つまらないと婚約破棄された私ですが、二度目の婚約は溺愛されるようです
本日、エメル・フラウビット侯爵令息とスカーレット・ブラドリオン公爵令嬢の婚約が結ばれた。
(こんなに美しい人が、私と……)
さらさらと揺れる黄金色のウェーブヘア。琥珀のような、蜂蜜のような、知的で温かみのある切れ長の瞳。すらりとした立ち姿も、自信に満ちた表情も、すべてが美しいと感じた。
「これからよろしくお願いいたします、エメルさま」
「ああ……いや」
この婚約が結ばれる前はろくに会話もしたことがない。もちろん、名前もなんとなくの風貌も知っていたが、関わりは薄く、声もまともに聞いたことがなかった。
たった一言。それだけで、聞き惚れてしまうような声をしていた。
この婚約は王命で断れる理由もないが、学友であった第一王子からは相手方が乗り気だと聞いている。
こんなに美しい人なのだから、生涯の伴侶にと望まれる声も多いだろうに、なぜ自分なんかに、という思いがなくはない。
幸運、だったと思うべきなのだろうか。それとも。
「先に、言っておきます」
「はい」
「……私は、貴方の愛には応えられない」
その日は、それ以上の会話はなく解散となった。
愛には応えられない――。けれど、この婚約はよほどのことがない限り解消はされないだろう。いやどんな婚約だってそうだ。普通は、婚約破棄などは有り得ないのだから。
(その有り得ない婚約破棄をされたのが、私だ)
つまらない。そう言った元・婚約者の声は今でも鮮明に思い出せる。
婚約者として懸命に務めたつもりだった。勉強して、身だしなみにも気を遣って、流行りの服を着て、楽しませられるように色んな話題も用意した。好きな焼き菓子を用意して、似合うと思い選んだブローチに手紙を付けて贈った。でも、駄目だった。
私の想いはなにひとつ、婚約者には届かなかったのだ。
王命。いずれ愛のない結婚になるとしても、王家や相手方の家の手前、婚約者として仲睦まじくしている姿を見せなくてはならない。
「きれいな花……」
二人並んでフラウビット家の庭園を歩く。社交界では“花の侯爵夫人”という呼び名が存在するほど、フラウビット家は庭園に力を入れている。
美しい婚約者は、カツカツと軽快な音を立てて煉瓦道を歩く。その肌は透き通るように白いのに、不健康さはなく、むしろ太陽の下のほうが似合うくらいだ。髪がきらきら煌めくようで、咲き誇る花々を背景にしたその姿はまるで童話の世界を切り取った絵画のようだった。
「いい匂い」
「……それは、キャンディ・フロルですね」
「キャンディ・フロル? 初めて聞きました」
こちらをまっすぐに見つめる瞳はやはり、美しい。
「祖父の代に品種改良によって生まれた花です。祖母が名前を外に出すのを嫌がったため、貴方が知らないのも無理はない」
「ええと」
「……フローラ・フラウビット。祖母の名です」
「まあ」
要するに、愛する人の名を花に付けたということだ。キャンディ、なんて甘い冠言葉を付けて。
二人に会ったことはないが、花を見て、その甘い香りを嗅ぐとお互いに愛し合う夫婦の姿が簡単に想像できた。
「素敵です」
「それは……私も、そう思います」
ふわりと、柔らかい春の風が吹いた。
「エメルさま、お疲れではありませんか」
「え……いえ、そんなことは……」
何度目かのデートの日。劇場に行って、流行りの芝居を観る予定だった。
「今日は日差しも穏やかで風が気持ちいいから……今日は予定を変更して、私、エメルさまに我が家の庭を案内して差し上げたいのだけれど、いけませんか?」
「いえ、とんでもない。……貴方が良ければ、喜んで」
日差しがあたたかい。風が心地よい。新緑がそよそよと揺らいでいる。大きく呼吸すると、なんだか、余計な力が抜ける気がした。
「さあ、こちらへ。私のお気に入りの場所なんです」
公爵家の侍女は優秀で、そこには既に敷物が敷かれていて、お茶や軽食の用意もある。
広い庭の隅の方にあるその場所は、大きな木の影が落ちて、少しだけ涼しい。
ゆったりと座って、時間の流れに身を任せる。そよ風に揺れる木々のざわめき。遠くから流れてくる花の匂い。手に当たる木漏れ日のあたたかさ。
「……」
「ふふ……」
「……?」
「ああ、ごめんなさい。眠そうなお顔が、可愛らしいと思って」
「……御冗談を」
少しだけ目を細めて、口元に手をやるその仕草がやはり美しくて、胸が締め付けられるようだった。
この人が自分の婚約者だと、いまだに信じられない部分がある。この人の隣に立つ自分が、上手く想像できないと言ってもいい。
それでも、この人に幸せになってもらいたい、という想いは、紛れもない真実だ。
だから、本当は……こんな想いは抱かない方が、いいのだけれど。
「……私にとって、この婚約は幸運だったとしか言えません。貴方にとってそうではないとしても」
「どうして、ですか?」
どうして、と呟くように言う。続きを促す言葉だというのに、聞きたくないというような。
……情けない声だ。
「こんな“つまらない”男との婚約を、どうして望んでくださったのです」
――貴方、つまらないんだもの。
婚約者に言われた言葉。
――学院の教科書に載ってそうな誘い文句ね。
笑っている。嗤われている。
――貴方と過ごすよりもレモネードを飲んでいたほうがいくらか刺激になりそうだわ。
婚約者だった女も、友人だと思っていた男も、みんな。
“婚約者ひとり満足させられない男”だと、そう語る目で私を見ていた。
「学院の中庭」
「え?」
「日影に萎れた花があって、日向に植え替えてる子をたまたま見かけたんです。黒髪は目立つから、フラウビット家の子だってすぐにわかった。手を土で汚しながら植え替えて、水をあげて、やりきったって顔でちょっとだけ笑った子のことを、私、二階の窓からずっと見てたの」
確かに、そんなことがあったような気がする。学院の中庭はいつもあまり人気がなくて、まさか誰かに見られているとは思いもしなかった。
「その時にはもう貴方は婚約者がいたので、どうにもしませんでしたけれど」
「え、ええと」
「あの方にとっては“つまらない男”でも、私にとってはそうでないのです」
美しい瞳で見つめられてそう言われると、もう逃げられない、という言葉が頭に浮かぶ。
彼女のひやりとした美しい指先が、そっと、私の手の甲を撫でた。二人の手が重なって、じわり、じわりと、手のひらが汗でじっとりと湿る。
自分は今、上手く呼吸できているだろうか。
「かわいいひと」
「……っ」
「いいのよ。貴方が愛に応える気がなくても。こちらに離す気もないのですから」
「それは、」
きっと、つまらない自分は愛想を尽かされる。望んでくれる、愛してくれていると思った存在から切り捨てられるより、一方的に嫌われる方が楽だった。そんな、臆病で、みっともない弱気から口にした言葉だ。改めて彼女の言葉で思い出させられると、恥ずかしくて顔から火が出そうになる。
「ふふ。でも、私は確信してるのよ。貴方のそのスミレ色の瞳が語ってるもの。私と離れたくない、って」
「それは……」
その通り、だ。
この美しい人を、花のような笑顔を、こちらを気遣う木漏れ日のような優しさを、手放したくないと思う自分がいる。
望んでも、良いのだろうか。
「私は、流行りの芝居より、自然を感じている方が好きです。着飾った貴方は美しいが、シャンデリアよりも、陽の光のほうが似合うと思ってしまう。そんな男でも、あなたを愛していいのでしょうか」
「ええ。私、そんな貴方が好ましいと思ったのです。貴方は貴方のまま私のそばにいて、どうか末永く私に愛されてね?」
美しい瞳に、私だけが映っている。
「私の、かわいいひと」
柔らかな手に頬を撫でられる。髪を漉くように細い指先が耳をくすぐって、思わず身を固くすると彼女は――スカーレットは、吐息のような笑みを漏らした。
つまらないと婚約破棄された私ですが、二度目の婚約は溺愛されるようです。




