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秋になって暗くなるのが早くなった。街頭にほのかに照らされた道をりっちゃんと並んで帰っていた。
「それで? 文化祭一緒に回ることになった、と?」
「うん。話の流れでね、お化け屋敷巡りしようってことになって」
「それで?」
「それだけ」
「それで千秋はどうするの?」
「一緒にお化け屋敷巡りする」
はあ~、と大きな大きなため息を付いたと思えばびしっと指を立てる。
「文化祭といえば! 後夜祭での告白でしょ!」
「えぇ~。まだ早いよー」
「まだって……。小五からだから六年でしょ、六年! 思い募らせすぎでしょ!」
「そうなんだけど」
「だけどじゃない。告白しろなんて言わないから後夜祭には誘いなさい! いいね?」
「はぃ」
鬼軍曹モードのりっちゃんには逆らえずうなずくしかなかった。それじゃまたね、と手を振りつつ交差点で別れた。
その日の夜。私は潤也とのLINEの画面を見つめていた。そこには『後夜祭もいっしょに行かない?』とまだ送信ボタンをおせていないままの文が書かれている。どんな言葉がいいか書いては消しを繰り返したけど簡潔な文にもどってきた。
「小学生みたいにドッジに誘うときとはわけがちがうよ……」
独り言をこぼしながらあてもなく小さい部屋の中をぐるぐると歩きまわる。そんなときふと鏡に映る不甲斐ない顔をしている自分が見えた。こんな顔じゃかわいくないなと笑顔を作って気合をいれて送信ボタンを押した。
返信がいつ来るのが気になってしまうから電源を切って無理やり目を閉じた。
早く目が覚めてしまった。外はまだ薄暗く名前も知らない鳥のさえずりが聞こえる。返信は来ているかなと寝ぼけまなこでスマホをつける。『俺から誘おうと思ってた!』と書いてあるのが見えた。『ならもっと早く誘えよばか』と送りつつも小さくこぶしを握りガッツポーズをした。
そうして迎えた文化祭の日。私はいつもの倍は力を入れてメイクした。ミディアムボブにまで伸びた髪はヘアアイロンを当て、まつ毛にはラメをつけてみた。いつもはつけない高めのヘアミストもして完璧だ。制服の代わりにクラTを着てスカートもいつもより一回多く折った。女子力も倍になった気がする。
私たちのクラスは迷路を企画した。いろいろ工作したりセッティングしたり準備は大変だったけれど当日は割と暇だ。逆に潤也はサッカー部で模擬店も出しているらしく忙しいらしい。シフトの終わりの時間を合わせて昼過ぎから潤也と文化祭をめぐることにした。待ち合わせに向かう道中すれ違った男子が振り返ってくる視線を感じる。それに手ごたえを感じていると潤也が見えた。
「ごめん。ちょっと待たせちゃったね」
「……いや、全然待ってないけど」
手を振りつつ声をかけた私を見て少し言葉を詰まらせる潤也。
「どう? 今日かわいいでしょ」
「まあ。そう、だな。かわいいと思う」
肯定されると思ってなかったからカウンターを食らってしまった。そんなことも気にしてないように潤也は口を開く。
「初めからお化け屋敷でもいいけどまずはなんか食べね?」
「お腹が鳴る一歩手前だったからそうしよ」
「ちょうど目の前にあるパンケーキでいいか?」
「潤也がパンケーキって。似合わないかも」
「うるせ。じゃあ入るか」
メイドのコスプレをした女子に案内され席に座る。メイド喫茶ではなくてご主人様、お嬢様とは呼ばれなかった。私はバニラアイスが乗ったもの、潤也はアプリコットジャムのかかったパンケーキを注文した。
「うん。まあ普通の味だな」
「こら、そういうこと言わないの。思い出とか気持ちの分おいしくなるでしょ」
「それ味は普通って認めてないか?」
「いいのいいの! ……はい、あーん」
私は必至の勇気を振り絞ったことがわからないように笑顔を作って切り分けたパンケーキを潤也の顔の前に持っていく。どうせ潤也はひょうひょうとなんでもない顔で食べるんだろうなと思った。けれどもそんな予想とは裏腹にぽけーっと呆けている顔が見えた。
「あはは。何その顔」
「いや、だって、それ。間接……」
言い終わる前に手を突き出し口の中にパンケーキを入れる。
「どう? 美味しいでしょ」
「……まあ美味い、かも。味は普通だけどな」
小五のプールでのキスの時はなんともなかったのに、間接キスで動揺している潤也をみてちょっとだけ優越感を感じたのは内緒だ。
「じゃあお化け屋敷いくか」
「そうだね。聞いた話だと五クラスもやってるらしいよ」
「時間的になんとかいけるか」
――今は四つのお化け屋敷をまわって最後の三年三組のお化け屋敷の列に並んでいる最中だ。今までのは正直どれもこれも期待外れだった。おどかしてくれる人に申し訳ないからちょっと悲鳴を上げたりはしたけど。
「はあ~、ラストひとつかあ。今後こそはって感じだな」
「まあまあ、文化祭の出し物なんてこんなもんでしょ。でも最後のは一番評判いいらしいよ!」
「本当かなあ」
なんでもない話をしているとやっと私たちの番が来た。ストーリーがあるらしく幽霊の原因となっている鬼の面を取って戻って来いと言われた。扉を開けると冷気が足元を辿ってくる。
「おお、意外と雰囲気あるな。ちゃんと暗いし血の感じとか割とガチっぽいぞ」
「もしかしてびびってない? 大丈夫そ?」
「別にびびってるわけじゃない」
ちらりと視界の端に何かがゆらめく。けれど瞬きをした瞬間にそれは見えなくなった。何だ気のせいかと安堵したのもつかの間、首元にふわりと何かが触れる。
「ひゃっ」
「はは、びびってるのは千秋の方じゃんか」
「いやなんかが首に当たった気がして」
「俺の方はなんともないけど、気のせいじゃね?」
そうしていると、がっ、と足首をつかまれる。潤也が声を押し殺してびくりとしているのが分かった。
「こういうのもあんのか。ちょっとびっくりしたな」
「あ、あそこにあるの取って来いって言われたお面じゃない?」
「これでおつかいクリアか」
鬼の面が開けた場所に積まれているのをみて駆け寄る。そして取ろうと手を伸ばしかけたその時だった。低いうなり声を上げながら血濡れの面をつけた鬼が飛びだしてくる。声を出す間もなく足がもつれてバランスを崩してしまう。まずいと思い痛みに備えて目をつぶる私。そんな私は力強くふわりと誰かに受け止められる。もちろん潤也だ。
「千秋。大丈夫か?」
「……う、うん。ありがとう」
「怪我がないならよかった。っと悪い、こんなに密着してるのはよくないか」
「えっと。うん、そうかも」
その後はそのお面を持ってクリアとなった。久々に明るいところに出たからか目がちかちかするようだった。
「いやー。評判いいだけあって普通に怖かったな」
「あはは。そうだね。びっくりしちゃった、ね」
なんだかちょっと気恥ずかして会話が上手く弾まない。廊下は人でごった返しているせいで肩と肩が触れ合う。その度に受けとめられた時に感じたがっしりとした体を思い出してしまう。シフトにもどらなければいけない時間にもなり、互いにまたねと言って別れた。
その後は忙しくなってしまった。迷路の一部が壊れたり遊びに出た人が戻ってこなかったりでてんやわんやだった。時間も忘れているうちにきんこーんとチャイムが鳴り、今年度の文化祭はここで終了だとのアナウンスが流れる。教室の端で休んでいるとりっちゃんが声をかけてきた。
「千秋ー。おつかれー」
「ほんとにお疲れだよ。なんで私がシフトにもどったとたんアクシデントがこんなに起こるのさ」
「もってる女ってことだよ。で、後夜祭の前にちょっとメイクなおしてあげる。汗で崩れちゃってるし」
「ありがと! 持つべきはやっぱり親友だね」
りっちゃんを前にして目をつぶる私。ちょっとくすぐったく触れる感触に懐かしさを感じる。
「こうしてると初めてりっちゃんにメイクしてもらった時を思い出すね」
「そうかも。あんときから考えると千秋は変わったね。ずいぶんとかわいくなった」
「うん。それもこれもりっちゃんのおかげだよ。ありがと」
「親友なんだから当たり前でしょ」
ふふっと照れくさいやり取りに笑みがでてしまう。お互い何も言わずりっちゃんがメイク道具を動かす音だけがする。
「今日こそはちょっとがんばってみるよ」
「――うん。それがいいよ」
少しの間のあとで口を開いたりっちゃんがどんな顔をしているかはわからなかった。
「よし、完成。ほら早くいってきなさい、千秋」
「ほんとにありがとね、りっちゃん」
私は教室を飛び出して潤也の待つ後夜祭に向かった。
うちの学校の後夜祭はグラウンドで行われる。音楽が流れていて自由にダンスしたりステージでは有志の出し物をやっているらしい。あと後夜祭の最後には花火が打ちあがるそうだ。他の学校ではやらないらしく中学の友達には羨ましがられた。
ローファーに履き替え外に出ると辺りはかなり暗くなっていた。もう十月で秋になったその寒さは文化祭が終わってしまう寂しさに包まれているようだった。きょろきょろと見回すと暗がりにひとりで立っている潤也を見つけた。
「また待たせちゃったね。じゃあ行こっか」
「おう」
二人で歩幅を合わせて歩き出す。笑い声がする方を見るとステージでは漫才をしているのが見えた。内容が全く頭に入ってこない。漫才をした人達がはけたあとも人気の邦楽のカバーをする軽音部をぼーっと眺めた。ひと盛り上がりを見届けてなんとなくムーディーな音楽が流れている方に向かった。そこではカップルのような男女がゆらゆらと踊っていた。
「一曲踊ろうよ、潤也」
「もちろん。喜んで」
「……そのあと大事な話あるから」
「……おう」
手を取り合って踊りだす私たち。お互いに口を開くことはなかった。たどたどしい足遣いではあるけれどそこそこ形にはなっている気がする。潤也が体を左に動かすのに合わせて私も足を踏み出す。右に動かすのに合わせてくるりと立ち位置を替わる。互いに互いしか見えなくなっていて通じ合っているような感覚を覚えた。
そんな長いようで短い時間も終わりを迎えた。これで後夜祭は終わりだとのアナウンスがかすかに聞こえる。私は自分を鼓舞するように声を出す。
「その、話っていうのはね。私――」
「ちょっと待ってくれ。俺から先に話をさせてくれ」
私の言葉は潤也に遮られた。その真剣な面持ちに固唾をのんでしまう。息を大きく吸うと意を決したように語りだす。
「――俺、千秋のことが好きだ。付き合ってほしい」
「もう。言うのが遅いよばか」
夜空に色とりどりの光が花を咲かせる。まるで祝福しているようで終わりを告げるようで現実味のない光景だった。
――私も好きだよ。花火のような子供っぽい笑顔で私はそう言った。