39話 一線
日が沈み満月が低く昇りつつある帰り道、普段は無職引きこもり並の働きしか見せないスマホがブルブルと鳴る。泪からだ。
「いまどこ、なにしてる?」
「帰宅中だよ。堤防沿い」
「よし! 狼煙上げるから来て」
狼煙? と思う間もなく、ひゅ~と千切れそうな黄色の線が遠くの海岸から立ち上り、パンと結構な破裂音と一緒に光る。ロケット花火だ、これ。
光の指す方に向かうと、砂浜には十人かそこらの集団が囲まって花火を振り回していた。
「あ、来た来た! こっち、ほら!」
泪がこっちに気付くなり大きく手を振って、パタパタと走り寄ってくる。
右手には花火、左手には串刺し肉を携えていらっしゃった。
「楽しそうだな」
「納涼花火とバーベキュー。みんな来てるよ」
「俺も呼べよ。一人だけ同窓会に呼ばれなかった奴みたいじゃねえか」
「呼んだの。千秋に連絡頼んどいたのに、忘れてたって言うんだから」
そう言って泪は右手に持った花火で千秋の方を指す。暗くてよく見えないが、彼女はこちらを一瞥するなりプイと顔を背けて、線香花火に没頭する。
「……喧嘩でもした?」
「まぁ、そんなところだよ」
「ふーん……多分柊吾が悪いんだから、謝っときなよ」
どういうわけか――と言うほど謎でもないが、千秋は泪に東京での顛末を話していない。
当然だ。泪にだけは言えない。俺もそうだ。だから彼女は何も知らない。
泪が知っているのは、急遽東京旅行に行ったはずの俺と千秋が、次の日になぜか千秋だけ先に帰ってきて、後からノコノコ一人船に乗った俺がトボトボ帰ってきたことだけ。
彼女があまり追求しないのは、多分に入江純一のためだろう。俺にとってデリケートな問題が絡んでいると踏んだ彼女は、東京旅行が概ね気分転換を兼ねた物だと考えている。
実際その通りで、だから彼女は一線を越えないためにも黙っていた。
その代わり。
「それで、今日のメニューちゃんとやった?」
千秋と楓がリハビリに手伝ってくれなくなった代わり――あぁ代わりだ。言うこともままならず見かねた泪は、なんだかんだと俺に協力してくれるようになった。
願ったり叶ったりだが、素直に喜んでいいものかは少し悩む。
悩むが、結局俺が望んだのはこういう道だ。そうなったのだから、何の不満がある。
「もちろん」
「よーし! では存分に遊びたまえ! お肉も花火もたくさんあるぞぉ!」
泪は肉に豪快に齧りつきながら火の消えた花火を高く掲げて手を伸ばし、一目散に線香花火の軍団……ではなくじゅーじゅー美味しそうなバーベキューへと走っていった。
俺は団子よりか花が好きなので、無造作に置かれた花火共を手に取り、皆に混ざってねずみ花火やナイヤガラ花火を満喫する。
浜辺は灯りもなく、左手に広がる海の先に見える、陸地に立つ民家の光が点々と、星が下りてきたみたいに輝くだけだ。空はもう暗い。落ち込んでいて、真っ暗闇に打ち上げ花火が弾けると、ほんの一瞬だけ海面にぼんやりとした火花の黄白色が映り込む。
酒も入っているから皆ガヤガヤ楽しそうに騒ぐ。来年もやりたいなとか、なんでソーセージ買い忘れたんだとか、醤油を垂らしたホタテが美味くて、線香花火が一本また一本と減っていく。その度に海岸線は小さな光に包まれて、隣に座り込む人の顔がほんのり見えた。
「………………」
「………………」
気付けば、線香花火をする隣には千秋がいた。
気まずいなぁ……実に気まずい。
彼女の方も同じみたいで、俺の方をちらりとも見ず、じっと花火の閃光を眺めている。
でも……もう、話すこともないかもしれないな。
彼女ならきっとすぐ立ち直るさ。思うに、三浦比呂のこともあって、落ち込んでいたのだ。だからああして、俺のような近くにいた男でいいからと、衝動的に動いてしまったんだ。
一時の過ち……明日にでも忘れられる。
そんな沈黙が俺たち二人の距離一メートルに漂っていた。
「ねぇ」
けれど、俺の線香花火の火が消えて、立ち上がろうとした時、声がかかった。
横を見ると彼女の火も消えていて、どんな表情をしているかは、暗くて分からない。
「泪にはもう告白したの?」
静かに淡々と、彼女は呟いた。
「……いや」
「満足? あたしじゃなくて、泪と、一緒にリハビリできて」
「………俺は」
「今がずっと続けばいいのにね。今が、ずっと……」
「お二人さん! なーに話してるの?」
唐突に後ろから声をかけられビクリと背筋が伸びて、振り返る。
泪は肉を俺たちの分持ってきてくれたみたいで、美味しいよと手渡す。
「泪には関係ないよ」
「なーにそれ。ほら親友じゃん、なんでも話してよ」
「……放っといて。泪、いつも強引だから」
「勘弁してくれって言うまで付き纏うよ? 離したくない幼馴染だもん」
「勘弁してよ……」
「ね、柊吾。何話して」
「やめてよもう!!」
千秋が大きく叫ぶ。周囲の視線が一斉にこちらに向き、静まり返る。聞こえてくるのは波のさざめきと、パラパラと細かな花火の破裂音。
「いっつもあたしの前で、あたしより先に、あたしが好きな物持っていって! あたしと泪がいつ対等な親友だったの? そんなとき一度もないじゃん! あたしはいつも、泪の走った後を追いかけて……それで親友? それが泪の言う親友なんだ」
「お、おい」
だが俺の制止などクソの役にも立たず、彼女の激昂は収まることを知らない。
「ねぇ知ってる? 知ってるよね、あたしが泪に勝てたことなんて、一つもないんだよ? 勉強も運動も、いつも二周遅れで負けてばかり。ねぇなんで。たまには、一つくらい負けてくれてもいいじゃん! あたしたち親友なんでしょ!? なんで、あたしから全部奪っちゃうの。あたしは、泪と一緒にいるだけで、劣等感しかないのに……」
「…………誰のこと?」
泪がそう言うと、千秋は苦しそうに頷いて、感情的な涙を溢しながら、一言だけ呟く。
「泪なんて、いなくなっちゃえばいいのに……」
一線。
踏み越えてしまった一線に、千秋はハッと我に返り、逃げるようにその場を去る。
それからしばらくの静寂が辺りを覆った。
一人が間違えて火を点け、特大サイズの打ち上げ花火が夜空にバーンと鮮やかに咲く。
その音に、何事もなかったかのように喋り声が戻り、花火の光が灯り始める。
「……ねぇ」
「……場所変えないか? もうちょっと、静かなところでさ」




