運命だっていうのは嘘じゃない
バスの中で他の人のスマートフォンの画面が見えてしまうことってありますよね。
バスの中、座席の隙間からひとつ前に座る女性のスマートフォンが見えてしまった。流れていく画面を見るに、どうやら動画のようで。
良くない、良くないことは分かっているが、僕は隣に座らせていた鞄から眼鏡を取り出す。 かちゃ、と眼鏡をかけて鼻の部分を押さえ、よく女性のスマートフォンに注目した。
思わず声を漏らしてしまうところだった。その動画は僕が何度も何度も繰り返し見たもので、見覚えがあるどころではなかった。もしかしたら、前の座席に座る髪の長い彼女もこの動画が好きなのかもしれない。 そう思うと興奮してきて、心を落ち着かせるのに数分を使った。
あの動画好きにバスの中で出会えるなんて、まるで運命みたいだ。と安っぽく運命に感謝していると、彼女が降車ボタンを押したのが見えた。僕は慌てて眼鏡をケースにしまい、鞄に仕舞い込み、そして彼女を追って降車したのだった。
「あ、あの!」
彼女は驚いた顔で振り返った。そんな顔でも可愛い、そう思った。もう勢いだった。
「お茶、しませんか?」
彼女はぱちくりと瞬きをし、次第に顔を赤くしていった。口元を手で隠して言う。
「ごめんなさい……」
「あの動画、ごめんなさいチラッと見えちゃって。あれの話聞きたくて」
彼女は首を傾げた。
「動画、ですか」
「はい」
「お代は全部持ちます」
「……なら」
僕は心の中でガッツポーズをし、ウキウキで彼女をカフェまで案内するのだった。
カチャ、と彼女の飲むコーヒーのカップがソーサーに置かれた。
「それで、動画の話でしたっけ」
「はい。運命感じたので」
「……言っときますけど私、あの動画好きじゃないですよ」
持ち上げていた紅茶のカップを空中で止め、僕は固まってしまった。
「だって、テンポ悪いし、字幕は何故か一拍遅いし、無理してそう感が伝わるっていうか、そもそも企画が面白くないよね」
「へ、へえ」
「あの動画好きだったらすみません……」
彼女は肩を竦めて、またカップを持ち上げた。僕はそこで漸く紅茶を思い出し、一口飲んだけれどひどく苦い。顔を顰めて口を離せば、彼女は不思議そうな顔でこちらを見ていた。僕はなんとか取り繕おうと口を開く。
「別に……僕も大体同じ感想ですから」
正気か?という顔をされた。
「私はあの動画、まあ下手は下手ですけど、好きな人もいるんじゃないかなって思います」
だから気にしないで、とでも言いたげに彼女は口角を上げた。もうその笑顔も、どうにも可愛いと思えなくなってきていた。
「これ、レビュー代」
僕は財布からくしゃくしゃの一万円札を取り出して、机の上に置いた。そのまま立ち上がった僕に、困惑したような彼女の声が聞こえた。
「あ、あの……?」
「運命を感じたっていうのは、本当のことですよ」
彼女は首を傾げた。僕はふっと笑って一万円札を
よけいに彼女の方へ滑らせる。彼女は受け取れないとばかりに胸の前で手を振るが、関係ない。もう僕は帰るだけだ。
尚も引き留めようとする彼女に、僕はちょいちょいと手招きして顔を近づけさせる。
「言い忘れてました」
彼女の耳へ、そっと耳打ちする。
「まさか、視聴者さんと出会えるとはね」
彼女は何故か歓喜するでもなくギョッとした顔でこちらを見ていたけれど、僕はそのまま店を後にした。