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八甲田山転生 ~現代知識で雪中行軍を生き抜く。犠牲者は、出さない~  作者: 露李鈴
第四章 1902年1月25日(三日目)

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第三十一話 指揮官たちの決断

「第一索敵隊、帰還!」


「第二索敵隊も帰還!」


 次々と報告が重なる、が――。



「成果なし!」

「被害なし!」


 希望もなければ、損害もない帰還。


 それはつまり、俺たち

 第三索敵隊が見つけた『平沢の炭小屋』以外に、


 この地獄を生き延びる道は存在しないという、

 冷酷な事実の証明だった。



 軍帽の雪を払いながら、

 井上徳蔵イノウエ トクゾウ中尉が口を開いた。


「……つまり、現在の焦点はひとつですな」


 神成大尉が顔を上げる。


「小屋へ移るか、ここに留まるか、か……」


 誰もが理解していた。


 この判断が、二百十名の部隊の運命を、

 完全に二分することを。



――――――――――


「神成大尉」


 張り詰めた空気を、落ち着いた声が静かに割った。

 山口鋠ヤマグチ シン少佐だった。


 雪と氷に覆われた外套。

 疲労を隠せぬ顔。


 だが――

 その眼光だけは、刃のように鋭かった。



「進言してもよろしいか」


 山口少佐の方が階級は上であっても、

 今回の第五連隊における『現場指揮権』は神成大尉にある。


 だからこそ、編成外の一人として、

 神成大尉に進言の許可を求める形をとったのだ。


「……どうぞ」


 神成大尉は静かに頷く。



「小屋へ移動すべきだ」


 山口少佐は言い切った。


「炭がある、暖がある。

 それは、この極限環境における決定的優位だ」


 将校たちが息を呑む。


「兵站の観点からも、得策ですな」


 井上中尉が静かに補足する。


「炭小屋であれば、

 燃料確保の継続性も見込めます」


 山口少佐は小さく頷き、

 天井代わりの雪壁を見上げた。



「この吹雪は、

 これから、さらに強まるだろう……」


 誰も反論しなかった。


 未来の史実を知らなくても、

 ここにいる全員が、その恐るべき現実を肌で理解していた。



「しかし、移動中の危険も無視できません……」


 神成大尉が返す。


「だがな、神成大尉」


 山口少佐が、一歩、前に出る。


「守りとは、時に、動く決断でもある」


 神成大尉の視線が揺れる。


 地図。

 吹雪。

 限界を迎えつつある、兵の列。


 そして――

 部隊全体の命運。



 長い沈黙。


 やがて。



「理由を......」


 静かな声が漏れた。


「私を納得させてください、少佐……」


 それは、まるで、すがるような声だった。

 


「簡単だ」


 張り詰めた場の緊張をほぐすように、

 山口少佐は、あえて明るい声をあげた。


「ここに築いた野営地は優れている。

 それは認めよう。だが――」


 人差し指で、白の世界を指す。


「自然は、我々の努力を容易く踏み潰す」


 一拍。


「だが、小屋は違う。

 あれは、自然の理の外側にある空間だ……」


 風を遮り、炭で暖を得られる、文明の残滓。


「ここで、我らが小屋を発見したのは、偶然ではない。

 天が、我々に与えた、唯一の活路かつろだ」


 その言葉は、軍事的なロジックとしては曖昧で、抽象的だった。


 だが、今、神成大尉が求めているのは、

 完璧な正論ではない。


 重すぎる責任を、

 共に背負ってくれる『背中の後押し』なのだ。



 指揮官としては

 見せてはならない素顔だが、


 それだけ、神成大尉の精神が極限まで削られ、

 限界に近づいてきている証拠だった。


 山口少佐は、それを察して助け船を出してきたのだろう。



「……」


 神成大尉が、静かに目を閉じる。


 その横顔を、

 俺は息を殺して見ていた。


(大尉……)


 この人は、今、

 どれほどの重さを抱えているのか。


 二百十名の命、部下の顔。


 家族が待つ、

 それぞれの家――


 今、俺は、見ているだけしかできない。

 この人が孤独に決断するのを。



――――――――――


「……全軍」


 目を開き、腹の底から決意の声を張り上げる。


「平沢の小屋へ、移動する!」


 空気が、大きく震えた。



「各員に伝達!」

「出発準備!」

「雪濠の最終処置、急げ!」


 神成大尉の言葉に端を発し、そこから命令が連鎖していく。


 凍りついていた兵たちが、

 ひとつの巨大な生き物のように一斉に動きはじめた。



――――――――――


 吹雪は唸る。


 空は荒れ狂う。


 だが――

 俺たちの進むべき場所は定まった。



 八甲田山雪中行軍 三日目。


 第五連隊は――

 再び、白の中へ踏み出した。


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