03 錬金術師フリード
表情をピクリとも動かさないフリード。一方で、ホムンクルスのララは嬉しそうに小躍りしながら彼に近づいていく。
「おかえりなさい、ツンデレマスター」
「誰がツンデレだ。それより、シャルロッテが目覚めたら念話を送れと言っておいたはずだが」
フリードがギラリと視線を鋭くすると、ララはやたら上手な口笛をピッピロピーと吹き鳴らす。
「言ったよな。解毒が遅くなったから、後遺症がないか念入りに確認する必要が――」
『こほん。マスター、シャロちゃんが目覚めたよ!』
「今さら遅い。はぁぁぁ……お前は本当にもう」
全身を脱力させながら、フリードは買い物袋を机に置いてシャルロッテのもとへと近づいてくる。
「ベッドに横になれ。まだ少し顔色が悪い」
「私はもう大丈夫だ」
「まったく……自分勝手に死に急ぐことが許される立場じゃないだろう、王女様。おそらく貴女が知りたい情報のいくつかを俺は持っているが。何を話すにしても、まずは体調を戻すのが先だ」
フリードが腕を一振りすると、先ほどまで寝ていたベッドのシーツがするっと伸びてきて、シャルロッテの体に纏わりつく。
「……これは貴方の魔法か?」
「いや、自作の魔道具だ。自分自身の体調も把握できない愚かな患者が後を絶たないものでな。面倒だが、こういうモノも必要になる。いいから、今は大人しく寝ておけ」
フリードが再度腕を振れば、シーツに巻かれたシャルロッテはふわりとベッドに寝かされる。もちろん紫炎の魔法を放てば拘束を抜けること自体は簡単だろうが、今の彼女にそんな気力はない。それはやはり、まだ体調が万全ではないということだろう。
「私は……婚約者から託された書簡を、王に届けなければならないのだ」
「分かっている。俺はその婚約者から頼まれたんだ。貴女を助けてやってほしいとな」
「スラグが?」
シャルロッテの問いかけに、フリードはこくりと軽く頷く。
「詳しい話はあとだ。今は内臓も弱っているだろうから、消化に良い食事を作ってくる。少し待っていろ」
「……自分で食事を作るのか?」
「悲しいことに、うちの使い魔は料理の腕が壊滅的なんだよ」
フリードがそう吐き捨てると、ララは「マスターの料理は絶品なんだよ」となぜか胸を張っている。
錬金術師の生み出すホムンクルスは、一般的に炊事・洗濯などの家事を任されることが多い。また十年ほど前まではかなり裕福な家庭しか購入できなかったホムンクルスも、今では比較的安価な個体が流通して「一家に一人」の時代になっていた。最近では、家族というよりも道具のように扱われるようになっている。
そんな中、料理ができないホムンクルスという存在は、あまり好まれはしないはずだが。フリードはそれについて文句を言う様子もなく、淡々とキッチンに向かっている。
「なるほどな……ララ。フリードはツンデレなのか」
「そうそう。マスターってば、あたしのこと大好きすぎるよね。口調は冷たいけどさぁ、実はかなり甘々なんだよ」
ララの物言いに思わず笑ってしまいながら、シャルロッテは目を閉じて体力の回復に努めることにした。
◆ ◆ ◆
定期的に行われていたスラグとの茶会。その大半は他愛もない雑談をするだけで終わるのだが、あの日はスラグがやたら饒舌だったことを覚えている。
「――友人、と呼べる奴が出来たんだ」
そう言って、嬉しそうに笑う婚約者。
彼やシャルロッテのような王族にとって、無邪気に「友人」と表現できる者は少ない。というのも、彼らにとって身の回りにいるほとんどは何かしらの利害関係で繋がった者だからだ。
「僕はほら、王の実子じゃないだろう?」
「……そんなこと、私に言って良いのですか」
「どうせみんな気づいてるさ。僕は王族にしては竜の因子が少な過ぎる。だからこそ、こうして君の魔力に怯えてしまうわけだし」
その噂はシャルロッテも耳にしていた。デーツ王国の国王夫妻は初夜の一度きりしか褥を共にしていないが、王妃はなぜか五人もの王子・王女を生んでいる。王子たちの実父は他にいるのではないか、と。
「王は若い頃、王妃そっちのけで外での“夜遊び”に夢中だった。それで、その時に作ったらしい子どもが世界のあちこちに散らばっていてね」
「……どうしようもない話ね」
「まあね。これについては擁護のしようもない。それで、そんな子どもたちの一人が、若くして上級錬金術師にまで登りつめたんだよ。それで先日、僕はひょんなことから彼と対面することになってね……これがなかなか面白い奴でさぁ」
その時に聞いたエピソードは、果たしてどんなものだったか。記憶に靄がかかったように、シャルロッテは上手く思い出すことができない。
「あいつは今、アプリコット王国……君の祖国で活躍しているよ」
「そうですか」
「この先、何かあった時には――あまり不吉な想像はしたくないけれど。例えば僕の身に何か不穏なことが起きたり、君が何かに追い詰められるようなことがあれば、彼を頼るといい。きっと力になってくれるはずだ」
その時はいつものネガティブ気味な発言だと思って、あまり気に留めていなかったのだが。
「いいかい。彼の名は――」
◆ ◆ ◆
パチリ、と目を開ける。
あたりは真っ暗で、深い夜闇があらゆる物音を吸い込んでしまったかのように、しんと静まり返っていた。シャルロッテの耳には、バクバクと強く脈動する自分の心音だけが鳴り響く。
「フリード・ネクタリン。スラグがかつて友人と呼んでいた錬金術師……今になって思い出すなんて」
あれはずいぶん前の会話だったはずだが……スラグはあの頃から、自分が死ぬ未来を予期していたというのだろうか。シャルロッテは背筋が凍りつくような寒気を感じた。
スラグは王の血を引いていなかった。しかし、その視野は大国の王太子に相応しいだけの広さを持っていたのだろう。彼が死んだ今になって、そのことに気付かされるとは思わなかったが。
「……私は何も見えていなかった」
臆病な婚約者を心のどこかで見下しながら、実際は彼が見えているものが全く見えておらず、結果として状況に翻弄されているだけの愚かな女。シャルロッテは自分がいかに矮小な存在であるか、突きつけられたような思いだった。
――無様だな。こうなる前に、できることだってあっただろうに。
ベッドから上半身を起こし、サイドテーブルに置かれた水差しを手に取る。グラス一杯の水が身体に染み渡ると、これまでの不調が嘘のように身体の奥底から活力が漲ってきた。
「……シャルロッテ。起きたのか」
「フリードか……昔の夢を見ていた。それで思い出したよ。お前はスラグの友人だったのだな」
「まぁな。俺たちの関係性にあえて名前を付けるなら、友人と呼ぶのが妥当か。向こうがどう思っていたのかは知らないが」
話しながら、フリードはストーブの熱で温めたパン粥の器を、シャルロッテの近くにコトリと置いた。
「俺のもとにスラグからの手紙が届いた時には、あいつは既に首を刎ねられていた。貴女を助けることは、あいつからの最後の頼みだ。ずいぶん前からこの事態を想定していたようだな」
「……そうか」
「時代の流れだ。魔弾杖の普及により、人々は王侯貴族の魔法に頼らなくても魔物から身を守れるようになった。芋の品種改良が進むことで冬に餓死する者が減り、工場に人を集めることで生産力が上がり……そうやって一般庶民が力を付けていけば、いつかどこかのタイミングで王族の首に刃が振るわれる。スラグはずっと昔から、そんな悲観的な予想をしていたみたいだ」
そしてそれは、現実のものになってしまった。シャルロッテは腹の底をかき混ぜられるような落ち着かない気持ちで、この先の未来を考える。
「竜の血を継いだ王族が国を率いる……そんな時代はもう終わった、ということか」
「さて、どうだろうな。今はまだ社会が変化している途中だろう。王族の役割が全て不要になった、と判断するのは早計だと思うが」
「そうは言っても、実際に世界各地で革命運動が起きている。私が王女を名乗れる時間も、そう長くはないのかもしれないな」
シャルロッテは暗い気持ちのまま、フリードが作ってくれたパン粥を口に運ぶ。すると空っぽだった胃袋が歓喜の悲鳴をあげて……どうやら精神的に沈み込んでいても、身体はしっかり生きようとしているらしいと理解できた。
「この様子なら体調はある程度回復してきたようだな。本来ならもっと休ませてやりたいところだが……明日にはこの工房を出て、王都へ出発しよう。必要な荷は俺の方で準備しておく」
「いいのか?」
「ん? 移動するのはリスクだが、ここに留まり続けるのもそれはそれで危険だからな」
「そうではなくて――」
一緒に行動すれば、確実に巻き込むことになる。
そんなシャルロッテの懸念を、フリードは鼻で笑う。
「不要な心配をするのは、愚弄と変わらない。この世の中で、錬金術師ほど様々な状況に対応できる者はいないさ。この程度、どうとでもしてやる」
フリードはそう答え、眉一つ動かさない鉄面皮のままシャルロッテの顔をじっと覗き込んだ。