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八甲田山転生 ~現代知識で雪中行軍を生き抜く。犠牲者は、出さない~  作者: 露李鈴
第三章 1902年1月24日(二日目)

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第十七話 白い誘いの声

 白が、すべてを覆い尽くす。


 空も、地面も、境界を失っていく。



 自分がどこを向いているのか。

 どこへ歩いているのか。


 その感覚さえ、吹雪の音に削り取られていく。


 足を出す。

 沈む。

 引き抜く。


 ただ、それだけを繰り返す。

 繰り返す。繰り返す。繰り返す。


 次第に、冷気が脳の奥まで浸食し、

 思考が薄らいでいく。


(……このままだと、死ぬな)


 どこか他人事のように、俺は思った。



――――――――――


 ――ねえ。


 どこかで、

 柔らかい声がした。



 ――前だけ、見すぎだよ。


 その声は、責める風でもなく。

  諭す風でもない。


 ただ、静かにそこに寄り添うような、

 不器用な響き。



 ――そんなに、

   ひとりで抱えて、どこに行くの?


 その声に、聞き覚えがある。

 いや、正確には聞いたことがあるはずはないのだが。


 小林守コバヤシ マモル


 この身体の、本来の主。



 ――ほら、すこしだけ、横を見てみなよ。


 俺は、彼の声に誘われるまま、

 視線を動かそうとして。


 初めて気付いた。


 自分が、ずっと、足元しか見てなかったことに。



 ――みんな、ちゃんと歩いてるよ。


 声は、どこまでも、おだやかだった。



 ――不器用でもさ、遅くてもさ、

   みんな、必死にやってるんだよ。


 思い出す。


 存在しない記憶の中から、

 懐かしい思い出が、こみ上げてくる。


 小林守は、ずっと、そういう人間だった。


 命令に逆らえず、要領も良くなくて、

 まわりから「無能だ」と陰で言われても、


 それでも、

 仲間の動きを見ていた。


 誰が遅れているか。

 誰が無理をしているか。


 声を張ることはできなくても、

 黙って、静かに隣を歩く男だった。



 ――ボクはさ。


 声が、少しだけ湿り気を帯びる。



 ――みんなを守りたかっただけなんだ。


 胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。



 ――正しいことを言えなくても、


 ――上手く、立ちまわれなくても、


 ――それでも、皆と一緒に帰りたかった。


 自然と、俺は、唇を噛みしめていた。


 自分も、同じだ。


 現代の知識がある。

 最悪の未来も知っている。


 だが、そのすべてを背負いきれるほど、

 俺の精神こころは強くなかった。



 ――頼ってみても、いいんじゃないかな?


 小林守が、俺の肩に手を置いた。

 そんな気がした。



 ――すこしだけ、仲間を信じてみたら?


 ――キミひとりだけで、戦わなくてもいいんだよ。


 ――みんなで、一緒に、歩こう。


 その言葉が、白に溶けかけていた俺の意識を、

 冷徹な現実へ、力強く引き戻した。



――――――――――


「……少尉」


 背後から、

 現実の声が響く。


 酒井徳次郎サカイ トクジロウ軍曹だ。


「……現場は、持ちこたえています」


 それ以上は、言わない。

 いつも通りだ。


 いつものように、

 俺の隣で、軍の規律ルールではなく

 「信頼」で支えてくれる男。


 その声に、確かな熱を感じた。



 俺は、凍てついた肺を膨らませ、

 息を吸い直す。


 周りを見る。

 後ろに続く兵たちの姿を見る。


 雪に埋もれた外套がいとう

 白く固まった睫毛まつげ

 震えを、必死に抑える指先。


 みんなの限界は、とうに超えている。


 それでも、誰一人として列を乱していない。


 俺が示した「判断基準」を、

 彼らもまた、命がけで信じようとしていた。



 ……そういうことか、小林。


 守る、というのは。


 ただ、前に立って風を受けることじゃない。

 一人で重荷を背負うことでもない。


 仲間を、信じることか――。



「……酒井軍曹」


 声が、自然に漏れた。


「俺だけじゃ、足りない。

 力を、貸してくれ……頼む」


 一瞬の間。


 だが、すぐに酒井軍曹が、

 雪に覆われた顔で、静かに頷いた。


「……了解しました、少尉殿」


 それだけで、十分だった。



 幻だったのかもしれない。


 低体温症による、

 ただの脳の誤作動エラーだったのかもしれない。


 現実と、記憶の境界が曖昧になる現象は、

 この山では、珍しくもないだろう。



 ありもしない声。


 存在しない会話。

 それは、決して珍しいことではない。



 だが――


 たとえ、幻でもよかった。


 あの声は、確かに俺を繋ぎ止めた。


 折れかけた心を、

 静かに引き戻してくれた。



 不器用で、誰よりも

 仲間を思っていた「小林守」が、

 俺の中に確かに生きている。



 白は、まだ猛り狂っている。


 視界も、方向も、

 依然として絶望の中だ。


 だが、

 もう、飲み込まれはしない。


 仲間と、一緒に、進む。



 それが、俺の――

       ――俺たちの、答えだ。


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