三台目の荷車
「西門まで、あとどれくらいだ」
ローディス監察官が尋ねると、補佐官は息を整えながら答えた。
「通常の道なら、四半刻ほどです。ただ、夜間通行許可があります。門で止められることはありません」
四半刻。
私たちが西門に着くころには、三台の荷車は王都の外へ出ているかもしれない。
けれど、ハルト司令官は言った。
門を閉じろ。
今度の荷は、食糧ではない。
「三台は、同じ道を走っているんですか」
私が聞くと、補佐官は首を振った。
「そこまでは確認できていません。王宮倉庫を出たところまでは、三台一緒だったそうですが」
「西門へ向かう道は一つではない」
病室の扉のそばから、カイルが言った。
左腕を吊ったまま、壁に背を預けている。
ローディス監察官が彼を見る。
「別の道があるのか」
「軍用の荷車なら、旧排水路沿いを通れます。狭いですが、王宮倉庫から西区まで、表通りを使わずに行ける」
「西門へ出るのですか」
「最後は出る。だが、途中で西区の倉庫街にも入れる」
ローディス監察官が補佐官に指示を出す。
「二人を連れて表通りへ向かえ。西門にも使いを出せ。荷車を見つけても、まだ強制的には止めるな」
「なぜですか」
「許可証が本物なら、こちらが軍の輸送を妨害したことになる」
補佐官が走り去った。
私はカイルから、旧排水路までの道を聞いた。
「石造りの鐘楼が見えたら右へ曲がれ。その先に、使われていない水門がある」
「分かりました」
「私は――」
「残ってください」
私が言うと、カイルが眉を上げた。
「まだ何も言っていない」
「一緒に行くつもりだったでしょう」
「道を知っている人間が必要だ」
「道は聞きました」
「途中で兵士に止められたら?」
「監察官の命令を見せます」
「それでも止められたら?」
「そのとき考えます」
カイルは何か言い返そうとしたが、左腕を動かした瞬間、顔をしかめた。
「無理はしないでください」
私が言うと、彼は一瞬、黙った。
「それは、今まで私が君に言っていた言葉だ」
「だから返しています」
背後で、ノーラが小さく息をのみ込んだ。
ローディス監察官は何も聞かなかったように、携帯用の記録板を取り出した。
「エリナ・ヴァルト」
「はい」
「旧排水路へ向かえ。荷車を確認した場合、積荷の記載に不備があれば、その場で検査を命じてよい」
彼は紙に短い命令を書き、自分の名を署名した。
「ノーラ・フェル」
「はい」
「中央財務院の封印と倉庫番号を確認しろ。偽造かどうかではない。どこから出た荷なのかを見ろ」
「分かりました」
ノーラの声は震えていた。
それでも、目は紙から逃げなかった。
「監察官は?」
「私は表通りを追う。三台とも同じ道を走っているとは限らない」
ローディス監察官は私に検査命令を渡した。
「荷物だけを見るな」
「はい」
「運んでいる人間も見ろ。命令された者と、命令した者を混同するな」
私はうなずいた。
私とノーラは医療棟を出た。
夕刻の王宮には、仕事を終えた使用人たちが行き交っていた。誰も、西の空を気にしていない。
まだ何も起きていないからだ。
暴動も。
火災も。
誰かが書いた未来は、まだ現実になっていない。
私たちは鐘楼を目印に西へ走った。
正面の大通りから外れると、人影が急に少なくなった。
石壁に沿って細い坂を下り、使われなくなった水門を越える。
そこから先は、乾いた水路の脇に荷車一台分の道が続いていた。
泥の上に新しい轍が残っている。
「通っています」
ノーラがしゃがみ込んだ。
「二台……いえ、重なっています」
「車輪の幅は?」
「同じです。王宮倉庫の標準荷車だと思います」
遠くから、車輪の音が聞こえた。
私たちは道を急いだ。
曲がり角を越えたところに、二台の荷車が見えた。
荷台には灰色の布が掛けられ、前後を四人の守備兵が護衛している。
先頭の兵士が私たちに気づいた。
「止まれ!」
馬車が止まる。
兵士たちの手が腰の剣に触れた。
私は速度を落とし、両手を見える位置に置いた。
「王宮記録院所属、エリナ・ヴァルトです。監察局の臨時検査命令があります」
「我々はギルベルト代理司令官の命令で動いている」
先頭の兵士が答えた。
「西門守備用物資だ。正式な通行許可もある」
「確認させてください」
「軍の輸送だ」
「止めるとは言っていません。記録を確認するだけです」
兵士はしばらく私を見ていた。
やがて胸元から折り畳まれた紙を出した。
封蝋は城門守備軍のもの。
署名はギルベルト・ノイン。
発行時刻も、通行日も正しい。
偽造された許可証ではなかった。
「本物です」
私が言うと、兵士の肩からわずかに力が抜けた。
「なら、道を空けてもらおう」
「ですが、この許可証では通せません」
兵士の顔が険しくなった。
「今、本物だと言ったはずだ」
「はい。許可証は本物です」
私は積荷欄を指した。
「ここには『西門守備用物資』としか書かれていません」
「それが積荷だ」
「いいえ。用途です」
「何?」
「西門で使う物資だという意味です。何を、いくつ、どこから運び出したのかは書かれていません」
「軍の物資を、すべて記録係に見せろと言うのか」
「すべてではありません。この荷だけです」
私は検査命令を広げた。
「記載されていない荷まで、この許可証が通行を認めたことにはなりません」
兵士は検査命令と許可証を見比べた。
「積荷を確認するまで、ここで待ってください」
「拒否したら?」
「この許可証に書かれている荷と、実際の荷が同一であることを、あなたが証明する必要があります」
「私は命令を受けただけだ」
「はい」
私は彼の顔を見た。
「ですから、あなたに責任を負わせたくありません」
兵士の手が剣から離れた。
しばらくして、彼は後ろの車夫に合図した。
「布を外せ」
灰色の覆いが取られる。
荷台には木箱が積まれていた。
ノーラが箱の側面へ近づいた。
焼き印を指でなぞる。
「中央財務院の第四倉庫です」
「財務院が軍用物資を保管しているのですか」
「非常時にはあります。でも、この番号は……」
ノーラは腰の小さな手帳を開いた。
何度かページをめくり、手を止める。
「第四倉庫の西棟は、廃棄予定品の保管場所です」
「開けられますか」
「倉庫の封印は本物です」
「それは、開けられないという意味ですか」
ノーラは首を振った。
「いいえ。本物だから、私が確認します」
兵士が釘抜きを借り、最初の箱を開けた。
中に並んでいたのは短剣だった。
鞘には傷があり、柄の革も黒く変色している。刃を抜くと、いくつかは先端が欠けていた。
新しい武器ではない。
戦うために整備されたものにも見えなかった。
次の箱には、短く切られた槍が入っていた。穂先の多くは鈍く、柄には古い番号が残されている。
ノーラが数える。
「短剣が二十四。槍が十六」
「全部で四十本」
百二十人を武装させるには少ない。
だが、倉庫の中に置いておくには十分だった。
四十人が武器を持っていれば、残りの八十人も同じ集団として扱われる。
最後の大きな箱を開ける。
武器は入っていなかった。
深い青色の布が、細長く折り畳まれている。
私は一枚を取り出した。
腕に巻ける長さだった。
「何に使うものでしょう」
ノーラが聞いた。
私は答えず、箱の内側を見た。
布は十枚ずつ束ねられている。
束が十二。
「数えてください」
ノーラは一束ずつ確認した。
途中から、指の動きが遅くなった。
「百二十あります」
先頭の兵士が眉を寄せた。
「何がだ」
「この布です。全部で百二十枚」
百二十。
西区の作業場で、暴徒として拘束されそうになった労働者の数と同じだった。
あの人たちは武器を取らなかった。
石も投げなかった。
名前を書き、自分たちは暴徒ではないと訴えた。
けれど、これが宿舎へ運び込まれれば、話は変わる。
四十本の武器。
百二十枚の青い腕章。
誰かがそれを発見し、全員が同じ色を身につけていたと報告すればいい。
紙の上では、百二十人の労働者が、一つの武装集団になる。
「この荷は、どこへ運ぶよう命じられましたか」
私が尋ねた。
兵士は許可証を見た。
「西門だ」
「この道は、西区の倉庫街にもつながっています」
「我々は、荷車を西門の担当者へ渡すよう命じられている。それ以外は知らない」
嘘をついている様子はなかった。
ローディス監察官の言葉を思い出す。
命令された者と、命令した者を混同するな。
「荷を一時差し押さえます」
私は言った。
「兵士と車夫は拘束しません。ただし、受けた命令と出発時刻を記録してください」
「我々を疑っていないのか」
「疑うことと、罪を決めることは同じではありません」
兵士は黙って私を見た。
それから部下に命じ、武器から離れさせた。
差し押さえには、中央財務院側の確認署名が必要だった。
私は記録板をノーラに渡した。
「倉庫の封印と、積荷の数を確認してください」
「私が署名するんですか」
「中央財務院の人間として確認したのは、あなたです」
ノーラは記録板を受け取った。
けれど、ペンを持ったまま動かなかった。
「ここに署名したら……」
小さな声だった。
「私は、もう中央財務院には戻れないでしょうか」
その問いに、大丈夫だとは言えなかった。
アルベルト評議官は執務室から出られない。
ギルベルトは代理司令官として、まだ正式な権限を持っている。
この荷を止めれば、ノーラは中央財務院の倉庫管理に不正があったと証明することになる。
「分かりません」
私は答えた。
「戻れるかもしれません。戻れなくなるかもしれません」
「そうですよね」
「私が代わりに署名することもできます」
「でも、倉庫の封印を確認したのは私です」
「はい」
ノーラは青い布を見た。
それから、箱の中の古い武器を見る。
「この人たちは、まだ何もしていないんですよね」
「していません」
「まだ、暴徒ではない」
「はい」
ノーラは息を吸った。
「では、戻れなくなった理由だけは、正しく残します」
ペン先が紙に触れた。
ノーラ・フェル。
ゆっくりと、けれど最後まで止まらずに書いた。
私はその下に自分の名を残した。
二台の荷車は、その場で差し押さえられた。
先頭の兵士には、積荷を守るよう頼んだ。彼は少し驚いた顔をしたあと、短くうなずいた。
ノーラが西区の労働者宿舎へ使いを出す。
誰かが武器を持ち込もうとしても、触れないこと。
青い布を配られても、身につけないこと。
そして、宿舎に入るすべての者の名を残すこと。
今夜、百二十人が暴徒として記録されることはない。
少なくとも、この二台の荷によっては。
「エリナ!」
遠くから馬の足音が近づいてきた。
ローディス監察官だった。
後ろに補佐官が一人いる。
「見つけたのか」
「二台です」
私は開けた箱を示した。
ローディス監察官は武器を確認し、青い布の束に目を止めた。
「百二十枚あります」
「労働者の数と同じか」
「はい」
「二台と言ったな」
その声で、胸の奥が冷えた。
「表通りには?」
「いなかった。西門にも到着していない」
「三台とも王宮倉庫を出たはずです」
「出発記録は確認した。三人の車夫の名もある」
ローディス監察官が、二台の車夫を振り返った。
「もう一台は、どこで別れた」
二人は顔を見合わせた。
年上の車夫が、帽子を胸元へ下ろした。
「鐘楼の手前です」
「なぜ黙っていた」
「三台目は、行き先が違うと聞いていました。俺たちは西門へ向かえと。それだけです」
「三台目は、どこへ」
車夫は唇をなめた。
「穀物検査所です」
穀物検査所。
西区の倉庫に入る食糧は、すべてそこで量と状態を確認される。
王宮の記録上、どれだけ食糧が残っているかを決める場所でもある。
「何を積んでいた」
「知りません。俺たちの荷より軽かった。けれど、箱を動かすなと言われていました。倒せば漏れる、と」
漏れる。
ハルト司令官の声が、耳の奥によみがえった。
今度の荷は、食糧ではない。
ローディス監察官が補佐官に命じる。
「鐘を鳴らせ。穀物検査所と周辺倉庫から人を出せ」
補佐官が馬を返した。
私たちも表通りへ向かう。
旧排水路から坂を上がったところで、西の空が見えた。
夕暮れの赤とは違う。
細い黒煙が、建物の屋根の向こうから立ち上っていた。
穀物検査所の方角だった。
ローディス監察官が足を止める。
ノーラが青ざめた顔で鐘楼を見上げた。
煙は見えている。
通りの人々も、ようやく空を指さし始めている。
それなのに、鐘は鳴らなかった。
火災を知らせるはずの鐘だけが、夕暮れの中で沈黙していた。
二台の荷車には、人を暴徒に変えるための道具が積まれていた。
では、別の道を走った三台目には、何が積まれていたのか。
答えはまだ見えない。
けれど、黒煙の下には、この王国の食糧がある。
そして誰かは、火が上がる前から、鐘が鳴らないことを知っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。




