第261話 邪神の手先
目の前の顔色の悪い少年が、俺達をぎろりと睨みながら近づいて来る。その無造作な歩みは無防備に見えるが、アンナは神経を尖らせていた。そしてアンナが言う。
「おい。止まれ」
「なんで? ボクがあんたに指図されなきゃならない?」
「止まらねば斬る」
すると、それを聞いた少年はピクリとして足を止めた。
「へえ…。ボクを斬るってのかい?」
「容赦はせん」
「ムカつくね。ボクを斬れると思い上がってるのが」
もうアンナは話をしなかった。そこで俺が言う。
「私達の用事は終わったから帰る。邪魔をするつもりはない」
「いや、こんなところに用事なんて変だろ」
すると俺をどけるようにして、クラティナが前に出て来て言う。
「私は薬師なんだ。ここに薬を届けるのは普通だよ」
「こんなに大勢で薬を届ける?」
「それは…」
クラティナが言葉を詰まらせたので俺が言う。
「まあいいじゃない。とにかく帰るから、そこをどいてもらえるとありがたいな」
顔色の悪い少年は少し考えて答えた。
「変だ…聞いていたのとは違うけど、もしかして…あんたら聖女と関係あんのか?」
だがクラティナが答えた。
「そんな人しらない。私は師匠と一緒にここに来ただけ」
「…変だ。あんたらを帰すわけにはいかないな」
どうやら、この少年は俺が来るのをここで待ち伏せしていたらしい。だが俺達が変装のペンダントで別人になっているから気が付かないのだろう。それを知って俺の動悸が速くなってくる。リンクシルもマグノリアとゼリスからも緊張が伝わって来た。
すると少年にゼリスの肩に乗った鳥が飛びかかって行った。どうやらゼリスが隙を作るためにやったらしい。しかし鳥は少年の目の前で四散してしまった。
えっ? 今何をやった?
「変な技を使う奴がいるねえ」
少年はゼリスを睨んだ。今の事をゼリスが仕掛けたと分かっているようだ。どうやらこのまま、黙ってここを立ち去らせる気はないらしい。
などと考えている次の瞬間だった。
…ッシィッ…
少年が正面から消えた。
どこいった?
だが答えはすぐにわかる。アンナが剣を引き抜いて、ゼリスに飛んだ攻撃を止めていたのだ。
「へえ…止めるんだ」
シュッ!
と少年が離れた場所に出現する。手に何も得物を持っているようには見えないが、一瞬にして距離を詰めて攻撃を繰り出したらしい。
アンナがじりじりと前に出ると、また少年が消えて今度はアンナを狙って来た。だがアンナはまた目にもとまらぬ早業で、少年の攻撃をかわす。
「まぐれじゃないんだ…」
「次は斬る」
だが明らかにアンナが手こずっていた。こんなことは珍しく、俺がアンナに身体強化をかけようとすると、シーファーレンがそれを止める。
「バレます。ここは私が」
そしてシーファーレンがするりと魔法の杖を出して、少年に向かって言う。
「逃げるなら今ですわよ」
「逃げる? ボクが?」
「ええ。いささか分が悪いと分かりませんか?」
少年は沈黙し、次の瞬間大笑いした。
「あっははははは! ばーか。ボクが不利なんて事はない! 絶対的有利だよ! あんたらはみんなここで死ぬんだ」
するとシーファーレンが残念そうな顔をして言う。
「井の中の蛙大海を知らず。身の程を知りなさい」
…シィッ…。
と少年が消えた瞬間。シーファーレンの詠唱が終わっていた。
「パラライズ」
「あ、あぎ!」
一瞬麻痺した少年が、無防備にアンナの正面に姿を晒してしまう。まさかここに、賢者がいるとは思わなかったのだろう。
シュパン!
次の瞬間、アンナの剣が上から下に振り下ろされる。
「グッ」
確かに脳天に振り下ろされたはずの剣だったが、その少年の肩口から入り込み腕を一本落とした。だが次の瞬間少年はその場から離れて、十メートルほど離れた所に膝をついていた。
「う、嘘だろ…」
斬られた腕を抑えながら少年が驚愕の表情を浮かべていた。
「こちらも驚きですわ。私のパラライズから瞬時に脱出できるなんて」
「く、くそ!」
だがアンナは更に甘くなかった。次の瞬間縮地で少年の前に現れ、今度こそ首に剣が走る。
バフッ!
だが剣が首を通る前に、少年は黒い煙となって消えた。アンナの剣は素通りし、また違う場所から少年の声が聞こえて来る。その声の方を見ると、少年は肩を抑えてこちらを恨みの眼差しで睨んでいた。
「悔しい…」
「ですから井の中の蛙と言ったのです」
「クソ…。だが…絶対に許さない」
「どうするのです?」
「うるさい! クソが!」
先ほどの冷静さはどこへやら、取り乱して目が血走っている。
「スリープ!」
シーファーレンが新たな魔法を叫ぶと、少年はぐらりと体をふらつかせた。そこにアンナが突進するが、また黒い煙になって違う場所に現れた。
「確かにボク一人じゃ分が悪い。今日の所は退散するしかないようだ」
アンナが言う
「逃がさん」
だがアンナが突進するより早く、少年は黒い煙になって消えてしまった。俺達はしばらくそこに固まっていたが、ぽつりとシーファーレンが言う。
「恐らくはネメシスの手の者ですわ」
「やっぱり…。あんなやつがまだいるんだ」
「そのようです。ですがオリジンの魔法を見せなかったのは幸運です。オリジンの魔法を使えばネメシスにバレるでしょう」
「でもなんでこんなところに?」
「罠を張っているのでしょう」
「そう言う事か。とにかく一旦ここを離れた方がいいかも」
「待ってください。中に人がいないのを確認したのであれば、忍び込んで足跡を探る事をした方がいいですわ」
するとアンナも言う。
「そうだな。手ごたえはあった。アイツはしばらく、わたしの前には現れない」
「わかった。なら進入しよう」
そしてシーファーレンがクラティナに振り向いて言う。
「目をつぶって」
「シーファーレン様が言うのであればなんでも!」
「ありがとう」
そしてシーファーレンのフライで俺達は高い塀を飛び越える。アンナとリンクシルは自力で飛び越え、そして俺達は屋敷に忍び込んだ。
さっきの少年みたいなバケモノが、ソフィアに迫っているとなれば手段を選んでいる暇はない。俺は真剣に公爵家の別荘内を物色し始めるのだった。




