2話 『純太郎と生命の神』
本編5,139字(空白・改行含まず)
読了推定時間約10分
「な、に、これ……」
オレは数歩後ずさった。
どこまでも、どこまでも、宇宙が広がっている。
理科の教科書で見たような写真の景色がそのまま、オレの周りに映されていた。
真っ暗闇が広がる中、小さな光がそこかしこに点々と散らばっている。
オレが今立っている地面はなんだか白く濁っていて、周りのように光ってはいない。
ここが宇宙だというなら周りの光はたぶん星だと思うけど、それに比べたらこれは、普通の岩のように見えた。
ドアを開けたはずの購買はない、目の前にいたはずの中原もいない、ついさっき買ったはずのアイスもアクエリアスも、両方ない。
何これ、幻覚……? 夢?
夢だよね、じゃないと宇宙で息なんてできないし。
「なかぁ、はら……」
不安になって、いないはずの中原の名前を呼んだ。
当然返事は返ってこない。
散々うるさかったセミの声は一切なくなり、嫌になるくらい暑かった夏の気温も感じない。
急に「お前は世界でひとりぼっちだよ」と言われているように感じて、動機が速くなり、手に汗もの滲んできた。
「大丈夫だよ」
優しい声が聞こえて、首の後ろにさらりとした風が流れた。
後ろを振り返っても、誰もいない。
さっきの声の人をきょろきょろと探す。
「こっちだよ」
さっきの人とは違う声が聞こえた。
すぐさまそっちへ振り返る。
今度こそ、そこには人が1人いた。
ホッとして大きく胸を撫で下ろした。
その人はなぜだか、自分の身長を超える大きな杖を持っていて……発光している。
オレ以外にも人がいるって安心したけど、一瞬でそれが不安に変わった。
この人、きっと人間じゃないわ。
手足もあって、人型で、服も着ているけど、この人はきっと人間じゃない。
だってパッと見でわかるように、この人の体が白く発光しているし……オレもそうだけど、まずこんなところに、普通の人は生身で来られない。
妖怪とか化け物とかっていうより、どちらかというと神様のような……うん、そっちのほうが近いかもしれない。どこか威圧的で、しかし神々しさを覚える、そんな不思議な感じがした。
綺麗な声だったから単純に綺麗な人が喋ってるんだと思ったけど、実際の姿が想像を遥かに超える美人さんで……いやたぶん光ってるせいでそう思えるんだろうけど、なんだか綺麗すぎて、むしろ『綺麗』とか『美人』とかっていう言葉が失礼に思えてしまうような姿だった。
細い割に意外と引き締まっている腕と、でも部活の先輩よりずっと痩せているその線の細さから、男性なのか女性なのかはわからなかった。声だって男性とも女性ともとれる声だったし……。
雪みたいな透明感のある白い肌で、その上から神話に出てくる神様のようなヒラリとしたワンピースを着ている。
髪の毛は地面に届きそうなほど長く伸びていて、気のせいかもしれないけど、髪の毛が透けているように見えた。頭には短いベールがかけられている。
手に持っている杖も白く、先端には丸く磨かれた透明な石が1つ飾られている。
指先が見えるハイヒールを履いていて、足首には足に着ける用のブレスレット(なんて言うのあれ)を着けており、頭にも似たような飾りを、ベールを抑えるように着けている。
このヒトが身に着けているものは、とにかく全てが白い。
それも相まってなおさら神々しく見えるんだろう。
肌に直接身に着けている服はワンピースだけだ。
えっ、じゃあ……裸の上に1枚の布だけを着て、そこから色々プラスしていってるって、ことなのかな……?
裸という言葉だけで若干ドキッとしたけど、でも男性かもしれないという事実も脳を過って、うへぇと寒気がした。
すると、さっきまで優しそうにニコニコしていたヒトの表情が、急にムスッとした顔になった。
「……あなたは楽園ではない場所から生まれたのだから、ワタクシのことをどう思おうとも勝手なのだけれど――あなたが風見純太郎殿で、間違いないね?」
──え。
なんで、オレの名前……。
だってオレ、一度も名乗ってないのに。
何も言葉にできずただ目を見開くだけのオレが面白いのか、ヒトはクスリと口元を緩ませた。
「驚くのも無理はないだろう。なにせ、ワタクシとあなたは今が初めましての状態であるのだからね。まずは落ち着いて、お茶でも召し上がっていただきたい」
すると、ヒトは杖を持っていないほうの手を上げた。
気付けばオレの手には、白いカップと皿が握られていた。
カップの中には透き通った赤茶色の飲み物が入っている。
はて? とまばたきをした瞬間、膝を曲げた覚えもないのに、オレはいつの間にか椅子に座っていた。
尻に敷いているものがふかふかで、それがソファだということがわかった。
次々と出てくる質問の数々と、知らない人から貰ったお茶なんて飲みたくないという気持ちが混ざって、オレは引き気味にチラリとヒトを見た。
「……あの」
「どうぞ」
……たった一言で、「飲め」という圧を感じた。
口調や態度は丁寧なのに、断ったら『失礼』というよりも『無礼』に感じた。
ヒトの威圧に負け、オレはおそるおそるカップを持ち直した。
皿をどうにか膝の上に置き、持ち手に指を通す。
カップに口をつけ、ゆっくり飲んでみる。
いい匂いがした。
ほろ苦いけど、たしかに甘い、上品な味がする。
きっと紅茶だ、これ。
初めて飲んだ、美味しい。温かい。
ほんのりとした安心感を覚えて、思わずフッと笑みが零れた。
「お味はいかが?」
「美味しいです」
「よかった」
思ったことをそのまま言うと、ヒトは穏やかに笑った。
ヒトは杖を椅子の形に変えて座ると、オレと同じようにカップを手にした。
杖が急に違うものに変わったことに驚いたが、ヒトは何でもないことのように、当たり前に紅茶を飲んでいる。
なるべく触れないようにしようと気を付けながら、オレは最初に聞きたかったことを訊いた。
「……あの、ここはどこなんですか?」
「見ての通り、宇宙だよ」
「宇宙!?」
オレは辺りを見渡した。
たしかに、見ての通りここは宇宙だけど……。
「……なんで、宇宙なんですか?」
「そりゃあ、あなたに会いたいと願った者が月にいるからだよ」
「月に!?」
「そう、月に」
ヒトはさも何でもないことかのように、当たり前に紅茶を飲んでいる。
間髪入れずに答えてくれたのは嬉しいけど、オレに会いたい、月に住んでる人って何……?
ウサギ? アポロ? 宇宙人?
オレの知り合いにそんな人いないけどなあ……。
すると、ヒトが静かに皿の上にカップを重ねた。
なにか大事な話が始まるようだ。
「さて、それでは本題に入らせていただこう。まずは確認だけれど、あなたが“風見純太郎”殿で間違いないね?」
さっきと同じ優しい口調なのに、どこか高圧的な印象を感じた。
全てを見透かしているような青い瞳に見つめられて、思わず体が強張った。
「は、はい、えっと……僕が風見純太郎で、合ってます」
「そうか」
ヒトは紅茶を一口飲む。
オレの態度があまりにもおどおどしていて怪しさも満点だったのに、ヒトは物ともしていなかった。
「それでは、風見殿に用件……の前に、失礼した。ワタクシのことを先に話さなければならなかったね。ここに人が訪ねてくることはまずないから、接し方がわからないのだよ。どうか無礼な態度を許してほしい」
無礼とはかけ離れた立ち振る舞いで、ヒトはオレに頭を下げた。
どっちかというとオレのほうがずっと無礼者なのに、否定も肯定もできず、オレは当たり障りのない会釈で返してしまった。
ヒトはゆっくりと顔を上げる。
「あなたのお察しのとおり、ワタクシは人間ではないよ。民は皆、ワタクシのことを“生命の神”と呼んでいてね」
「あ……う、ん……?」
「あ、うーん……ふふ」
オレが困った顔をして首を傾げると、ヒト──もとい、神様も困った顔をして、力なく笑った。
「そうだね、風見殿にはいったいどこから話したらよいのやら……ううむ」
神様は眉間を寄せた。
オレはどうしたらよいのかわからず、静かに神様の様子を見ていることしかできなかった。
神様──神様か。
たしかに人ではないことは見てわかるし、受け入れられるといえば受け入れられるけど…………神社で参拝はしても、神様のことを本気で信じていたわけじゃないからな……。
オレは紅茶をまた一口飲む。
美味しすぎてどんどん飲みまくっていた紅茶は、とうとう遂に、全部飲み干してしまった。
すっかり暇になった口元を持て余して、オレは神様の次の言葉を待った。
「……それでは、先に身の上話からさせていただくとしよう。そのほうが後の話も入っていきやすいだろうからね」
神様は皿の上にカップを置いた。
いよいよ話が始まるんだ、ドキドキしてきた。
「まず、ワタクシは──ワタクシたちは最初、風見殿が暮らしている地球から、1つの生命体として生まれたのだよ。いやあ、地球とは実に良い場所だね。生きとし生ける生命たちが、食物連鎖の秩序を保ってそこで暮らしているのだから。だから……ワタクシたちは、地球に憧れたのだよ」
神様はまた一口、カップを口につけた。
もう飲み終えてしまったオレは、いいなあと思いながら自分のカップを──あれっ、中身入ってる?
「話は長いよ。退屈にならぬよう、どんどん飲みなさい」
ついさっきたしかに空っぽにしたはずのオレのカップには、あの紅茶が新しく淹れられていた。
神様に、気を遣わせてしまった。
そう思った瞬間、一瞬で体が強張った。
他学年の先生とは全然違う、指先一つの行動さえためらってしまうような緊張感に襲われた。
「……ありがとうございます……」
「いえいえ、どういたしまして」
明らかに怯えているオレの顔は、神様から見ると小動物にしか見えてないのだろう。やけにニコニコしているし。
紅茶を一口、また飲んだ。
美味しい。なんかどうでもよくなってきた。
そういえば紅茶って利尿作用とかあるんだっけ。
えー、我慢できるかなあ。
「──それで、地球に憧れたワタクシたちは、地球を乗っ取ろうとしたのだよ」
「えっ!?」
「思っただけだよ、安心しなさい」
神様はクスクス笑った。
「──しかし、地球には既に別の神が住んでいたのだ。真面目にも各国ごとに幾十の神が支配していてね、ワタクシたちの入る隙はなかったよ。そこで、ワタクシたちは新たに世界を創ることにしたのだ。ワタクシたちはこの世界を“楽園”と呼んでいてね、風見殿にとっては“異世界”に当たるだろう」
“異世界”!
マンガやラノベでしか聞かない言葉に、つい背筋が伸びた。
異世界ってリアルでもあったんだ、どんなところだろう。
やっぱ猫耳とかエルフとかも居るのかなあ。
でもそれってファンタジーとか物語の中だけでの“異世界”だから、実際の異世界とは全然違うのかなあ。
「──ワタクシたちはまず、全てを見渡せる空から創った。民は“天界”と呼ぶこともあるね。そこから海を創り、陸を創り、人間含めた動植物の生命を創った。全て地球の受け売りだよ、地球を参考にしているからね。しかし、生命の数が増えていくにつれ、やることも増えて、ワタクシたちはすっかり手に負えなくなってしまった。そこで、ワタクシたちは1つの体を3つに分けることにしたのだよ」
神様は懐かしむように笑った。
「1つは、楽園の秩序を守る“楽園の神”。彼は“天使”という使者を遣っていてね。もう1つは、地球をよく観察し楽園創作の参考のために記録する“知識の神”。風見殿をワタクシの元へ連れてきてくれたのは彼だよ。そして最後は、亡くなった者へ生まれ変わるか否かを選択させる“生命の神”だ。ワタクシのことだね」
神様は自分の顔をチョイチョイと指差して笑った。
……そして、すぐに笑顔を消した。
「──あるとき、民は堕落したのだ。……ああ失礼、民というのは、楽園に住んでいる人間たちのことだよ。彼らはワタクシたちにひどく妄信していてね。それはありがたいことなのだけれど、ワタクシたちはそれが不愉快極まりなかった。災害が起きても自分たちでは何もせず、ワタクシたちに鎮めさせてもらう懇願ばかりしていたのだよ。だからワタクシたちは、災害よりも強い脅威である怪物を創ったのだ。楽園の神は7名の天使を地上へ送り、民と協力して怪物を討伐するよう仕向けた。結局討伐したのは彼の使者だったけれど……それでも民は、自分たちでできることをやり遂げたよ」
懐かしむように下を見て話していた神様は、そこで顔を上げた。
「それで、ここからが風見殿にお願いしたいことなのだけれど、いいかな?」
急にオレに話を振ってきたことにビックリしながらも、オレは勢いよく首を縦に振った。
「は、はい! 僕にできることがあるなら、なんでも!」
「ありがとう」
神様は勿体ぶったように笑う。
「風見殿に用件というのは、この楽園に平和を築かせていただきたいということなのだよ」
神様はニタリと、オレを試すように笑った。
キャラクターの豆知識 その2
生命の神
生命の神は、楽園の神の使者である天使を勝手に使って、地上から紅茶を買ってきてもらっている。お気に入りは赤の国で作られたジェンキフティー。