婚約破棄の記憶
ラビッシュと共に森を歩いていた。そんな中。
ズキッ。
頭が痛んだ。
クリスティーナは頭を痛そうに抱えて蹲った。
それにいち早くラビッシュは反応した。
うー
(大丈夫ですか? 姫様。頭が痛むのですか。この私が治癒魔法で癒してあげます)
如何にも心配そうで元気の無い鳴き声。そんな鳴き声が森に響く。ラビッシュはまたクリスティーナが倒れないか、すごく心配していた。
うー!
(大回復!)
すると薄ピンク色の光がクリスティーナを照らし、みるみるうちにクリスティーナの顔色が良くなった。頭の痛みも消えたはずだが、どこかクリスティーナはぼんやりしていた。
うーうー
(これでどうですか、姫様)
「ありがとう、ラビッシュ。頭の痛みは治ったわ」
(でも……)
クリスティーナはどこかぼんやりしていた。いつかの記憶が蘇る。
***
いつからだろうか。自分の気持ちを抑えこむようになったのは。ずっと、私は小さい頃から我慢を強いられていた。
「クリスティーナ、もっと笑いなさい」
6歳の頃。家族写真を撮った時。
(誰のせいで笑えなくなったの?)
天真爛漫で少し意地の悪くて、甘え上手な妹と贔屓され、私は奴隷のように扱われていた。庭で遊ぶ事も許されず、お菓子すら食べさせてもらえず、ネグレクトにより栄養失調になった事もあった。
私が栄養失調で倒れた時だけ家族は優しかった。皇室で死者を出したら、国に責められるからだ。それに虐げている事もバレてはいけない。だから、表向きだけ仲の良い家族として見られていた。
「クリスティーナ、目を覚まして」
「お姉さま、またあたしと遊びましょう」
私は目を覚ました。
「クリスティーナ!」
いきなり抱きしめられて、初めて抱きしめられて、びっくりした。
「大丈夫です。急に倒れて申し訳ありません。心配をおかけしました。こんな私のせいで……」
「そうよ、貴方のせいよ。貴方が死んだらこの私が責められるんだからね! もう倒れないでよね」
お母さまはまたいつもに戻った。体を強く揺すられる。まだ病み上がりなのに。
それからまた月日が流れた。
「クリスティーナ、全部屋の掃除をしなさい。屋根も玄関もね」
「承知しました、お母さま」
妹は楽しく広いお屋敷の庭で幼なじみと遊んでいる。
バケツに水を溜め、雑巾を絞る。廊下を雑巾で拭き、一周した。それから埃などをはたきで叩き、庭も箒とちりとりで掃除し終わった。
一苦労をし、汗を流していると。
「あら、まだ埃が残ってるじゃない。でももういいわ」
微量の埃まで責められる。
「あら、お姉さま。贅沢な午後を掃除で潰されるなんて可哀想~」
嘲笑の笑みでみすぼらしい私を、指差しながら見下す妹。
(使用人がいるのに何で私が掃除しなきゃいけないんだろう……)何に対しても何かと長女だからと言われてきた。だから、長女はみなこうなる運命なのだと信じてきた。
そんな中、私に婚約者が出来た。名はスライ・スペンサー・スミス。スペンサー家の次期当主で伯爵家の生まれだ。この帝国ではかなり有名な青年である。切り揃えられた金髪に伯爵に相応しい整った顔立ちをしている。声も美声で1/fゆらぎという性質を持っており、声を聞くだけで気分が落ち着くのだ。
「君と話がしたい」
そう貴族のお茶会で言われた。
私は暗く俯いていた。お茶とお菓子だけを無言で食べている私にそんなイケメン伯爵が声かけてくるなんて、思いもよらなかった。私は誰かとの雑談に参加していなかった。きっとこういう偉い方は笑顔で誰とでも仲良くなれて輝いている、優秀な妹に惹かれるのではないかと心のどこかで思っていた。
びっくりして頓狂な声をあげた。
「はっ、はいっ!」
「それは良かった」
「で、でも何で私なんかに……。妹と話してた方がきっと楽しいですよ」
「そんな事はない。凛とした佇まいと静かな所が良いと思った。貴女と前から話がしたいと思っていた。そんな暗い顔しないで、笑っていた方が可愛いと思う」
優しい言葉をかけてくれるスライに私も徐々に惹かれていった。
お茶会では洋菓子が美味しいという話、舞踏会の話、普段どう過ごしているかなど、スライと雑談を繰り広げていった。
話しているうちに気づけばお茶会は終わっていた。久しぶりに味わった楽しい時間だった。
それから、舞踏会に誘われた。スライと一緒にダンスを踊った。親になかなか許可されなかったが、スペンサー家の説得により、特別に許可された。初めは転んでばかりだったダンス。それもスライが優しく教えてくれたから華麗に踊る事ができ、拍手に包まれた。
そんな様子を妹は睨みながら目撃していた。
それから親交を深め、特別な感情を抱くようになった。それはスライも同じで……。
ある時、紅葉が綺麗な大きな建物の裏でこう告げられた。白いベンチが二つ置いてある場所で。
「結婚を前提にお付き合いしてほしい」
私はびっくりしてどもってしまった。いつか言われるだろうと覚悟はしていたが。しかもこんな紅葉が綺麗な場所で言われたら、更に好きになってしまう。勿論、OKを出した。
「は、はいっ。私で良ければ喜んで」
ぺこりぺこりと頭を何度も下げた。射し込む夕焼けの光が二人を美しく照らしていた。
ここでなら、笑顔でいられる。何度もスライと笑い合っていた。そんな私を「可愛い」とスライは言ってくれた。
そんな楽しい時間は一瞬で過ぎ去った。
「あんた、最近外、出すぎ。あんたみたいなのは一生家の中で引きこもっていればいいのよ」
お母さまの冷たい声。
「はい、お母さま。申し訳ございません。これからはずっと家の中にいます」
それからは家の中にずっといた。窓から見える景色に羨望を抱きながらも、我慢して家に居続けた。
私が出てこないので、スライは心配そうにしていた。スライが家まで訪問する事もあったが、お母さまに「娘は病気が酷くて寝ている」と嘘を吐かれ、スライは仕方なく帰っていった。そんな日々が続いた。結婚式は来月に控えていた。このままで本当に結婚できるのだろうか。
結婚式当日。
皆が結婚式場に集まる。
お互いの家族同士と街の人々、国王まで集まった。
私は真っ白なウェディングドレスを着て、メイクしてティアラを付けて結婚式に参加した。スライもしっかりしたタキシードを着ていた。
なかなか会えなかったスライとの久しぶりの再会。私は胸を躍らせてドキドキしていた。だが、スライの表情はいつもと違った。
「ではクリスティーナ様、貴女はいついかなる時もスライ様を愛し続けると誓いますか」
「はい」
「ではスライ様、貴方はいついかなる時もクリスティーナ様を愛し続けると誓いますか」
「いいえ」
えっ。何で?
私は涙を瞳に滲ませた。
観衆がざわめき始める。あたふたしている者や互いを見つめ合う者、口をぽっかり開けた者など様々だ。
「スライ、私と結婚するって言ってたじゃない。どうしちゃったの? 正気なの? ふざけてるなら真面目にしてよ」
「いいや、ふざけてなんか無い。僕は君を愛してなんかない。だから結婚しない。あの時は君と結婚したかったが今はロザリーナと結婚したい」
ロザリーナとはクリスティーナの妹の名だ。今はロザリーナに心移りしているという事だ。
「そうよね」
ロザリーナが口を開いた。
「だって、スライ様はあたしの物だもん。最初からお姉さまは騙されていたのよ。お姉さまみたいなのが立派な男性に好かれるなんてあり得ないでしょ。いい加減、現実見たら? 結婚式なんて無駄無駄、お開きにしましょう」
最初から愛されてなかったなんて、信じたくなかった。せっかく手に入れた幸せを無くすなんて、涙が止まらない。ずっと泣き続けていた。
すると、スライが
「結婚式を取り下げてくれ」と言った。
「ちょっと待って。スライ、お願いだから私の方を向いて。あんなに楽しい日々を貴方と過ごせて良かったわ」
ぷいっ。とそっぽを向かれてしまった。愛する人とやっと結婚できると思った今日この日。それなのに婚約破棄されてしまった。これ以上の悲しみは無い。
実はスライは私が外出出来なくなったあの日から、外に出られる妹――ロザリーナと浮気していたのだ。顔が似ていた事からロザリーナに好意を抱き始めた。そして、楽しく遊んでいるうちに私――クリスティーナの事を忘れていった。スライは外に出なくなったのが嫌われているからなのではないか、という憶測まで立てた。元凶は母親だったりするが、外に出られても妹に取られる可能性は否めなかった。
そんな感じで結婚式は急いで取り止めになり、観衆や家族から嘲笑われる声とスライの「君を愛してなんかない」とロザリーナの「最初から騙されていた」という言葉が脳裏に焼きついた。
そのトラウマから記憶喪失になってしまった。
***
気づいたら森の中にいた。相棒――ラビッシュと共に。
いつかの記憶がフラッシュバックしてくる。
「君を愛してなんかない」
「お姉さまは最初から騙されていたんだよ」
「あはは。くすくす」
クリスティーナは頭を抱える。
「何なの……これ」
うー
(姫様、しっかりして下さい。私がいるから大丈夫ですよ)
クリスティーナはラビッシュと目を合わせる。
ううー
(さあ、行きましょう)
クリスティーナはラビッシュを腕に抱き、また森を歩き始めた。