57 暗雲
トラクターなどの農業用機械の導入によって、各村の人手不足が一気に解消されることになった。土を耕すという、最も手間と時間のかかる重労働から解放されたのは大きい。労力を別な作業にさくことが可能になったのだ。
懸案となっていた、ハメルンの街との連絡道路の整備も着々と進んでいる。現状、あのタワーマンションの前まで車で行ける程度にはなっている。
タワーマンションは将来的には監視塔として使いたいところだが、今はエレベーターが止まっているので、監視を領民たちに任せるのは酷だろう。昇り降りが大変過ぎて、屋上にたどり着けるのが俺とジャンヌくらいしかいないのだ。
「あれがハメルンの街か。
たしかにあの街の作りは私たちの世界のものだな」
ジャンヌが双眼鏡を覗き込んでいる。
前回来たときは、ハメルンの街の調査を優先していたので、ざっと見まわす程度だったが、今回はしっかりと周りの状況を調べるつもりだ。
それにしても、見渡す限り廃墟だらけだ。そしてほとんどが緑に覆われている。俺は紙の地図を広げて、辺りにある目立つ建物と照合する。スマホで地図が見れていたのがいかに便利だったのか、今さらながら痛感するのだった。
「ふぅむ。今いるのがここで、ハメルンの街はこの辺りになるな」
「私たちの住む街は、その地図で言うとどこになるのだ?」
俺は地図から外れた何もない空間を、指でくるくる囲いながら答える。
「こっちの端の方だ。ちょっとこの地図の範囲からは外れてるな」
騎士のジャンヌは馬で走り回るのが仕事の一つだったので、地理についてはかなり興味があるようだった。図書館でも各種の地図を見ては面白がっている。
「この国は小さな島だと思っていたが、その割にはまるで海が見当たらないな」
そんなジャンヌは世界地図を見てビックリ仰天していた。そして、地球が丸いことを知って頭を抱えていた。地面が平たいと信じていた人間には、すぐには納得できないだろうな。
ちなみに魔術師見習いのクロエは、地球が丸いことも、地球を含めた天体の動きのことも、ある程度ははじめから知っていた。そういった自然科学にまつわることは、魔術師の基礎知識として師匠から学ぶのだという。
「地図の上では小さく見えるかも知れないが、実際はそれなりに大きいからな。
ここは内陸よりだから、もう少し南に行かないと海は見えないぞ」
「なるほど、そういうものか」
そう言って、ジャンヌはハメルンの街とは別の方角に双眼鏡を向けた。
「……むむっ! あれは……」
「どうした?」
「あの辺りを巨大な何かが飛んでいる」
ジャンヌが指をさす辺りを、俺も双眼鏡で確認してみた。
俺の記憶では、あの周辺は典型的な地方の街だったはずだ。
幹線道路沿いに大型店舗やコンビニが並んでにぎやかだが、少しそれると農地が広がるような、そんな風景だったと思う。
しかし今はだいぶ様子が違っているようだ。そこそこに密度の濃い森が点在し、コンビニどころか大型店舗さえ見えなくなっている。幹線道路など影も形もないのだ。何もいないような……。双眼鏡をもう少し上に向けて驚いた。
「なにぃ! あれってまさかドラゴン⁉」
「恐らくそうだ」
体の大きさに比して妙に小さな羽根。
航空力学的に、あんなものが空を飛ぶのはおかしい。あの小さな羽根を少々動かした所で発生する揚力なんて微々たるものだろう。どうやってあの巨体を浮かせているのだろうか? ワイバーンはまだ飛びそうな形だったから分かるが……。
「ドラゴンは魔法で飛ぶのだと聞いたことがあるが、さもありなん。
実際にこの目で見ても信じられん。実に奇妙な様だな」
「この距離なら危険はなさそうだが、ジャンヌはどう思う?」
「分からない。このままどこかへ飛び去ってくれれば良いが……。
ドラゴンなどまさに天災そのものだからな。今後どうなるかは運しだいだ」
ジャンヌは真剣な顔をしつつも口元には笑みを浮かべている。
「まさかジャンヌ、あいつと戦いたいとか思ってないよな?」
「うぐっ……。
ドラゴンをこの目で見るなど、それこそ一生に一度くらいのもの。
いち戦士として戦ってみたいと思うのは当然のことだろう」
ジャンヌはなぜか自慢げにそう宣言した。
しかし、この距離で形が分かるくらいだから、それこそ小山くらいの大きさだ。剣でどうにかなるとは、とても思えないのだった。
「さすがにあれを相手にするのは無茶だと思うぞ」
「それはやって見なければ分かるまい。
ブラドももちろん戦うのだろう?」
「待て待て! あれと戦うと決まったわけじゃないだろうが!
必要がないなら何もしないぞ」
あえて天災に立ち向かうとか、戦闘狂にもほどがある。
ドラゴンはクルクル同じところを回っていたが、しばらくするとどこかへ飛び去って行った。さすがに遠すぎて双眼鏡でも、もう見えなくなった。
「ふぅぅぅ、助かった……」
「くそぉ、逃げられたか」
「違う違う。危機が去ったの!」
ジャンヌの頭を冷やすために、すぐ下のフロアで一休みすることにした。
上層階は結構贅沢な部屋割りがしてあるようで、1フロアに4戸しかない。適当な部屋の鍵を壊してドアを開けた。このマンション全体に誰もいないことは、すでに調査済みだ。異界震初期の段階でどこかに避難したのだと思う。
この部屋の住人はよほど慌てて出ていったのか、クローゼットやたんすの引き出しが開けっぱなしになっていて、日用品が床に散乱していた。
部屋一面にほこりが薄っすら積もっているところからすると、その後誰も帰ってこなかったのだろう。
「贅沢な部屋だな」
部屋を見わたしたジャンヌが感心したようにつぶやく。
確かに、必要以上に広々としたつくりで、大きな窓からの見晴らしも最高だ。家具や調度品もどれもこれも一目で高級だと分かる。
「こういう所に住めたのは、ごく一部の富裕層だけさ」
こんな状況なのに、言葉に妬ましさがにじみ出てしまう。
そんな俺の心境を察したのか、ジャンヌが俺にたずねる。
「ブラドは以前はどんなところに住んでいたんだ?」
「俺の家はもう瓦礫の下だよ」
今はもうない、あの鉄骨二階建ての、いかにも安い作りのアパート。日々の仕事に追われて、いつもヨレヨレになってそこに帰っていたのだ。
あまりにも遠い記憶で、今となっては全く現実味がない。
「魔狼たちの犬舎よりは少しマシって感じだったかな」
「ハハハ、それでも壁はあったんだろ?」
「まあな。薄っぺらだったが」
俺はソファーにごろんと横になる。
「良いソファーだな。この革は本物だぞ」
「私たちの家のものとは違うのか?」
「あのソファーの革は、実は人工物なんだよ。
牛革に良く似せて作った、合成皮革というやつだ」
「そっ、そうなのか? まるで分からなかった……」
「まぁ分からなくても問題ないよ。
それに、あれはあれで汚れにくくて扱いやすいしな」
ソファーに横になっていると微妙な揺れを感じる。タワーマンションの高層階は揺れると聞いたことがあるが、確かにそうだな。もちろん俺の超感覚によるところも大きいのだろうが、これはちょっと落ち着かないかな。
「とりあえず家に戻るぞ。
万一のときの対策を立てておかないとな」
そうそう、各村にも注意喚起しておこう。ドラゴン注意ってな。
「しかし、今日は良いものが拝めた」
なぜかジャンヌはニコニコしているのだった。
あと二話で終了です。




