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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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半生

作者: てつや猫

自分の半生を哲学的に分解して、読みやすようにまとめてみました。

 幼い頃、母から「自分のこと好き?」と聞かれた。当時幼かった私はなんとなく「好き!」と無邪気に答えた。

 中学生の頃、また同じ質問をされた。答えはしなかったが、自分の中で答えは決まっていた。「なんとなく、なんとなくだけど嫌いだ」。小学6年間で最初の社会との繋がり、これが全ていじめと理不尽な暴力で埋め尽くされ、母親からは「お前なんか私の子じゃない!!」と半狂乱の状態で陶器製の皿を投げつけられ、心にも体にも大きな傷を負った。これらの経験を踏まえて、6年間ずっと人間らしく在ることを許されなかった。髪を切っただけで頭を鷲掴みにされ、大勢の前でバカにされたこともあった。だから私は人間らしく在ることがどういうことなのかわからず、手探りで生きていた。それに小学校とは打って変わって、中学校という場所はこれまでの常識とは、と考えさせられるほど目まぐるしい変化を遂げる。新しい環境、新しく出会う人間、新しい教材、次々と入れ替わり立ち替わりで教室に入ってくる教科担当の先生たち。授業を担当する人が変われば、宿題のやり方も変わる。期限も変わる。全て新しいこと、慣れないこと、「未知」の連続だ。だから戸惑うし、失敗もするのだ。そして私は新しい環境に適応することに人よりも時間を要する人間だったようで数え切れないほどの失敗とそれよりかは少ない成功を確かに積んでいった。ただ、その当時は失敗の方ばかりに目がいき、失敗した自分を責め、「自分が嫌い」だった。

 高校卒業を間近にした今、自分で自分にまた同じ質問を心に問いかけてみた。「答えは返ってこない」。好きだとか嫌いだとかそういう枠組みを超えたのだ。心と体を含めて「私」なのだから。自分のことを認めてあげるのは自分の心であり、そう考えているのは自分の脳みそであり、これを言葉に書き記すのは自分の手であり…つまり「私は私」だ。生かすも殺すも「私」の気持ちと選択次第なのだ。

 私、私、私、自分探しは終わらない。世界地図のように全てをマッピングしてしまえば終わりかのように見えるが、過去にマッピングした場所、「過去」を振り返ってみれば新しい発見がある。また新しい都市が出来ているのだ。それに全く関係ないような場所で、また新しい発見がある。ただ、自分探しという世界中を駆け巡る旅は自分から知覚して動き出さないと始まらない。自分で自分の心を狭く暗い鳥籠の中に押し込めてしまっては「自分」という輪郭は掴めない。自分から動き出さずに自分の生まれ育った場所からあまり動かない村人、つまりは自己理解を積極的に行わずに生涯を終える人もいるかもしれない。でもそれでいいのだ。私は私の意思で自分探しという旅に出ている。ただ、誰かにこの旅をさせようという意思はさらさらない。自分で行きたいところに行って、自分で見たいものを見る。旅はそういうものなんだから。誰かに無理やり連れられていくものじゃない。本人の選択で旅をしなくたっていい。だから私は私の17年間の半生を旅の日記として記すのだ。これを見た誰かが自分探しの旅へと行く勇気を、背中を押すための何かになれるなら。

読んでいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
・最初の一段落目から「早く続きが読みたい」と思わせる文章になっている。 ・実際の体験談を簡潔に、しかし深く掘り下げられている、非常に面白く興味深い作品。 ・てつや猫本人の心情の移り変わりを分かりやすく…
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