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八甲田山転生 ~現代知識で雪中行軍を生き抜く。犠牲者は、出さない~  作者: 露李鈴
第三章 1902年1月24日(二日目)

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第十六話 瀬戸際の極み

 空は、完全に牙を剥いていた。


 気温は、零下二十度を下回っている。

 風は止まず、雪は粉のように舞い上がる。


 二日目の八甲田山は、

 昨日とは、まるで別物だった。


 沢に向かって下るにつれて、

 風雪を遮るものが何もなくなる。


 風が、直接、叩きつけてくる。

 雪が、身体に刺さる。


 新雪は、胸の高さまで積もっていた。


 一歩進むたびに、

 脚を引き抜くようにして進まなければならない。


 歩く、というより――

 雪の中を、泳いでいる感覚だった。



――――――――――


 全体は、止まらなかった。


 行軍は続く。

 号令も、隊列も、規律も、変わらない。


 変わったのは――


 俺の視点だけだった。



――――――――――


 遥か前方を見れば、

 山口鋠ヤマグチ シン少佐に、神成文吉カンナリ ブンキチ大尉がいる。


 判断は、上層部が下す。

 それは翻らない。


 なら、俺が見るべきは――


 足元だ。


 分隊ごとに、動きを確認する。


 歩幅。

 呼吸。

 隊列の乱れ。


 声をかけるのは、限られた相手だけだ。


「無理をするな」


「遅れてもいい」


「異変があれば、すぐに言え」


 命令ではない。

 確認だ。


 声を通して繋がりあい、

 分隊全体を、ひとつの生物にする。


 酒井徳次郎サカイ トクジロウ軍曹が、

 即座に俺の意図を理解した。


 分隊間の間隔を、微調整する。


 遅れが出たところには、

 さりげなく人を回す。


 そんな気遣いの声が、

 波のように分隊全体へ、広がっていく。


 誰も、声高に指示しない。


 だが――

 流れは、確かに変わっていた。



――――――――――


 木村キムラが、少し遅れている。


 綿密な声掛けがなければ、

 見逃していたかもしれない。


 歩幅が、わずかに狭い。

 視線が、足元に落ちている。


「……木村」


 呼びかけると、彼は顔を上げた。


「無理はするな。

 遅れたら、声を出せ」


「はい」


 短い返事。

 だが、声に芯は残っている。



――――――――――


 並行して、荷の見直しも始めなければならない。


 今、使わないもの。

 この先も、使わない可能性が高いもの。


 一つずつ、

 頭の中で切り分けていく。


「残す理由」を探すのではなく、

「捨てても問題ない理由」を積み上げる。


 その方が、判断は早い。



 とはいえ――


 それは、あくまで分隊規模までの話だ。


 装備の整理、運用の変更。

 官物の扱い。


 分隊の枠を超える判断は、

 少尉である俺には出来ない。


 必然的に――


 井上徳蔵イノウエ トクゾウ中尉との

 相談が必要になってくるだろう。


 あの人を通すことで、

 神成大尉への取り次ぎに、

 他隊との調整まで。


 滞りなく進めるのが助かる。


 俺の役目は「案を出すところ」までだ。


 そこから先は、

 残念ながら俺の管轄ではない――



 そりは、もはや限界だった。


 引く者の体力を奪い、

 隊列を乱す。


 進行を鈍らせ、

 消耗だけを積み上げていく。


 だが――


 官物だ。


 勝手には捨てられない。



――――――――――


 二日目の昼前になっても、

 状況は好転しなかった。


 風は強まり、

 雪は、さらに深くなる。


 沢を抜けるたびに、

 脚力と判断力が削られていく。



 それでも――


 転倒者は出ていない。

 脱落者もいない。


 この時点で、

 史実とは、確実に違う地点にいた。



 俺は、思う。


 英雄にはなれない。

 歴史を、正面から変える立場でもない。


 だが――


 一人の兵を、見落とさないこと。

 一つの判断を、遅らせないこと。


 それぐらいなら、できる。



――――――――――


 酒井が、並んで歩きながら言った。


「……現場は、持ちこたえています」


 低く、掠れた声。


 外套の襟から覗く頬には、

 深く刻まれた皺が、白く霜を帯びている。


「ああ」


 俺が短く返すと、

 酒井は、それ以上、何も言わなかった。



 無理は、着実に蓄積してきている――



 ふと、後ろを見る。


 兵たちの外套は、雪をまとい、

 睫毛と眉は、白く凍りついている。


 息は荒く、

 だが、誰一人、列を外れていない。



 行軍は、続く。


 史実と同じ方向へ。

 だが、同じ速さではない。


 俺は、守る。


 全員は無理でも。

 救える範囲を、最大限。


 それが、

 この八甲田山に転生した、

 俺に、与えられた役割なのだろう。


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