海辺の村
「あのね、本当に悪い人は見かけによらぬものなのよ。だから、普段から良い人を装ってるってわけ。身近にいて害はないですよーって。コレは身をもって体験しちゃってる私が言うから本当のことよ?全く箱入りの子猫ちゃんには難しかった?」
「誰が子猫ちゃんだ!」
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私が生まれたのは、海の魔物であるセイレーンを祖先に持つと言われる海沿いの村だった。
男も女も美しい声を持ち、褐色の肌と深い海に馴染む濃紺、または黒の髪色。瞳の色は緑。そして、身体の一部に鱗を持っている。生えている場所は人それぞれ、鱗の色も範囲も人によって違う。
私の母さんは右胸の上に3枚、淡い緑の鱗。父さんは肩甲骨の辺り、手の平大くらいの範囲で赤い鱗が生えていた。ひとつ下の妹は両手首に橙色の鱗がくるりと輪のように生えていて、彼女は「ブレスレットみたいでしょ」とよく言っていた。
私は村人の中でも最多な鱗持ち。右眉の上、鎖骨、肩、手首、腹、腰、腿、足首の8箇所。全身に5枚ずつ点在する鱗の色は眉上の濃紺から始まって、足首の銀色で終わる。グラデーションみたいで自分でも気に入ってるからそれが見えるような服を敢えて選んでる。まあ、欲を言えばもう少し胸が大きい方が良かったかな…。全然ないわけじゃないのよ?でも妹は背も高くて胸もあって…羨ましすぎる。
私の名前はサンゴ。村のみんなと同じ、褐色の肌に黒い髪、瞳の色は緑。声は少し低めのアルト。
村の外には出た事はないけれど、それを不満に思った事はない。遊ぶのも働くのも海があるから。
どのくらい深く潜れるか、どこまで遠くに行けるのか、どんなに速く泳げるのか、飽きることのない毎日。
全員が海を愛して、海に感謝しながら生活している。
父さんが海に潜って採ってきた、手のひら大の二枚貝の隙間にナイフを入れて中にある柱を切ると、ぱかりと貝が口を開く。ナイフを身と殻の間になぞるように横に滑らせると簡単に身が外れる。それを横に置いてある桶に入れる、までが私の作業。
妹は殻と身を水で洗って、木枠で組んだ手作りの網台に重ならないように並べている。そうやって乾いた貝の殻に母さんは薬草から作った傷薬を丁寧に詰めていく。
貝の干物と貝殻に入れた傷薬。父さんが月に一度、内陸部の市場で売ってくる。それが我が家の唯一で最大の商品。売れ筋はそこそこ、家族4人が飢えないで生きていける。
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「珍しい果物が手に入ったからいらっしゃい。数がないから秘密ね」
ある日、私はお隣に住むおばさんに声をかけられた。
お隣さんは村を拠点に色んな場所へ物を売買する商人だったから、遊びに行くと村とは違う世界の話を聞かせてくれたし、その土地土地で手に入れた珍しい物を惜しげもなく見せてくれたし、滅多に口に出来ない食べ物なんかも貰えたりもした。だから、村の子どもたちは全員、お隣さんが大好きだった。もちろん、私も。
だから「旅で見つけた果物で作ったのよ」と言われて出された飲み物も何の疑いもなく口にした。
あ、甘いーーーと、思ったのが最後の記憶。
気付いたら、口に布を詰められた上で猿轡、手足に鎖をつけられた状態で足を十分に伸ばせない大きさの箱に入れられていた。横になる事も、もちろん立つ事も不可能だ。
絶え間なくゆらゆら動くからどこかへ移動してるようだった。幸い箱の内部にクッションが隙間なく詰められていて、箱が揺れても体をぶつけて痛い思いをする事はない。ただ、暗くて自分がどこに運ばれているのかが全くわからない状況が不安だった。
生まれてからずっとそばにあった波の音が聴こえない。
たまに聴こえるのは、ガラガラという車輪の音とボソボソ誰かが話す声。
口に詰められた布が不快で、手足につけられた鎖が重い。
何度か水を与えられた時に見た顔は、人の良さそうな顔をした隣の家に住むおばさんだった。
「なんで?」
「どうして?」
彼女に何度も聞いても答えはなかった。
ただ、私と同じ黒髪が金髪になっていて、腕にあったはずの鱗がなかった。
……それが答えだったと知ったのは、ずいぶん後になってから。
その時の私は拐われた事で生まれ育った村からだいぶ遠くまで来てしまった事に狼狽し、ひたすら暗い箱の中で悲しみに沈んでいた。