第二章 ― 羨望と焦燥
「第二シーズン……二学期も、もうすぐ終わりだ」
いつもの朝と同じように、ブルー先生は生徒たちに淡々と言葉を投げかけた。
「だから、お前たちのためにリラックスできる課題を用意した。……他のことに集中する時間を増やすためだ。だが、これでも俺が心を込めて作った課題だ。ルールは三つ。
一、自分だけの映画を持つこと。
二、一つのことを百回磨き上げること。
三、……集中しろ。……ただ……」
ふいに、彼の声が小さくなった。視線の先には、ぽつんと空いたままの座席。
「ジョアンは……いないのか?」
その問いには、どこか脆い響きがあった。
次の瞬間、世界の動きが止まった。天井の扇風機も、さっきまで揺れていたプリントも、すべてが凍りついたように。
——
校舎の別フロア、屋上。目の下に真っ赤な隈を作った男が、うわ言のように呟いていた。
「昨日、娘と食べたピザ……美味かったなぁ……。っていうか、なんで同じ学校なのに男子校と女子校に分かれてんだよ、このブラザー・シスター校ってやつは……」
「ペシッ!」
目の前でスポンジが跳ねた。不機嫌そうな音とともに、男の拳が手すりを強く握りしめる。血の気が引くほど真っ赤に。もし今、誰かがこの的外れな問いに答えなければ、内側から血が噴き出しそうな勢いだ。
「チッ! チッチッ!」
「ショーショ——!」 遠くから大声が響く。
「ベチャッ!」
スポンジが砕け散った。男——ショシルの眠そうな目がカッと見開かれ、反射的に叫び返した。
「あぁ?! なんだよ……!」
だが、数分経っても返事はない。あまりの静けさに、今の声はタイ舞踊室の地縛霊か何かの怨念じゃないかと疑い始めたその時。
ショシルが階段を降りようとすると、目の前に影が現れた。汗だくで、自分よりもずっと暗い影を顔に落とした男。
「……お前、幽霊か?」 ショシルは乾いた笑い声を上げ、口角を歪めた。
「ふん……」 ブルーは不快そうに鼻を鳴らし、ショシルにすべてを話し始めた。
「生徒たちが血眼になって探してきたジョアンの手紙だ。茶封筒に、まだ鮮やかな赤い封蝋。……中身には、一言だけ書いてあった。『ジョアンは連れ去られた』と」
ブルーは静かに手紙を広げ、ショシルに突き出した。
「正式な書状だ。だが分析してみろ。こんな手紙、ジョアンが入学した初日に届いてなきゃおかしいだろ? なのになぜ今だ? なぜ俺と揉めてるこのタイミングで届く……」
ショシルは黙って聞いていた。予想以上に冷静なブルーの顔を見つめ、彼が望んでいる答えを口にする。
「お前を潰すためだよ」
それを聞いたブルーは一瞬沈黙し、それからゆっくりと立ち上がると、何かにとり憑かれたように独り言を漏らした。
「初日から、あいつの面倒を見てきたのは俺だ。みんなに捨てられ、無視されていたあいつを……ずっと見守り、育ててきたのは俺なんだよ」
「で、どうするんだ?」 ショシルは不穏な気配を感じて、食い気味に聞いた。
「連れ戻すに決まってるだろ……。手塩にかけて育てたんだ、そう簡単に渡してやるかよ」
ブルーの瞳は、まるで何かの流れが止まったように静まりかえっていた。ショシルは薄ら寒いものを感じ、黙って彼の後ろを追った。
食堂の前に着き、二人は少しの間を置いてから、のれんをくぐり抜けた。
中はまだ生徒の姿はなく、調理師たちがテーブルを整えている最中だった。二人の教師に気づき、礼儀正しく挨拶する者もいれば、遠くから窺って逃げるように去る者もいる。
ショシルは三色の大きなカーテンを指差した。
「あそこが境界線だ。建物同士を繋ぐ三方向のブリッジ……ハウス(寮)ごとに分けられてる」
それを聞いた瞬間、ブルーは驚きで顔を引きつらせた。
「あそこが各ハウスの入り口だってのか?! ……なら、ジョアンはどこのハウスに放り込まれたんだ」
ショシルは答えなかった。彼もまた、他の奴らと同じように情報を制限されている。
「……ここで、中心で待つのが得策だ」
だが、ブルーはすぐさま疑いの声を上げた。「こんな小さな食堂に、全校生徒が入るわけないだろ……。もっと大きなメイン食堂があるはずだ」
ショシルは唇を噛み、眉をひそめた。「どうしようもない。ジョアンなら……お前がここにいるって気づいて探しに来るはずだ」
ブルーはフンと鼻を鳴らして背を向け、腕を組んだ。「ちぇっ……! あのガキ、今頃どこかで一人でパンでもかじってやがるんだろ」
ブルーのいつもと違う反応に、ショシルは眉根を寄せた。
「お前……まさか……」
「キーン——」
チャイムが一度鳴った。昼休みの合図だ。
カーテンの向こうから、生徒たちが次々と流れ込んでくる。下級生、上級生……見慣れない二人の教師の横を、影か巨大な波のように通り過ぎていく。
「先生、こんにちは!」 愛想よく挨拶する生徒もいれば、傲慢でトゲのある視線を向ける生徒もいる。ネクタイの色は分かれ、それぞれが自分のハウスのテーブルへと着いていく。
流れる生徒の列が途切れ、食器の音と話し声だけが響き始めたその時。
青いカーテンから、一本の手がゆっくりと現れた。のれんを払い、姿を現す。
青いネクタイ。ブロンドのボブヘア。
そして、ブルーが決して忘れることのできない瞳。
だが、ブルーが最初にとった行動は、ジョアンにとっても一生忘れられないものになっただろう。
ブルーは迷わず直進した。
ジョアンは立ち尽くし、合わせる顔がないのか視線を泳がせる。
一瞬だった。
ドォォン!
ジョアンの体が壁に叩きつけられた。両肩を強く掴まれ、逃げ場はない。
ブルーは少し顔を伏せ、鋭い瞳でジョアンを射抜いた。
「てめぇ……死にてぇのか?」




