少年の探しもの 前編
少し騒がしくなりますが、お付き合いいただけたら嬉しいです。
「いってきます」
「あ、リリアちゃん」
リリアが玄関扉に手をかけたところで、メリアに呼び止められた。
「今日は塩漬け豚を煮込む予定なの。一緒に食べましょ?」
「わあ、いいですね!楽しみ!パン、買ってきましょうか?」
「ええ、お願い」
「わかりました。ではいってきますね」
「いってらっしゃい」
にこやかに手を振るメリアの後ろでマイノが控えめに手を上げるのが見えて、リリアは笑顔で手を振った。
今日は朝から晴れていて、いい天気になりそうだ。仕事を早めに終わらせて、くまのパン屋でパンを買って、できれば明るいうちに帰って料理の手伝いがしたい。リリアでもじゃがいもの皮剥きくらいはできる。
ところが、職場で今日の分の手紙を受け取るとずしりと重かった。これは急がないと日が暮れてしまう。リリアは拳を握って気合を入れた。
運のいいことに、店番を頼まれることも、赤ちゃんを少しの間抱っこすることも、落としたお金を探す手伝いをすることもなく、リリアは順調に配達を済ませることができた。
そして、日が傾きかけたころのこと。リリアは道の端にぽつんと佇む少年を見つけた。大きな荷物を背負って、手に持った紙を見つめて動かない。このあたりで見たことのない子だ。
リリアの経験上、このくらいの年齢の少年に関わることに少し抵抗があったものの、その途方に暮れたような表情を見ると声をかけずにいられなかった。
「こんにちは」
少年はびくりと顔を上げてリリアを見た。
「こんにちは……」
「もし、道に迷ってるようだったら、案内しましょうか?私、郵便配達をしてるので、道には詳しいんです」
「あ……」
彼はその髪と同じこげ茶色の瞳を揺らしたが、姿勢を正すと真っ直ぐにリリアを見た。
「声をかけてくれてありがとうございます。この町は初めてで、道に迷ってしまいました。くまのパン屋っていう店を探しています。知ってますか?」
リリアはほっとした。道案内ならお安い御用だ。
「くまのパン屋さんなら、私もよく行きますよ。とってもおいしいのでお薦めです」
「はい、知ってます」
「……そうでしたか」
被せるように言葉を放った少年に戸惑ったが、リリアは気を取り直して歩き出した。
「配達もありますし、一緒に行きましょう。こっちです」
* * *
大人しくついてきた少年は終始無言だった。リリアはその背中の大きな荷物が気になっていたものの、年頃の少年に不躾な質問をするのもどうだろう、と悩んでいるうちに看板が見えてきた。
「着きましたよ。ここです」
「ここ……?」
くすんだ青みの緑色をした窓枠の向こうからは、今日は白いうさぎの人形が顔を覗かせている。リリアはくすりと笑った。
カラン、と音がした。バナードがこちらを向く。
「リリアさん、いらっしゃい!」
「バナードさんこんにちは。今日はお客さんを連れて……」
言い終わらないうちにリリアを押しのけるようにして入って来た少年は、バナードに思い切り抱きついた。
「兄ちゃん!!」
バナードは固まっている。リリアは目を瞬いた。
「……え?」
「……コニー?」
コニーと呼ばれた少年はぱっと顔を上げると、満面の笑みを浮かべた。
「兄ちゃんに会えなかったから、来ちゃった!髭剃ったんだな!やっぱりその方がかっこいいな!」
「来ちゃったって……お前、一人で?どうやって?」
「馬車にこっそり忍び込んだ。親方のとこからずっと乗ってたから、疲れたし腹減ったよ!何か作って!」
「何かって……」
リリアは少しの間ぽかんとしていたが、すぐにこれは長居をしてはいけないのではないかと思い至る。
「あの、では、私はこれで……あ!お手紙があります。それと、ごめんなさい、パンだけ買っていきたいんですけど、いいですか?」
バナードはハッとリリアを見ると、表情を緩めた。そしてコニー少年を引き剥がすと、カウンター越しにリリアと向かい合う。
「もちろん。ごめんね、騒がしくして。今日はどれにする?」
「ええっと……」
「兄ちゃん!」
「コニー。俺は仕事中だ。少し待っててくれ」
不満げなコニーにきっぱりと言って、バナードはリリアの指差すパンを包み始めた。
再びドアベルの音がした。お客さんだ。
「いらっしゃいませ」
「ではバナードさん、また!」
「あ、うん、また」
リリアは速やかにその場を離れ、扉を出た。
「おい、あんた」
少し歩いたところで、後ろから声が飛んできた。
店に着くまでの礼儀正しさはどこへやら、コニーは腕を組んでこちらを睨んでいる。自分はこの年頃の少年と関わるとあまり良くないのかもしれない、とリリアは思った。
「えっと、初めまして。コニー君。ご挨拶が遅くなってすみません。リリア・クラインといいます。バナードさんの弟さんだったんですね。バナードさんにはいつもお世話になってます」
「気持ち悪いから君とかやめろよな。コニーでいいよ」
「はい、ごめんなさい」
何故か敵意を向けられているような気がして、リリアはたじたじだ。
「あんた、兄ちゃんの何?」
「何……?えっと、私はバナードさんの……常連?客です」
「ふうん。なんだ、恋人じゃないのか」
「へ!?」
思い切り動揺して、変な声が出てしまった。
「驚くことじゃないだろ?結婚しててもおかしくない歳だし。村じゃ兄ちゃんくらいだと子どもだっているし」
「そ、そうなんですね」
「俺は兄ちゃんが心配で見に来たんだ。変なのに捕まったら困るからな。兄ちゃんは優しいし、かっこいいし、料理もうまいし、手先も器用だし、最高なんだ」
目をキラキラさせて語るコニーの言葉に、リリアは深々と頷く。
「それは、確かにそうですね」
リリアの心のこもった相槌に気を良くしたらしく、コニーは得意げにふんと鼻を鳴らした。
「だから、兄ちゃんの結婚相手は美人ですらっとして気が利いて優しくて、それから……とにかく、そんな感じの完璧な人じゃないとな」
「なるほど……でも、それは、バナードさんが決めることでは?」
コニーはむっとした顔になり、声を荒げる。
「うるさいな!さてはあんた……」
「コニー!」
響いたバナードの声に、リリアは心臓が飛び出るかと思った。
駆けつけたバナードはコニーの腕を掴むと、リリアにすまなそうに言った。
「ごめん、リリアさん。弟が何か失礼なこと言ったかな?大きな声が聞こえたけど」
「い、いえ、大丈夫です!配達の続きがありますので、また!」
バナードと目を合わせられず、リリアはくるりと後ろを向いて退散した。
勝手に外へ出たら迷うだろう、と諭すバナードの声が聞こえる。初めて知った彼の"お兄ちゃん"な一面に、リリアは一人微笑んだ。
できる限り急いで帰宅すると、リリアはじゃがいもの皮を剥いて潰す係を任された。キッチンにはいい匂いが漂い、空腹のリリアには刺激的だったが、メリアが味見と称して色々と食べさせてくれた。幸せな時間だ。
酢漬けキャベツを皿に盛りながら、リリアはバナードとコニーのことを考えた。あの様子では、コニーは両親に内緒で来てしまったようだ。大丈夫だろうか。
結婚していてもおかしくない歳、ということは、そろそろ結婚相手を探すのだろうか。
「リリアちゃん?そんなにキャベツ好きだったの?」
「え?あ!……すみません、ぼうっとしてました」
いつの間にか、皿にはメインの肉が載せられないほどのキャベツが盛られていた。
「珍しいわね。疲れてるのかしら?」
心配してくれるメリアの気持ちがうれしい。
「今日はちょっと荷物が多かったので。でも、大丈夫です」
今は考えても仕方がない。
リリアは目の前のごちそう――香味野菜と共にじっくり煮込まれた、うまみたっぷりの骨つき肉だ――と、山盛りキャベツに集中することにした。
お読みいただきありがとうございました。
のんびり更新の予定が止まらなかったので、明日8時に次話更新します。
前中後編の3話となります。その後もう一話更新して完結としたいと思います。
楽しんでいただけましたら嬉しいです。