第16話 帝国の狙い
ズーラント帝国とヒストリア王国の国境には大河が流れており、その河を境にして領土が南北に分かれていた。比較的広い川幅ではあるが、このあたりは深くても人の胸くらいまでの深さなのだそうだ。そしてその河には、その昔両国が友好的だった頃に作られたつり橋が見える。つり橋の作りは人が一人通るのがやっとのようで、馬や馬車などが通れるようにはなっていない。そしてそのつり橋の両側には、両国の関所が設けられていた。その門は今は固く閉ざされており、両軍が河を挟んで睨み合っているのだった。
俺が駐屯地に到着し、すぐ大天幕に呼ばれ戦局の確認をしていた。
シュバイス団長が言う。
「聖女様。敵は騎兵を中心とした部隊なのですが、馬で河を渡ろうとしているのかもしれません。恐らくこちらに怪我人が出るとすれば、河を渡りきられて戦闘が始まってからでしょう。それからが聖女様の出番になるかと思われます」
敵はそんな危険を冒してくるだろうか? 見た限りは馬しか河を渡る手段はない。深度が胸の深さまであると言う事は進みも遅く、弓兵の格好の的になりそうだ。俺はシュバイスに尋ねる。
「それでは河を渡る敵兵を弓と魔法で射ればよろしいのでは?」
「確かにそうなのですが、斥候からの連絡では敵の数は恐らく十万に達するかと。恐らくは人海戦術で押し切ろうとしているのでしょう。それに対しこちらは現状二万と第二砦から向かっている三千、ミラシオン様がカルアデュールから率いて来る二万。敵兵の渡河を狙って、数を削ったとしてもかなり不利だと思われます」
十万だって? って事はだいたい倍近い兵が押し寄せてくるって事か…
「王都から向かっている兵は三万。それが到着するまでは持ちこたえられませんか?」
「それは敵の出方次第です。これまでにない兵士の集結具合から見ても、間もなく進軍してくるのではないかと予想しております。恐らく陽が沈んだ時がその時かと」
そいつは…ヤバい…。ってことは今、帝国から進軍されたら俺は死ぬかもしれないって事? いやいやいやいや…、前世ヒモだった俺がせっかく聖女とやらに生まれ変わって、ハッピーライフが始まりそうなのにこんな所で死ぬの? そんなんダメダメ! ソフィアともいい関係になってないし、ビクトレナとも楽しい事をしていないし! スティーリアともミリィとも何もしちゃいないんだぞ! どうしよう…逃げようかな?
俺はチラリとミリィを見る。ミリィは不安そうな表情の中にも、俺に期待するようなまなざしを向けていた。
いや…ミリィちゃん。如何に俺がチート聖女と言えども、この状況を打破する術はないぞ。そんな期待に満ちた目をされても困る。まあそうは言っても、ここを俺が放棄して逃げ出せば王都には帰れなくなるか。いっそのこと聖女という責務を放棄してミリィと逃げつつ、田舎の可愛い子ちゃんとでも仲良くなろうかな? 逃げてまた新しい生活を探せばいいんじゃね? いや待てよ…ヒストリア王国が滅んでしまったら行く場所はなくなるか。いや…俺はやり直して女達を幸せにするんじゃなかったのか?
ぐるぐると俺の頭の中は渦を巻いていた。
「聖女様とミリィさんはお逃げ下さい」
唐突にシュバイス団長が神の声を授けてくれた。
えっ…マジ? いいの?
それは願ったりかなったり、『分かりました! それでは聖女の名のもとに必ず六万の援軍を連れてまいりましょう! それまで持ちこたえてください!』 とかなんとか言って、一旦この場所を離れようかな。そんな事出来るかどうかわからんけども。
「分か…」
と俺が口を開いて、逃げる口実を告げようとした時だった。唐突に俺の後ろにいるミリィが叫んだ。
「団長様! 恐れ入りますが、聖女様はこのような局面で逃げた事など一度もございません! 今までも窮地に立った怪我人をたちまち治してくださったのです! そして兵士達も、聖女様の強化魔法無しに戦うとおっしゃるのですか?」
「我が領兵にも魔導士はいる。その者達なら…」
「恐れ入りますが、団長様は聖女様のお力を知らないのです! 数百人ごと一気に強化し一気に回復させることができるのですよ! ズーラント帝国には聖女はいないのです! ここで聖女が逃げてしまったとなれば、兵士の士気も落ちるかというもの! 聖女様、無くして戦う事など出来ないのではないでしょうか?」
おいおいおいおい! ミリィちゃん! なーに勝手に盛り上がってくれちゃってんの! 俺は今すぐ、ここから逃げ出して助かりたいんだけど! マジでさ! ミリィ…
その時ミリィはめっちゃ涙を溜めて、うるうるキラキラした目で俺を見つめた。俺に何かを言ってくれと無言の主張をしている。トイプードルのような瞳で! 可愛い…。ミリィちゃんの前でカッコ悪いとこを曝け出してしまうところだった! そうだな! こんなかわいい娘と一緒に死ねるなら俺は本望だ。王都で待っているソフィアよ、俺が死んでも絶対に他の男とくっつかないでくれ。そしてビクトレナ、出来れば他国の不細工な王子とくっついてくれ! あとスティーリアは一生、聖職者として修道女の仕事をしてくれ! 絶対に男と結婚しないでくれよ。
「団長様。ミリィの言う通りです。私がここを離れてしまえば、一気に攻め入られて終わってしまう可能性があります。王国の一大事に私が居なくては、陛下に叱られてしまいますよ。こんな時の為の聖女なのです! さあ! 旗を掲げて立ち向かおうではありませんか!」
ぐぎぎ! キツイがしかたない!
「聖女様…」
シュバイス、ソキウス、ウィレース、スフォルが一斉に俺を見る。そしてその瞳には、何か炎のようなものが灯されているようだ。ウザい。
「そうと分かればすぐに動きましょう! 敵は待ってはくれませんよ!」
俺がそう言うとシュバイスがソキウスが、ウィレースが、スフォルが俺に一斉に跪いた。
「失言でございました! 聖女様! 既に負け戦のような気持ちでは兵士達に示しがつきません! 我らはどこまでも聖女様と一緒に戦う事を誓います!」
分かった分かった。俺はミリィにカッコいい所を見せようと思っただけで、お前らにそんなに熱く語られてもウザいだけだ。こいつらの事はさておき、とにかく出来るだけ生き延びるために何かを考えなければならないな…。
「まずは敵の様子を徹底的に探りましょう」
話を終えて俺達が天幕から外に出ると、辺り一面が夕日でオレンジ色に照らされていた。すぐにシュバイスが監視兵に声をかけて状況を聞く。その周りには将官たちが待機しており、シュバイスの指示を待っているようだった。
「敵は?」
「未だ動きはございませんが、対岸に陣取って動きません。こちらの様子を伺っています」
「こちらの弓兵と魔導師団はどうだ?」
「既に敵の攻撃に備えて、位置についております」
「恐らく敵は、弓兵と魔導士の攻撃を極力避けるために、夜間の襲撃をしてくるつもりだろう。全軍に伝えろ! 敵襲は近い!」
「「「「「「「は!」」」」」」」
兵士が一気に散っていき、敵襲に備え動き始めた。俺はその様子を見ながらも頭をぐるぐると回していた。
幸い聖女としての俺の魔力は無尽蔵にある。こちらの兵士全てに強化魔法をかけ、一度温存して怪我をした兵士の為に魔力の回復に努めて…。そして敵にデバフを。デバフ…?
俺は実はこの世界に来てから、自分が使える魔法であるバフとデバフの原理を突き詰めていた。どうやら聖女に使える魔法は基本、治癒と浄化とバフとデバフなのだが、全て生体に効く魔法なのだ。水魔法や火魔法も使えるが微々たるものだった。だが回復をしたり身体強化をしたりの他に、毒の解除をしたり錯乱を落ち着かせたりするのはチート級。またその逆も然りで、デバフのような敵の邪魔をするような魔法もチート級だった。
ウーム…。敵が暗闇の中を攻めて来るって事はだ、こちらの弓矢と魔法が当てづらいと言う事だよな。てことはだ、逆に相手の遠距離攻撃も当たらないって事だ。その上でデバフ…。うん、もしかしたらそれ使えるかもしれない? まあ一か八かだ! やってみっかな!
「シュバイス団長!」
俺はシュバイス団長を呼び止めて、あるお願い事をするのだった。




