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八甲田山転生 ~現代知識で雪中行軍を生き抜く。犠牲者は、出さない~  作者: 露李鈴
第二章 1902年1月23日(一日目)

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第十話 風が変わる

 短い休止のあいだに、

 天候は、はっきりと変わっていた。


 雪が、横殴りに降り始める。

 風が強まり、体感温度が一段落ちる。


 気温は、

 氷点下十度を下回っているだろう。


 数字としては、

 まだ致命的とは言えない。


 だが、

 立ち止まっているだけで、

 体温が奪われていくのが分かる。


 列のあちこちから、

 小さな声が上がり始めていた。


 ――今日は、ここまでにすべきではないか。

 ――引き返すなら、今ではないか。


 「帰営」を意識する空気が、

 確実に、隊内に広がっていた。



 そんな中で、

 列の前方が、にわかに慌ただしくなる。


 将校たちが集まっていた。


 地図を広げ、

 前と後ろを何度も見比べている。


 輪の中心には、少佐がいた。


 背筋を伸ばし、外套の襟を正したまま、

 地図から視線を離さない。


 山口少佐。

 第五連隊の大隊長。


 隣の将校の一人が、

 身を乗り出して何かを言う。


 軍医だろう。

 仕草が、慎重すぎる。


 だが、その言葉は長く続かない。


 山口少佐が、

 短く、何かを返す。


 それだけで輪の空気が決まった。



 俺たちにまで声は届かない。

 内容も、分からない。


 ただ――


 誰かが「戻る」と言い、

 誰かが「進む」と言った。


 それだけは、

 この場の、誰の目にも明らかだった。



 やがて、号令がかかる。

 時刻は正午をまわった頃だった。


 行軍は再開された。



――――――――――


 再開直後から、

 空気が、明らかに違った。


 風が、正面から吹きつける。

 午前中の行軍と、まるで質が違う。


 雪は、細かく、鋭い。

 頬に当たるたび、感覚が削られる。


 視界が、狭まる。


 人の輪郭が、

 少しずつ、曖昧になっていく。


 足を出す。

 沈む。

 引き抜く。


 その一歩ごとに、

 ごりごりと体力が削られていく。



――――――――――


 午後四時頃。


 列は「馬立場またちば」の高地に出た。


 一瞬、視界が開ける。


 遠く――


 風雪に遮られたその向こう。


 山頂から見下ろす、遥か眼下に

 わずかな影が見えた。


「……田代だ」


 誰かが、そう呟いた。


 ざわめきが、列を走る。


 地図上での距離にして、

 あと、三キロ。


 目と鼻の先。

 もう少しだ。


 声には出さなくとも、

 誰もが、そう思った。


 士気が、わずかに持ち直す。

 歩調が、ほんの少しだけ軽くなる。



 俺も、前を見る。


 確かに、ある。

 間違いなく、あそこだ。


 だが――


 距離感が、狂っている。


 白の中では、

 近く見えるものほど、遠い。


 そして、

 単純な距離以上に、

 山の勾配がある。


 それを、

 俺は、知っている。



――――――――――


 列は、「馬立場またちば」の南方へ歩を進めた。


 少し、山を下った先。

 凹地。


 風を、

 わずかに遮れる場所だ。


 ここで、休止が命じられる。


 行李隊こうりたいの到着を待つためだった。



 前も、

 後ろも、

 完全には揃っていない。


 とくに後方。


 そりを伴う行李隊こうりたいの進みが、

 明らかに遅れている。


 斜面。

 深雪。

 風。


 どれもが、

 そりの動きを鈍らせていた。



 そこに――

 神成大尉の命令が伝えられる。


「余裕のある分隊は、

 行李隊こうりたいの援助に回れ」



 俺は、すぐに頷いた。

 分隊を振り返る。


「酒井軍曹。

 我々は、行李隊こうりたいの支援に出る」


「了解しました」


 返事は早い。


 指示を出す前から、

 理解していたと言わんばかりに、

 分隊全体へ手配が回る。


 俺たちの分隊は、

 列を離れ、

 後方へと向かった。


 荷は、

 夜を越えるための生命線だ。


 ここが途絶えれば、

 部隊は、壊滅しかねない。


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