第36話 一流の文官
結局ルクスエリムの許可は簡単に降りた。やはり帝国を追い払った功績は絶大であり、俺の言う事はあらかた通るようになっている。むしろ俺がほとんど褒美を貰っていない為、俺からの頼みは極力聞くようになっているらしい。
あともう一つ強力な助っ人が現れたのが強かった。それは王妃のブエナがノリノリで、自分も研修に行きたいくらいだと言い始めたのである。流石に警備の観点から王妃の参加は認められなかったが、彼女の援護のおかげでスムーズに進んだというのが大きい。
「意外でしたね」
ミリィが俺に言った。
「王妃殿下においては、いろいろと考えるところがあるみたい」
するとスティーリアが書類整理をしながら話す。
「元よりブエナ様は、議会にも御興味がおありだったと聞いた事があります。だけど昔からの慣習によって、女が議会に参加する事はよしとされていないのもあり控えめだったそうです」
「議会も面白そうだと言っていたしね」
「不思議な方です。まあ聖女様ほどでは無いですけどね」
俺が変わってるのは仕方がない。日本から転生して来たし、中身は男だし、元々レディファーストが身についているヒモだし。
「とにかく日取りは決まったし、後は通達状をお送りするだけとなったね」
「「はい」」
そう言って俺とスティーリアとミリィが、ヴァイオレットを見つめるのだった。するとヴァイオレットはこっちを向いてニッコリと笑う。
「もう日程を入れるだけにしておきましたから、是非お読みになってください。問題が無ければ必要部数を書き上げますのでよろしくお願いします」
「わかった」
そして俺はヴァイオレットから研修の通達状を受け取って読む。中身は完璧としか言いようないほど綺麗な文章で、ヒモの俺なんかがダメ出しをする部分は一つも無かった。マジでこの人は優秀なんだと思う。
「問題ない。スティーリアはどう?」
「問題ないかと」
「じゃあこれでいい。書くのに、ヴァイオレットはどのくらいの時間が必要かな?」
「必要部数は百部ですよね? それであれば一日もあれば書き上げますよ」
「一日? それで百部も?」
「はい。全て書簡にして蝋封をするまでですよね?」
「あ、書くだけじゃなくて?」
「えっと、書いただけの手紙を貴族様にお出しするわけにはいきませんので」
「お、お願いします!」
「わかりました」
なるほどヴァイオレットという人は、決めてさえしまえばバリバリ仕事が出来る人らしい。これは儲けもんだ! まさかこんな一流の文官を回してもらえるとは思わなかった。そして俺はスティーリアに目配せをして、ヴァイオレットに告げる。
「その書簡が仕上がったら明日は休みとします」
「えっ? お休みですか?」
「はい」
「いりませんけど」
…いりません? なんで?
「あの、休みを取らないと憂さ晴らし出来ないでしょ?」
「いえ。別に憂さ晴らしは必要ありません。以前の職場ならいざ知らず、ここは私に負荷をかけるものが何一つないのですから」
そうなの? しかもヴァイオレットに嘘を言っている雰囲気はない。どうやら本気でそう思っているようだった。前職はそんなに劣悪な環境だったのか…
まあとにかく休ませよう。
「じゃあ強制です。休んでください」
「そ、そうなのですか?」
するとスティーリアがヴァイオレットに言った。
「明日は私もお休みです。もしよかったら、私のお買いものにつきあってくださいません?」
「私でよろしいのですか?」
「はい。私はヴァイオレットさんと一緒に行きたいのです」
「わかりました。私なんかで良ければお供させていただきます」
「お約束ですよ」
「はい」
「じゃ、仕事始めようか」
「はい」
そしてヴァイオレットが書簡をしたため始める。逆にスティーリアがヴァイオレットのサポートをする様な形になった。これはこれで理想的な形なのかもしれない。
「それではここはお任せします」
「「はい」」
俺はそこをスティーリア達に任せて、ミリィと一緒に部屋を出た。するとミリィが俺に話しかけて来る。
「ヴァイオレットさん。どうやら少しずつ馴染んできているようですね」
「そうだね。まだ堅さは残るものの、ここでは不満が無いみたいで良かった」
「ふふっ」
ミリィが笑う。
「どうしたの?」
「すべては聖女様のおかげなのですよ」
「私の?」
俺が何をしたというのだろう? 俺はただ女達と仲良くするための土壌作りをしているだけだ。それも私利私欲のために。決してより良い環境づくりをしようなどとは思っていない。
「聖女様がお気づきになっていないだけです」
ミリィはそう言ってぺこりと頭を下げ、キッチンの方へと行ってしまった。
「はあ…、今日の午後は来客だったなあ…」
俺はめっちゃ憂鬱になってポツリとつぶやいた。その辺りをメイドが歩いているが、俺のつぶやきには気が付かないように通り過ぎていく。
そう…今日の午後は例の女子部視察の件で、バレンティアがやってくる予定なのだった。アイツの実家に行くのだから仕方のない事だが、前もって細かい打ち合わせをしようと打診があったのだ。もちろん視察場所の貴族の息子なのだから、それを無下に断る事は出来なかった。たまたまルクスエリムの側に居たからって、便乗してきやがって…全くめんどくさい。そして俺はほぼ一人で応対する予定でいたが、二人きりになるわけには行かないので年配の女性の執事を同席させる。
もちろん、うちの若い使用人が色めきだってバレンティアに恋心を持たぬように配慮した。大抵の女はあいつに一目ぼれする。全くの畜生なのである。俺は憂鬱になりながらも、交代制で中庭で休憩しているメイド達の元へと行くのだった。
ああ、俺の可愛いメイド達よ。バレンティアが来るまでの間、俺の目の保養になってくれるかい? アイツの優しそうな笑顔を見なくちゃならない地獄の時間を乗り越える為にも、君たちの他愛もない話が俺には必要なんだ。
「これは聖女様! 休憩でございますか? それでしたら私達はこの場所を離れます」
やめて! 居て!
「いいのです。皆様との会話も非常に重要な仕事なのですよ。是非ここで他愛もないお話をいたしましょう。あなた達の笑顔で私は辛い仕事も乗り切れるのです」
するとメイド達は頬を染めてぺこりと頭を下げて、俺に椅子を引いてくれるのだった。俺はそこにそっと座って、ニッコリと微笑んで皆を見るのだった。
出来るだけ可愛い女の顔を目に焼き付ける為に。
…そして午後は来てしまう。これほど待ち望んでいなかった午後は無い。
「バレンティア卿がいらっしゃいました」
「うっ」
俺は後ろ髪を引かれるように、メイド達と分かれて応接室に向かう。すると応接室の前で年配の執事の女性アデルナが待っていた。ふくよかなで優し気な雰囲気だが、メイド達を厳しく指導する事が出来る人だ。彼女のおかげで、俺はこの館内で叱る必要が無い。とても重要な位置づけの女性だった。
「アデルナ。もう入っているの?」
「いらっしゃいます」
そりゃいるよね。来たから俺は呼ばれたんだから。
「じゃ応対します」
「はい」
コンコン! とノックして俺とアデルナが応接室に入って行く。するとバレンティアは立ったままで待っていた。騎士のカッコイイ挨拶をして、俺に軽く会釈をする。
「これは聖女様。お忙しい中ありがとうございます」
ピクッ
こいつはなんて自然な挨拶をするんだ。もっとドモクレーやクビディタスのように下品にしたらいいんじゃねえか。それじゃあイケメンがもっと引き立っちゃうだろ。
「これはバレンティア卿。わざわざお越しいただき痛み入ります」
「陛下のご命令ですので」
「はい。それではどうぞおかけください」
バレンティアを座らせて俺とアデルナも座ると、ドアがノックされてお茶が運び込まれてくる。お茶を運んできたのは若いキッチンメイドだが、バレンティアを一目見てポーッとなっている。
だから嫌なんだよ!
「後は私達がおもてなししますので、下がってよろしいですよ」
「は、はい!」
そうしてキッチンメイドがそそくさと部屋を出て行った。アデルナは多少緊張気味だが、俺達の為にスッとお茶を入れてくれる。
俺はコイツと雑談する事も無いので、さっさと話しを進めようとする。だが逆にバレンティアの方から声をかけてきた。
「聖女様邸には、なかなか男性は入れないと聞きます。引っ越しの際は騎士団がご迷惑をおかけしたそうで」
ああ、俺をちらちら見に来た事件ね。まあ被害はないし別にどうでもいい。
「私などを見たところで何の得もないのですが」
「得がない? 聖女様のお姿を見れた事が?」
「ないでしょう」
「プッ。聖女様は本当にお堅い方ですね」
いや堅いんじゃなくて嫌いなんだけど。オマエそんなこともわかんねぇの?
「まあよろしいではありませんか、バレンティア卿もお忙しいでしょうから手短にお話を済ませましょう」
「いや、私は今日は非番でございます」
えっ? わざわざ休みの日に来たの? ばかじゃねえの!
「わざわざ…」
「聖女様の元へと来るのに、お時間に限りがあっては申し訳がありませんから」
いや。お時間に限りがあった方が良いんだけどな。
「あ、あの。とにかくバレンティア卿の御実家の視察の事を…」
「わかりました」
いやー。まったくコイツは調子が狂う。この爽やか極まりない笑顔を他でも振り撒けばいいのに。なんでコイツは氷の貴公子とか氷の騎士とか呼ばれているんだか。
その…、貴方だけに見せる笑顔なんです…。みたいなのヤメロ! マジできもいから!
俺はニッコリと笑いながら、視察の話を始めるのだった。




