砂漠のオアシス
そこは、岩場から水が湧き出る小さなオアシス。こんこんと絶え間なく湧く水はそこの住人にとって、正しく『命の水』
岩場をぐるりと半円で囲んで作られた町は、石とレンガで作った平屋建てがほとんどで、オアシスの外は砂漠地帯となっている。年に一度の雨季以外はからからに乾いた大地、昼と夜の激しい温度差…それでも生きていけるのは、岩場から採れる鉱石を加工する技術があったから。
****
「ユーグ様、海から珍しいモノが届きました」
このオアシスを治める領主の息子、ユーグ・カルヴァン。
領主夫妻は砂漠にいくつか点在するオアシスを管理する為、年中飛び回っている故に23という若さで、この地を治めている。
石造りの建物の中で最も広い部屋、そこに上質な毛織物の絨毯が敷かれている。絨毯は厚く足音もその毛の中に吸収される。
周りより高い場所、多種多様な模様を施したクッションに囲まれて座る、ユーグの前に商人が膝をつき首を垂れる。商人の後ろには2人がかりで運ばれてきた、腰くらいまでの高さのある箱が置いてある。
「珍しいモノとはなんだ?」
「滅多に出ない、唯一無二なモノでして…ユーグ様に献上したく…」
箱の中身についてハッキリ言わない商人を見れば、小刻みに震えているのがわかる。
****
オアシスの民は、ドラゴンを始祖とするが、長い年月を経て見た目は人族とほとんど変わらない者が多い。時折、先祖返りと呼ばれる、身体のあちこちがヒトとは違う形状で生まれる者が出る。
……ユーグは先祖返りだ。それもここ近年では出なかったとびきりの。
地を這うアースドラゴン、それも鉱物を主にしたミネラル種。鱗を持たず身体は鉱物で覆われ、その希少さに狙われて姿を消したと言われている。
ユーグの左腕は肩から下がびっしりと紅い鉱物で覆われて、手首の先はヒトとは程遠い凶悪なドラゴンの手になっている。右腕がヒトの腕なのも相まってその大きさは歴然としており、左腕は常人の3倍の力がある。
領主がこのオアシスに留まらず、各地を巡るようになったのは、ユーグを外に出さないようにしているからだ。
希少種の先祖返り、しかも左腕全体がドラゴンの腕という事もあり、幼い頃からユーグは狙われ続けていた。
信頼のおける者をそばに置き、尚且つユーグ自身が育ちきるのを待って領主はユーグをこの地の領主代理として任命したのが一昨年。やっと代理としてどうにかカタチになってきた。
****
トサッと静かに箱が置かれたのがわかって、目を開けた。何度かぱちぱちと瞬きをして、軽く身体をひねる。箱に多少の余裕があって周りにクッションが詰められても窮屈な体勢には変わらない。
外から話し声がする。
「箱を開けろ。開けられないのか?……そこをどけろ」
偉そうな少し苛立った声。
その次に耳にしたのは何かが破れる音?
ぺり…ぱき、ぱきぱき、ぱたぱた…
最初に目に入ったのは、きらきら煌めく紅。
そこから先は私と同じ褐色の肌色、赤と茶が混じる髪。
大きく見開いた瞳の色は金色。
私を閉じ込めていた箱は、前後左右にぱたりと倒れていて箱の形状を留めていない。
見上げた先に、左腕に異形をまとった男の人。彼の鋭い爪が私の口から布を取り去ってくれたものの、周りの目は厳しい。
背中にぞわりと走る悪寒に、自由になった口で大きく『呼んだ』
「ーーーーーっ!!!!」
とぷんっ!!
部屋に突然現れた大量の水。
ただの水じゃない、私が慣れ親しんだ海。
あの村では役立たずと蔑まれた、私の固有魔法
天井から床まで、全てを包む海。
飾られたクッションが水面に漂い、急に発現した水に慌て騒ぐ人、人、人。
「何で、水が!」
「ただの水じゃない、飲むな!」
「ユーグ様は!?」
繰り返される『ユーグ』という名前。
私は手足に着けられた鎖のせいで浮かばないけれど、セイレーンを祖にする私達は普通の人より長く潜っていられる。
……潜っていられるのに!
すぐ近くにいた異形の腕を持つ男が苦しそうな顔をして、私を助けようと鋭い爪で鎖をギギギと引っ掻く。何度か引っ掻いて千切れた鎖を握って、右手を差し出すその必死さに…私は負けた。
ーーーこの人は、敵じゃない。
伸ばす右手を逆に引っ張って、部屋の外へ向かって泳いだ。ちらっと後ろを向くと男は意識を失ってて、異形の腕はざりざりと床を撫でているのが見える。どうやら異形の腕は浮かないみたい。そんな腕があるのに私を助けようとするなんて!
部屋の外までは水が来てないのを確認して、水から出た。海水はきっちりさっきまでいた部屋分しか来ていない。廊下はからからに乾いていて、部屋の入り口でゼリーみたいに海水が留まっている。
横から見える水面に向かって、ふぅーっと息を吹く。
ざばっ!
ドサドサ!!ぽたぽたぽたぽん
部屋に溜まっていた海水が一気に消えて、水面に浮いていたクッション、そして必死で泳いでいた人達も床に落下。
あちこちで低いうめき声。そして、私の足元には…ぴくりともしない男。
……ヤバい。息、してる?
慌てて胸に耳を当てて、あごに手を当て人工呼吸をしようと顔を近づけた。