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「神前さん。あなたのことが好きです! 付き合ってください!」
「えっと、ごめんなさい。私好きな人がいるんです。」
私は校舎裏から教室に戻る道すがらにいる。そんな私の名前は神前千秋。神前って書いてかんざきって読むの。この名前かっこよくてちょっと好き。そんなどうでもいいことを考えてしまうのは、校舎裏でのことを思い出したくないからだ。
「やっぱり振るのはちょっと心が痛むなあ。こっちが悪いことをしてる気分みたいな」
そんな独り言をつぶやきつつ足を速める。もう十月なこともあって廊下はひんやりとしている。折って短くしたスカートに刺すような寒さだ。
「ていうか、私好きな人がいるって言っていつも断ってるのになあ。ああもう、めんどくさい」
ため息を付きつつ教室に戻る。席につくと隣から声がかけられた。
「あれ、千秋遅かったね。てか自販機行ってくるって言ったのに何ももってないじゃん」
「……お手洗い行ったら忘れちゃった。あはは」
「また告白でもされたの?」
彼女は私のこといい当てるのがすごく上手い。これで何度目のことだろう。
「図星だって顔してる」
「……そんなにわかりやすい顔してないはずなんだけどなあ、私」
「ばればれだって」
そう言って快活に笑うのは隣の席のりっちゃんこと橘莉子だ。私と同じ陸上部で中学校からの友人で、ちょっと背が高くてプロポーションもよくポニーテールが特徴的。あと顔がいい。
「高校入って何回目よ。七回目くらい?」
「えっと。両手でかぞえられないくらい、かな」
「罪な女だね」
少しカールをかけたミディアムボブの茶色がかった黒髪、ぱっちりとした力のある目、赤みの刺した頬、ころころと変わる表情。自分で言うのもなんだけど私はかわいいのだ。
それは今まで積み重ねてきた努力の結果でもある。朝はヘアセットとメイクのために早く起き、食生活にも気を使い、表情を作る練習もしている。
風のうわさで私のことを可愛いという声を聴いたりする。告白されるのは面倒だけど努力が認められたみたいでとても嬉しい。ちょっと面倒な女の子かもしれません。
「で、そんな罪な女の思い人はどうしてるかなっと」
「どうせいつも通り男友達とだべってるだけでしょ」
「かわいい先輩女子に囲まれてる」
「えっ、嘘」
びっくりして教室の後ろの方を振り返ってみる。そこには私の想像通り彼は男子と喋っているだけで先輩女子なんてどこにもいなかった。
「もうりっちゃん!」
「ごめんごめん。ちょっとからかいたくなっちゃった」
そんな彼の名前は入江潤也。背は高めでセンターパートの黒髪、目元はきりりとした二重だけど子供っぽく笑う。サッカー部で線は細いながらも筋肉質な体をしている。小学校からの付き合いで親が仲が良かったから知り合った。もう十年近い付き合いになる、幼馴染というやつだ。
はじめはなんてことないただの遊び友達だった。けれど時間をかけて私の潤也に対する気持ちは変わっていった。そんなちょっと長い思い出話をさせてほしい。
小学校での私はそれはそれは男勝りだった。髪もショートでつんつんとしていたし、服も半袖半ズボン。運動が得意だったこともあっていつも男子と遊んでいた。いつもちょっとした擦り傷をつくってはお母さんに叱られてしまっていた。
休み時間を知らせるチャイムが鳴ると潤也がいつものごとく話しかけてくる。
「よーし、もちろん今日もやるよなー?」
「おうよ、今日は負けねーかんな」
ドッジボールを掲げて男子どもに呼びかける。
「おーい! ドッジやるやつついてこーい!」
千秋軍と潤也軍にグーとパで分かれて試合が始まった。
「私のジャスティスハイパーボールをくらえ!」
「あぶねっ。ネーミングださいのに球は早いのなんなんだ」
何人かが外野に行きコートに残っているのは私と潤也だけになった。うおおおおと雄たけびを上げつつ私はボールを本気で投げるふりをしつつぽーんと外野の男子にパスをする。
それが意外だったのか外野が投げた遅い球を潤也は受け止められなかった。
「これが頭を使うってことだよ」
「俺の四連勝が……」
落ち込んでいる潤也に夜にやっていたドラマの俳優の真似をして私はそう言った。これが私たちの日常だった。一緒に外で遊んだりゲームをしたり小さなことで競争をしていた。
そんな中、ちょっとした転機が訪れた。小五の水泳の授業でのことだった。
「今日も25mで競争しようよ、潤也」
「いや俺一回も水泳で勝ったことないしやだよ」
「じゃあ、そうだなあ。ハンデで背泳ぎにしてあげるからさ」
「なんかそれはそれでムカつくけどたまにはいいか」
やれやれと言いつつ何だかんだ付き合ってくれる。
よーいどんと言う先生の合図で壁を踏みしめ一気に加速する。完璧なスタートだなと自画自賛しつつ、手と足を遠くへと伸ばしながら動かす。
そういえば、とちらり横を見ると私より体ひとつぶん奥にいる潤也が見えた。今日も私の勝ち、と思ったときにそれは起こった。
少しの違和感を感じた後、ふくらはぎに痛みが走った。バランスをとれず体が沈むのを感じる。必死に手でもがき呼吸だけは確保しようとする。そんな努力もむなしく浮遊感を味わう。水が口の中に流れ込んでくる。ああ終わりなのかな、と意識がうつろになった。
「おい千秋! しっかりしろ!」
そう言って私を支えてくれたのは潤也だった。朦朧として動かない私の体は先生も手伝いながらプールサイドに引き上げられる。
ありがとう、そう言おうとした瞬間、私の口は何かにふさがれた。目の前には潤也の顔が迫っていた。少しの間私は呆けてしまうが、とっさの力で私は潤也を突き飛ばし起き上がる。
「げほっ、げほ。ちょっ、おま、何して」
「千秋! 大丈夫か!?」
「うん。だ、大丈夫。大丈夫なんだけど、大丈夫じゃない」
つーんとする鼻も痛む足も忘れて焦る私。
「いや、その、なんというか、キ、キスのことなんだけど」
「キスじゃなくて人工呼吸だし。はあ、無事でまじでよかったぁ~。 お前めちゃくちゃばかみたいに溺れてたんだぞ!」
「……ばかみたいって何? でも、まあありがとう」
私が無事なことにただただ胸をなでおろす潤也。そんななんでもないような潤也に私は何かをいう気が失せた。
しばらくして私はだれかが持ってきてくれた担架に乗せられた。保健室まで担架に揺れらる私の脳裏に焼き付くのは極限まで近づいた潤也の顔だった。
――これが私の長い長い初恋の始まりだった。
「おーい。今日もドッジやるよな千秋!」
「ひゃっ。……うん。もちろんやるよ!」
肩に乗せられる手にちょっとびっくりしたり。
「今日の水泳こそはリベンジするからな! 千秋!」
「……うーん。今日はちょっと体調悪いから水泳の授業やすもっかな」
「おい。なんでだよ。勝ち逃げか~?」
「こら潤也! 女子になんで休むかを聞いたりするもんじゃないぞ」
先生にそう言われ、理由がわからないという顔をしつつも渋々頷く潤也。いや先生、別にそういうのではないんです。あのことを思い出すからと授業を休んだり。
そういうなにかがちょっと違う毎日を過ごした。でも違う毎日を過ごしたのは私だけだった。
潤也は何も気にした様子がなくいつも通りだ。いつも通りに声をかけてきて、いつも通りに遊びに誘ってくる。ぎくしゃくしてまうよりはよっぽどいい。けれども、なんだかいいようのない気持ちを覚える。私はベッド横のネコのぬいぐるみに八つ当たりをした。
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