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八甲田山転生 ~現代知識で雪中行軍を生き抜く。犠牲者は、出さない~  作者: 露李鈴
第三章 1902年1月24日(二日目)

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第二十六話 命を繋ぐ箱舟

 そりを曳く。


 風は依然として牙を剥き、

 雪をつぶてに変えて横殴りに叩きつけてくる。


 視界は数歩先で白く潰れ、

 上下の感覚さえ、もはや曖昧なままだ。



「足元、注意! 窪みを見逃すな!」


 酒井徳次郎サカイ トクジロウ軍曹の鋭い声が、吹雪を切り裂く。


 一歩踏み外せば――

 それだけで、負傷者を乗せた橇は転倒する。


 俺たちは、

 互いの体をロープで結び、


 一歩一歩、

 雪の壁へ体当たりするように進んだ。



 そりの上。


 毛布に何重にも包まれた大蔵元オオクラ ハジメ)大尉。


 その呼吸は浅く、

 白い霧となって散る。


 きついはずだ――


 八甲田の不規則な起伏を拾うたび、

 大尉の負傷した脚に、激痛が走っているはずだ。


 だが大尉は、呻き一つ漏らさない。


 ただ、静かに目を閉じ、


 軍人としての矜持きょうじだけで、

 意識を繋ぎ止めていた。



――――――――――


 斜面に差しかかると、

 雪は、さらに深くなった。


「……っ、重いか!?」


 一瞬、不安がよぎる。



 次の瞬間――


「いいえ! 滑っています!」


 酒井軍曹の声に、力がこもる。



 表層雪崩で削り取られたあとの層は、

 驚くほど固く締まっていた。


 重さ、八十キロの木枠に、一人分の重量。


 かつて、兵たちの体力を削り続けた、

 あのそりの「重み」が。


 今は、自重によって雪面を確実に捉え、

 なめらかな滑走を生んでいる。


 苦痛の象徴だった摩擦音が消え、

 代わりに風を切る滑走音が耳を打つ。


 それは、八甲田山が、初めて我々に道を譲った瞬間だった。



 まさに、箱舟だ。


 俺たちの足を、

 引っ張るだけだった官物が――


 この絶望の深淵で、

 仲間を救う、唯一の手段へと変わっていた。



 そこからの進行は早かった。



「……見えたぞッ! 拠点の明かりだ!」


 誰かが、歓喜の声を上げた。


 吹雪の幕の向こう。


 ぼんやりとした橙色の光が、

 いくつも揺れている。


 俺たちが、心血を注いで構築した、

 あの「かまくら型雪濠」の群れだった。



「気を緩めるな! 最後の十歩だ!」


 酒井軍曹が吠える。


 雪を踏み破り、風を切り裂き――


 俺たちは、

 ついに「人類の領土」へ辿り着いた。



――――――――――


「戻ったぞ!」


 俺の声が野営地に響きわたる。

 雪濠の中から、疲労困憊のはずの兵たちが次々と顔を覗かせた。


「本当か!?」


「少佐殿が、戻られたぞ!」


 湧きあがるのは――


 歓声というよりは、

 震えるような安堵の合唱だった。



 すぐに、

 永井源之助ナガイ・ゲンノスケ三等軍医が駆け寄ってくる。


 手には、救急嚢のうと、

 温められた毛布が握られていた。



 その後ろから、

 神成文吉カンナリ ブンキチ大尉も姿を現した。


「無事か」


 短い問いだった。

 だが、その瞳には熱いものが宿っていた。


「はい」


 俺は敬礼し、答えた。


「山口少佐、大蔵大尉、加藤見習士官。

 三名、生存した状態で救出いたしました」


 神成大尉の視線が、

 静かにそりへ向けられる。



「よく、連れて帰った」


 神成大尉の、その言葉には安堵の色があった。



――――――――――


 永井軍医の、

 手際よい処置が始まった。


 そりから降ろされた大蔵大尉の脚――

 腫れ具合と脈動を確認し、静かに告げる。


「骨に異常はない、疑いはあるが……」


「早期に固定できたこと、何よりそりの上で、

 冷気から守られたのが幸いした……これなら、助かるぞ……」



 山口少佐と、加藤見習士官にも、

 軽度の低体温症こそ見られたが、


 その意識は、はっきりしていた。


 それから、三人は、

 中央の大型雪濠へと運ばれていった。



――――――――――


「ふぅ……」


 夜の野営地に、軍隊としての

 規則正しい「呼吸」が戻りつつあった。


 焚き火の周りで。


 俺は、凍りついた手袋を脱ぎ、

 わずかな熱に手をかざした。



 * * *


 史実では、


 この「二日目の夜」に最初の壊滅が始まっていた。


 指揮官は混迷し、兵たちは彷徨い、

 闇の中で、一人ずつ、命の灯を消していった。


 * * *



 ……だが、今は違う。


 遭難した三名の命を繋ぎ止めた。


 二百十名、

 脱落者はいまだにゼロ――


 雪壁の向こうでは、いまだ、

 八甲田の嵐が狂ったように叫んでいる。


 だが、俺たちは――


 この山を「攻略」し始めていた。



 明治三十五年

 一九〇二年、一月二十四日。


 最悪の夜が、静かに更けていく。


「第三章」読了、ありがとうございます。


今回は、史実でも兵たちを苦しめ、忌み嫌われていた「重いそり」を、命を救う「箱舟」へと昇華させる逆転劇――これを、どうしても描きたくて執筆しました。


史実では壊滅が始まっていた運命の二日目の夜。

脱落者は、依然としてゼロです。


次回より、第四章開幕。

八甲田に適応し始めた第五連隊へ、次々と新しい難問が立ちはだかります。


「全員生還」への道。

ここまで戦い抜いた彼らを称え、応援してくださる方。


まだの人は、下の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】に塗り替えて、

ぜひ、彼らに「勲章」を授与して頂けると嬉しいです!

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