48話 転落
「……もう。ぐずぐずしてないで、海行くよ、海!」
突っ伏して泣く俺に、彼女はそんな言葉をかけた。グイっと肩を引っ張って、ズシズシと神社を出て石段を二段飛ばしで下り、最寄りの背の低い岬まで俺を連れてくる。
「えー、こほん。これから頑張るあなたに、泳ぎのアドバイスを伝授します」
それが敬愛し嫌悪する兄からの受けおりだというのは想像に難くない。
「高く飛ぶには、思いっきり屈まないといけないし、深く潜るには思いっきり息を吸わないといけないでしょ。でもね、どっちも、飛んだら着地するし、潜ったら浮かび上がるの」
だから、俺が驚いたのは、そんなことじゃなかった。
「ターンのコツは」
彼女は続ける。
「なんにも考えないことなの」
――――ターンのコツ? さぁ、考えすぎなんじゃないの。
「それとね」
楓は今にも太陽の昇りそうな水平線を眺めながら、視線を上げて、息を吸う。
そして俺に振り向いて、凛と、告げた。
「目を背けないこと、だって」
そう言って彼女は背をポンと押した。
鳴り、響く音に、俺は静かに飛び込む。
いない神様の声を届けてくれる、真っ白な女の子に迎えられて――水を注ぐように。
ブクブクと息の出来ない水中は、まだ光が挿し込んでおらず暗かった。微かな薄明かりを頼りに水面に浮上して、大きく息を吸い込み、再び光の届かない底まで深く、行けるところまで深く潜っていく。
海底の砂にタッチして、体を小さく丸めて回転し、次は岬の岩礁を目指す。
ターンのコツは、考えないこと。目を背けないこと。
だから――――――
「ぷはぁ!」
久しぶりに息を吸いに海面まで浮くと、水平線の向こう側には朝日が昇っていた。
口の中は塩の味でいっぱいだった。顔中が濡れていた。海が泣いているはずがない。
海から上がると、浜辺には未だ楓が座り込んで待っていた。
「おかえり」
「ただいま」
「応援してるからね」
「あんまり期待するなよ?」
「大丈夫だよ。あなたならきっと」
楓はそんな微笑みを浮かべて、ゆっくりと立ち上がる。
それから、ポーチから一冊のノートを取り出した。
「これ」
渡されたリハビリノート、泪からの贈り物だった。
「これからはそばにいられないからさ。ほら、学校始まっちゃったし」
「いいのか?」
「そのノートは、あなたが持ってたほうが、いいと思うの」
私には何書いてあるか読めないしね、と笑い、代わりにラムネでも奢ってよと。
「だから、負けないでね」
「……あぁ、ああ」
意味は、ないのかもしれない。誰も見ていないレースを、暗闇の中で一人、走り続ける。
そして、悩む度に、また一つ何かを落っことして、祈るんだろう。
徐々に軽くなっていく天秤に、腕を下げ両手を結び。考え続けて、目を背けるように。
諦観は祈りだ。彼女にはきっと祈らない。俺の神様はいないから。
なまいきだろうか? もう諦めないなんて、そんな陳腐な口上を述べるのは。




