52話「会いに来いよ」
「お疲れ様でした!!」
今年の冬は三度雪が降り、一度だけ積もった。テンションが上がって家を飛び出し、ガキ共をかき集めて、みんなで雪合戦をし、雪だるまを作り、なんとか鎌倉を建設しようとして上手くいかずに、結果として生誕した不格好な雪の塊を俺とガキ共全員で壊しあった。
冬の終わりだけは明確だった。春の訪れはいつだって、別れの時期だったから。満開の桜が出会いの春で、それらが散るのが春の終わりだとすれば、蕾の今は、春の始まりだろう。
三月上旬の卒業式。水泳部のコーチも終業期間を無事迎えた。
大学への復学届も受諾され、四月からの上京支度にダンボールを組み立ててトロフィーやらメダルやらを詰め込んでいると、最近はよく鳴るようになったチャイムが響いた。
「コーチ、東京に行っちゃうって本当!?」
「……馬鹿だな。ずっと言ってただろ。春から東京の大学に戻るって」
「あのさあのさ、東京の大学って、もしかして東大?」
「お前馬鹿だな。コーチは馬鹿なんだぞ。東大なんて行けるわけねえじゃんか! な?」
「健、後でいいこと教えてやるから、校舎裏に来いよ」
「え、いいことって……いいことですかぁ? わ、私もお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「あの……どうして松田先生まで押しかけてるんですか?」
「二度と帰ってこなくていいよ。顔見ずに済むって思うと、清々する」
そんな意地の悪い台詞を吐いたのは、言うまでもない、天才少年涼太だ。
「でもな」
彼は近頃、トレードマークだった長い髪をばっさり切って、冬には似つかわしくない坊主姿である。寒そうだが端正な顔つきにはよく似合う。
「いつか、いつか必ず、絶対にあんたを抜かすから! 会いに行く。だから……!」
心残りはあった。彼に、ドルフィンを教えてやれなかったこと。
もう三年後に出会えたら、俺の知っている全部を伝えられたのに。
「いいコーチ見つけろよ。天才少年」
俺が言うと、彼は口を噤み、しばらく黙り込んだ。
口を閉じたまま、肩を震わせて、鼻をすすって――ぐしゃぐしゃな顔で言葉を吐き出す。
「……頑張って」
「…………俺はさ」
水泳部コーチとしてじゃなく、一人の負け犬だった男としての言葉を。
「お前らのおかげで、今、ここに立ってる。ここまで頑張れた」
色々とあったもんだ。泳げない少年を泳げるようにスパルタして、生意気な天才少年に四苦八苦。水泥棒にも頭を抱えて、騒がしい部活を纏めて、帰り道には一緒に遊んで。
「だから、錦を飾ったら真っ先にこの島に戻るよ。約束だ」
どれだけ伝えても足りやしない。感謝の大きさなんて。
「涼太」
「ふぐぅ、うぅう……な、なんだよ」
「会いに来いよ。待ってるからな」
「…………うん!」
ずっと思っていた。勝敗があって、腕が上がり、天秤は下がると。自然にそう思っていた。
だから、俺はずっと昔から思っていたんだろう。信じていたんだろう。
背負う重みは、何も持たない軽さに打ち勝てるって。
一つずつ捨てて、祈って、身軽になって、引きずるより速く泳げるになると考えながら。
俺が選んだ道のりは結局、その反対だった。
もう大切なものを落とさないように、しっかりと手に持って。




