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八甲田山転生 ~現代知識で雪中行軍を生き抜く。犠牲者は、出さない~  作者: 露李鈴
第三章 1902年1月24日(二日目)

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第二十五話 背負う覚悟

 風の止む気配はない。


 八甲田の闇から吹き付ける雪は、

 もはやつぶてとなって俺の顔を打ち据える。


 その視界は、数歩先で無慈悲に白く途切れている。



 身体が冷える――


 気温は、零下二十五度を下回る。



 俺たちは、風雪を避けれる岩陰に、

 身を隠してるとはいえ、


 吐き出す息は、瞬時に凍り、

 外套の襟元を白く縁取っていく。



 だが、それよりも、今、

 俺たちが直面している最大の問題は、


 山口鋠ヤマグチ シン少佐を庇って滑落した、

 大蔵元オオクラ ハジメ大尉の右脚の負傷だった。



――――――――――


「失礼します、大尉」


 俺は雪の中に膝をつき、大尉の脚を改めた。


 腫れ具合、固定の角度。

 そして、骨のわずかな突き出しがあるか、否か。


(骨折まではいっていない。

 ……だが、靭帯か関節が完全にいっている)


 現代なら即手術、全治数ヶ月の重傷だろう――


 不自然な方向に曲がってはいないが、

 激しい炎症で、パンパンに膨れ上がっている。


 この深雪を自力で歩くのは、

 現代の義足でも用意しなければ不可能だろう――



「すまんな、小林少尉……足を引っ張ることになった」


 激痛に耐えるよう、

 大蔵大尉は、歯を食いしばりながら言った。


「あなたは、山口少佐を救った英雄ですよ」


 俺は、努めて明るい声で返した。



 傍らで、山口少佐が、

 吹雪の向こうをじっと睨みつける。


 闇の中から現れる「何か」を待つように。


「……そりか」


 少佐の呟きには、自責に似た苦味が滲んでいた。


 これまで、行李隊こうりたいの足を引っ張り、

 兵たちに忌み嫌われてきた、あの重い木枠。


 それが、今、この極限状態における、

 唯一の希望になろうとしている。


「ここまで、我々の足を散々引っ張ってきた『呪いの装備』が、

 今、この山で唯一の救いになるとはなぁ……」


 力ない声で少佐は呟く。


 やはり、少佐自身も、あのそりについて、

 思うところはあったのだろう。


 上層部の意向、現場からの不満。

 そういった軋轢に挟まれてきたのかもしれない。



「皮肉な話ですね、少佐……」



――――――――――


 寒さは、

 時間の感覚を麻痺させる。


 数分が、

 まるで一時間にも感じられる。


 ここは、本隊の構える雪濠拠点ではない。


 地形が、わずかに風を遮ってくれてはいるが、

 暖を取る火がない。


 じっとしているだけで、体内の熱が指先から、

 足元から、じりじりと奪われていく。



 史実では、十分な雪濠を築けず、

 火も起こせなかった。


 この二日目の夜に、だ……。



 史実では、


 十分な雪濠を築けず、

 火も起こせなかった、この二日目の夜に、


 数十名の将兵が命を落とした。


 今、ここも同じだ――


 ここに立ち往生することは、

 史実同様、そのまま「死」を意味していた。



――――――――――


「ん、あれは……」


 白の深淵のさき、影が揺れた。


 一つ、二つ……。


 そして、暗闇の中に、

 木製の長い骨組みが浮かび上がる。



「少尉殿! 持ってまいりました!」


 酒井軍曹の、地を這うような力強い声だ。


「よく戻った!」


 彼が連れてきた数名の屈強な兵たちが、

 からそりを引きずって現れた。


 その顔には疲労困憊の色が見えるが、

 少佐たちの生存を確認すると、はっきりと安堵の表情を見せた。


 ……ここに来るまでも、一筋縄ではなかっただろう。



「直ちに大蔵大尉を移すぞ! 全員、手を貸せ!」


 俺たちは慎重に、だが迅速に動いた。


 大尉の負傷した脚を刺激しないよう、

 数人がかりで体を浮かせ、橇へと横たえる。


 だが、これで終わりではない。



「酒井軍曹、毛布を……二枚重ねだ」


 歩く者は運動によって熱を産生できるが、

 そりに乗せられ、動くことのできない負傷者は、

 驚くべき速さで冷えていく。



 そこで、最も警戒すべきは――


 冷えた血液の還流かんりゅうによるショック死だ。


 現代医学でいう「アフタードロップ」。


 末端で冷やされた血液が一気に心臓へ戻れば、

 深部体温を急激に奪い、心停止すら招きかねない。


 今の俺たちが、もっとも警戒するべきことだ。



――――――――――


「隙間を埋めろ。雪が入り込めば、

 そこから熱が逃げるぞ」


 大尉の体の下に一枚。

 そして、上から、さらにもう一枚。



 最後に、大尉の体を、そりのフレームに固定する。


 八甲田の斜面は不規則だ。


 不用意な揺れは、

 負傷した脚に激痛を走らせ、

 精神を摩耗させる。



「酒井軍曹、前を頼む……木村、後ろを支えろ。行くぞッ!」



 一歩、雪を踏みしめる――



 待機している間にも

 降り積もった新雪が、膝を打つ。


 だが、俺たちが引くそりは違った――



 表層雪崩で一度削られた斜面は、

 新雪の下に「固く締まった層」が露出している。


 人一人の重量を乗せたそりは、

 その自重によって「氷の層」を確実に捉えた。



「……滑る! 滑っています、少尉殿!」


 酒井軍曹の声に、驚きと確信がこもる。


 呪われていた八十キロの木枠が、

 今、雪上を滑るなめらかな音を立て始めた。


「本隊へ戻るぞ! 誰一人、列を外れるな!」



 俺たちは、暴風雪の壁に体当たりするように、


 一歩、一歩、確かな足取りで、


 拠点の灯り――


 俺たちが築いた「かまくら型雪濠」の待つ場所を目指して、

 力強く歩き出した。


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