2話 『純太郎とセオドアさん』
本編5,789字(空白・改行含まず)
読了推定時間約12分
男の人は歩く速度を一切変えることなく、1つの建物の中に入っていった。
建物内はなんだかガヤガヤしていて、賑やかな声が外にまで聞こえてきている。
建物にはドアがなかった。
西部劇にあるような、あの押すだけのドアもない。
この建物って結構大きいし、3階建てかな?
陰に馬車があるけど、どういう施設なんだろう。
あの人は当たり前のようにここに入っていったからきっと関係者なんだろうけど、オレが入ってもいいのかな……?
あ、看板があった。
『冒険者ギルド クーリエ市街地第二施設』
ギルド……!? ギルドってあの、モンスターを倒した後で報酬とかを貰うやつ……!? ファンタジーだ!
フィクションだけの話じゃなかったんだ……!
そういえば神様って、地球を参考に楽園を創ってるって言ってたよね。すごい、こんなものまで参考にするんだ……!
オレの知る限り、ギルドで依頼を引き受ける冒険者になるんだったら身分証を作らないといけないから、じゃあオレ堂々とギルドに入ってもいいんだ!
あ、いけない。
あの男の人を待たせちゃってるかもしれない。
早く行こう。
オレは急いでギルドの中に入っていった。
「遅い! 早く来い!」
中に入った瞬間、辺りを見渡す暇もなくあの男の人の声がワッと耳に飛び込んできた。
舌打ち交じりに、男の人はまたずかずかと歩き進んでいった。
オレはビクビクしながらその背中についていくしかなかった。
わくわくした気持ちが一瞬でなくなってしまった。
怒鳴られたことにビビって周りを全く見れない。
視界の端から黒いテーブルと長椅子が並んでいることはなんとなくわかった。
「エンジュ、2人な」
「はぁい、只今」
男の人は女の人にすれ違いざまにピースして、長椅子に座った。
「座れ」
さっきの人と声のトーン全然違いすぎるんですけど!?
オレってそんなに邪魔かなあ……。
そりゃ邪魔だよなあ、勝手についてきて無理矢理関わろうとしてくるんだし、うざいよなあ……。
「お邪魔します……」
しょんぼりしながらオレは男の人の斜め前の席に座った。
すると、さっきの女の人がオレたちのテーブルのところに戻ってきた。なんか色々持ってる。
「こちらお水になります。おかわりは自由ですので、お好きなようにお飲みください」
「はい、ありがとうございます」
男の人は明るい声で言った。
女の人は銀のトレーから空のコップを2つ、水が並々と入った容器(これ名前なんて言うの)をテーブルの上に置いた。
オレはぎょっとしてコップと女の人と男の人を順番に見ていった。
だってこれ、どう見てもレストランだよね……?
なんでギルドにレストランがあるのとか、どうしてレストランに連れてきたのとか、色々と訊きたいことが増えてきた。
あたふたしているオレに対して、男の人はけろっとしている。
「こちらメニューになります。お決まりになりましたらスタッフにお声がけくださいませ。それでは、失礼いたします」
店員さんは数種類のメニュー表をテーブルに置くと、一礼してこの場を離れていった。
丁寧な接客だなあ、いいなあ。
日本でもこれくらいの接客してる人はたくさんいるけど、ここが異世界だからかな、丁寧で感動してしまった。
「かわいいだろ、あの人」
男の人はニヤニヤしながらコップに水を注いでいた。
オレはさっきの店員さんを探した。
あ、なんか料理持ってる。
さっきは緊張と動揺で気付けなかったけど、店員さんは薄茶色のふわふわした長い髪をしていて、頭にはウサギの耳が付いていた。ぴこぴこしているから付け耳じゃなくて、ウサギの獣人なんだということがわかる。
抹茶色のワンピースに、白いヒラヒラしたエプロンを着ていた。これは制服か。
はー、よく見るとかわいい人……じゃない、かわいい獣人だったんだ。
いいなあ、綺麗だなあ。
「かわいいです。接客も丁寧だし、いいと思います」
「あの人来月結婚するってさ」
「ええっ!? べべっ、べっ、別に、そういう目で見てたんじゃないですよ!」
「はいはい」
男の人はオレの言い分をあしらいながら、水の入ったコップを渡してくれた。
オレは顔を真っ赤にしながら受け取り、恥ずかしさをごまかすために水を一気に飲んだ。
「ふー……」
異世界に来て初めての飲み物だ、体に沁みる。
……そういえばこの人、さっき店員さんの名前呼んでたよね。「エンジュ」? みたいなの言ってたっけ。
「あの、なんで店員さんの名前知ってるんですか?」
「俺ここの常連だし、店員の名前ぐらい覚えるさ」
「へぇー……」
「コップ寄越せ」
「あ、はい」
空になったコップを渡し、また水を注いでもらう。……じゃない! 人にやってもらっちゃだめだ!
あたふたするオレを余所に、男の人は平然として水を淹れたコップをオレの手元に置いた。
申し訳なさが募り、でもお礼は言わなきゃという気持ちが重なって、結果的にぼそぼそとした声でお礼を言うことになってしまった。
男の人は聞こえなかったのか、素知らぬ顔でメニューを広げていた。
オレもそれに倣って、おそるおそるメニュー表を1つ手に取った。チラリと顔を上げる。
「あの、なんでご飯なんですか?」
「食ってないんだろ。食えよ」
「え、オレ、2000円しか……」
「奢るからいいよ。訳ありが無駄遣いすんな」
「え、あ、ありがとうございます……」
ああ善意だったんだ、よかった。
でも申し訳ないな、オレみたいな見ず知らずの人間にご飯奢るなんて普通しないでしょ。
今から断ったら失礼になるかな……でも断ったとてオレ2000円しか持ってないんだよな……。
「限定ものでも何でもいいよ。今ならナシェリエが旬だからでかいの食べられるし」
男の人は別のメニュー表を開いてオレに見せてくれた。
そこには普通のご飯の上に見たこともない野菜と青い琥珀糖みたいなものがかけられた料理の写真が張られていた。
『たっぷりナシェリエのライスサラダ』という名前らしい。
ナシェリエなんて食べ物聞いたことないよ。
この世界だけの食べ物なのかな?
320円か、良心的だね。
「じゃあこれと……」
オススメされた料理を食べないのはそれこそ失礼に当たるよな、ここはありがたくご馳走になろう。
オレは次のページをめくった。
「風見だっけ」
男の人はオレの名前を言った。
さっきまで「おい」とか「お前」とかしか呼んでくれなかったのに、初めて名前で呼んでくれた……。
といっても名字のほうだけど……。
「は、はい」
「俺セオドア」
セオドア?
……この人の名前かな?
「セドオア、さん?」
「“セオドア”さんな。二度と間違えるなよ」
「あっ、ごっ、ごめんなさい!」
「そこまで謝んないでいいよ。メニュー決まりそう?」
「え、えっと、スープが飲みたくて……」
「スープならこっちにあるよ、はい」
セオドアさん……は、自分が持っていたメニュー表をオレに見せてくれた。
スープの写真が見開きでいっぱい並んである、すごい。
「あ、ありがとうございます」
「終わったら呼んでね」
「はい」
セオドアさんはもう決まったのか、水を飲みながら暇そうに別のメニュー表を眺めている。
オレはなるだけ急いでこのスープたちを見比べた。
へぇ、スープだけで色々あるんだなあ。
真っ青なスープとかも普通にあるのに、美味しそうに見える。
あ、鳥の獣人オススメとかもある。
そっか、種族ごとで食べられない料理とかもあるのか。
お、これ美味しそう。
ニンジンと肉と他の野菜が入ってるオレンジのスープ。
しかも『コンソメ』って書いてある! 絶対食べれるやつだ!
「決まりました」
「ん、なに?」
「このコンソメスープと、さっきのナシェリエのやつです」
「わかった。すいませーん!」
「はーい!」
セオドアさんが店員さんに声をかけると、すぐさま黒髪の店員さんがこっちのテーブル席に来た。
セオドアさんはメニュー表を指差しながら言う。
「この『たっぷりナシェリエのライスサラダ』と、『デュワイン野菜のコンソメスープ』と……『レィロウのステーキ』をください」
「かしこまりました。ご注意を繰り返します。ナシェリエのライスサラダが1点、コンソメスープが1点、レィロウのステーキが1点でよろしいでしょうか?」
「はい、大丈夫です」
「かしこまりました。それでは少々お待ちくださいませ」
店員さんは軽く一礼して向こうへ戻っていった。
「野菜好きなの?」
「はい、好きです」
「ふーん、珍しいね」
セオドアさんがメニュー表をパタンパタンと閉じていくのを見て、オレもパタンとメニュー表を閉じた。
「さっきの人はここのギルド嬢と付き合ってるよ」
「ですからっ! オレそこまで女性と付き合いたいなんて思ってないですよっ!」
「え〜、思ってないの〜」
「思ってないですよ!」
「ふ〜ん」
女性と女性が付き合っていることに驚くよりも、オレが子供だからっていちいち茶化してくることのほうがムカついた。
セオドアさんはにまにま笑いながらメニュー表を1ヶ所にまとめた。
オレもその上に重ねると、セオドアさんがオレに手を差し出してきた。
「ん」
「ん?」
「巻物、もう1回見せて」
「ああ、はい」
オレは傍に置いていた巻物をセオドアさんに渡した。
セオドアさんは巻物を広げ、じっくり読んでいく。
……そういえば、セオドアさんってこの世界の人だよね。
だったら誰がどんなに偉いのかもすぐわかるのか。
これからの旅、やっぱりオレ1人より誰か現地の人と一緒に行くべきだよね。
やだなあ、知らない人怖いなあ。
どうせだったら中原も一緒に連れてきてくれたらよかったのに、オレのすぐ真ん前にいたんだからさ。
セオドアさん一緒に同行してくれないかなあ。
結構否定的だったからやっぱり難しいかなあ。
セオドアさんは次々と読み進めていくうちに、顔つきがだんだんと怖くなっていっている。
そのたびにチラリと目だけでオレの顔を確認する。
怖いなあ、何が書かれてるんだろう。
そんな無茶なことが書かれてるのかなあ。
「みょっ!?」
セオドアさんが「みょ」と叫んだ。
『みょ』ってなに!? 本当に何が書かれているの!?
顔がどんどん怖くなってきている。
眉間がもうシワだらけで、目つきは悪くなるばかり。
するとセオドアさんは「ふぅー」と長い溜息を吐いて、静かに水を一口飲んだ。
「お前やっぱ天界を追放された記憶喪失の天使だろ」
「天使じゃないです……」
「天使じゃないかあ。だったら何者なんだよマジで」
セオドアさんはテーブルに手をついて、後ろに反り返った。
「何者と言われましても……」
そういえばオレって、この世界から見てどう思われてるんだろう。
異世界人ってのはそうなんだけど、勇者の後継者とか、そういうの全然教えられてないのかな?
「あーあ、マジで全世界渡り歩くことが決定したわ。がんばれよ風見」
「あの、全世界って国だけじゃなくて、空とか海とかも入るんでしたっけ?」
「おう、海底から空天、国の首都から孤島まで、アコの大地全てが全世界だよ」
「アコ?」
「アコ」
「アコって?」
「は? ……ここ」
「ここ?」
「この世界」
「この世界──」
あ、質問間違えたな。
この世界って『アコ』っていう名前があったんだ。
神様は「楽園」しか言わないから名前なんてないって思っちゃってたよ。
そうだよな、地球の別世界の場所なんだから○○星じゃなくてこの世界の名前を出すに決まってるよなあ。
セオドアさんは怪しい者を見る目でオレを睨んでいる。
こわい。そんな目で見てこないでほしい。
「……お前、どっから来た?」
今までオレが聞いたとこもないくらいの低い声。
信用できないとか、なんかそういうのが根底にあるような……とにかく不信感丸出しの顔だ。
ここで嘘をつく意味はないし、正直にぶちまけよう。
「あの、驚かないで聞いてほしいんですけど……」
セオドアさんは何も言わない。
「実はオレ、月の勇者の後継者で、地球という別の世界から、呼ばれて、来ました……」
だんだんと声が小さくなってきた。
我ながら情けない。もうイヤ。
「チキューっていう世界があんのか」
「……はい」
正しくは星ですけどって言いたいけど、今そんなこと言ったら話が余計に複雑になるだけだよね……。
沈黙。
沈黙。
沈黙。
静かだよお、つらいよお、気まずいよお。
お願いだからなんか言ってよお……。
「お待たせしました、こちらコンソメスープとライスサラダになります」
救世主!!!
店員さんがオレのご飯を運んで並べてくれた!
この気まずくなった空気を乱してくれたのは嬉しい……けど、去るのが早いなあ〜。
オレとセオドアさんの間に美味しそうな匂いと鮮やかな料理が追加されただけで、状況は全く変わってない。
でも店員さんは何も悪くないんだよね、自分の仕事をしただけなんだから。
すると、セオドアさんは急に大きな溜息を吐いて、巻物を巻き戻していった。
「お前が月の勇者の……後継者? 生まれ変わり? だとしてもそんなの知らないし、誰に何を言われたのかも知らないけど、応援はするからがんばれよ」
「……ありがとうございます」
体よく突き放された……ってことだよね。
正直セオドアさんに全部ついてきてほしかったけど、そうだよね、普通知らないヤツと一緒に海潜ったり空飛んだり、全世界旅するとかそこまでやらないもんね……。
RPGとはやっぱり勝手が違うかあ……。
「百歩譲ってこの国でできることだったら協力するよ、けど海外とか空天とかに行くときは1人で行け、もしくは俺以外の誰かを誘って行け」
「は、はい、わかりました。ありがとうございます」
ああ、手伝ってくれるんだ。
よかった、何も手伝ってもらえないのかと思ってた。
しかも「この都市で」って言ってくれてるじゃんね、だとしたらやれること結構あるんじゃない?
じゃあオレから言えることは何もないよ、ありがたく甘えさせてもらおう。
きっと旅はオレが想像している以上に長くなると思うし、その間に別の人を仲間にしないとね。
……え? ハードル高くない?
オレ学校でも友達が中原しかいなかったんだよ?
そんな急に人と話せるわけないじゃん、やば、どうしよう、オレ1人じゃ何も行動できないのに。
今だって成り行きでご飯食べさせてもらうことになっただけで、別にオレが自分からお願いしますって言ったわけじゃないし……。
「スープが冷めるぞ、お先にどうぞ」
「あっ、ありがとうございます。いただきます」
オレは何度目かの会釈をまたやって、スプーンでスープを1口掬った。
……あ、味は普通にコンソメだ。美味しい。
セオドアさんは無表情で巻物をくるくる巻き戻し続けている。
キャラクターの豆知識 その5
ギルド嬢と付き合ってる店員さん
名前は「ライカ」。
同時期に入社したギルド嬢と意気投合し、先月から交際を始めた。