワナワナと震える。
「健! 私達大神家は由緒正しき――――」
「分かった。分かったから……朝ご飯は和食にするから」
雀程では無いが、比較的、朝に弱いのは健も同じである。朝食は軽い洋食の方が好きなのだ。それでも、雀がうるさいせいで大神家では、朝は白いご飯に納豆と味噌汁となっていた。たまにこうして、雀の拘りがなくなっているんでは、ないかと思い代えているのだが、雀の由緒正しき家説教が始まる。
雀曰く、先祖を辿れば、平安時代をさらに上回る家系図があり。昔は岡山の大きな屋敷に住んでいたなどだ。その屋敷や、由緒正しさは全て健達の祖父の事業失敗で失った。
「い~や!! 健は全く分かって無い!!」
そのまま雀は、自分の部屋へと戻って行く。それを見た健は溜め息と共にトーストに苺のジャムを塗る。口に入れようと口を開くと、雀が戻って来た。
「これを見ろ!!」
勢い良く、テーブルの上に大学ノートが置かれる。トーストを口元の前で止めたまま、半眼で大学ノートを見た。
「我が大神家の家系図だ!!」
雀がたまに引っ張り出してくるのが、この大学ノート。祖父が事業を失敗した時に歴史的に価値がある物や、高価な物は全て失った。その時に家系図を手書きで写した。しかし、その字があまりに汚いモノだったらしい。というよりも、あまりの達筆に字が読めないのを気にした凛が、解読して書き直したのがこの大学ノート。健はこの話しを聞く度に少し感心する。産まれた時からこのボロアパートで育った。それは雀も同じだろう。なのに、こんな風に親の与太話を信じられるのが凄いと思っていた。健達の両親は健が物心ついた頃に死んだ。はっきり言って、そんな話しを信じる根拠が健にはなかった。
「分かった。分かったから。早く食べるぞ」
今度こそ、トーストに噛り付いて言った。雀は話しの腰を折られて、頬を膨らませたが健の言う通りに座って、トーストをかじる。その時、大学ノートが風に揺られて、ページが捲れる。健は何気なくそのページを見た。
大神家の者は、出産時、家族の者以外の者を呼んではならない。
そう赤文字で書かれていた。そのページだけ、随分と汚かった何度も、開いている様に。
「そのページだけ、なんか汚く無いか?」
健は何気なく雀に聞いた。雀はそのページの言葉を撫でる様に触る。
「……」
何も言わずに撫でるだけだった。
大神家の事になると、口やかましく話す雀が黙っている事に健は首を傾げた。
「ま~いいや。それよりも、早くしろよ? 食べる時間無くなるぞ」
健と雀が家を出る時間は同じ。健は学校に雀は仕事場に行く。雀の仕事場は、駅前のレストランで店長候補として働いており、健も学校に行くには駅から電車に乗るので一緒に家を出ている。
「そうだな……誰かさんは受験に失敗して、電車通学だからな。自転車や徒歩と違ってダイヤルがあるからな。遅れては困るだろうしな」
先程自分の話しの腰を折られたのを根に持っているだろう雀。健の傷を抉る。健の空気が重くなった。
「もう入学して、2か月経つんだから、そろそろ、止めてくれ……死にたくなる」
両親がいない健達は経済的な余裕が無い。だからこそ、進学は公立校を希望していた。
だが、
「フフ。まさか、受験当日に電車が止まって、代わりのバスが事故って、歩いて行ったら、おばあさんが倒れていて、産気づいている妊婦さんに出会って……受験会場に行けなかったんだよ」
死んだ魚の目をして、ブツブツと言う。完全なるトラウマである。雀に似て、目つきと口が悪いが成績は学年でもトップクラス。健も密かに成績が良い事を密かに埃に思っていた。
「……まさかの受験失敗……フフ」
この話しになるとどこまでも暗くなる健。そんな健を見て、雀が言う。
「朝から暗い!」
自らが煽っておいての言葉である。グッと息を呑む健。
「ホラ行くわよ! 弁当を持って!」
健が作った弁当を、まるで自分が作った様に健に持たせる雀。
いつのまにか、着替えを終えた雀が家を出る。健もその後を追って、外に出る。
梅雨時の6月。外は思わず目を細めてしまう程の快晴だった。